検察は、完全無欠の・・・
ロックンローラー!
とテレビで本当に言ってしまった元検事の弁護士がいた。
“Courier New”>http://www.nikkeibook.com/writer/105/
某フジテレビのパクリ番組で、毎回のようにハマコーに怒鳴られていた人だった。
それささておき、小沢事件。
「プロの検察が不起訴にしたのに、アマの検察審査会が起訴相当にした」という解説が散見されます。それ、ミスリードしかねませんね。
早速「新たな証拠を検察審査会は見つけられるのか」とか、わかったようなわからないような議論もある次第でして。
大前提ですが、今回の起訴するかどうかの判断が検察と検察審査会で割れたのは、裁判で勝てるかどうかの判断だけでしょう。
では最初に、近代刑法の初歩、法学部だったら一年生レベル。
大学卒業までには、教養課程で知っておきたい知識を。
第一問
近代刑事裁判で「裁く」という言葉が正しいとしたら、裁かれるのは誰か?
ヒント。被告ではありません。
正解は?
原告です。
より正確に言えば、近代刑事裁判とは、事件発生から警察の捜査・逮捕、・・・(ずーっとあって)・・・検事が起訴するまでの過程で、手続が適正であったかの審査です。
だからすべての挙証責任は原告にあります。
「裁く」という言葉が正しければ、裁かれるのは挙証責任を負う原告です。
ちなみに今までは原告は必ず検察でしたが、現在の検察審査会制度の改正により、検察が不起訴なのに強制起訴した場合は、指定した弁護士が検事の役割をします。
続けて、
第二問
以下の内、被告が有罪になる場合をすべて選べ。
左対右で「原告対被告」です。
一、100対0・・・100%証明できる。完全に被告は犯罪をやりました!
二、99対1・・・100%とは言えないが、まず間違いなく被告は犯罪をやりました!
三、51対49・・・どちらかわからないが、どちらかと言えば、被告は犯罪をやったのではないかと考えられる。
四、49対51・・・どちらかわからないが、どちらかと言えば、被告は犯罪をやっていないのではないかと考えられる。
五、1対99・・・100%とは言えないが、まず間違いなく被告は犯罪をやっていないようです。
六、0対100・・・100%証明できる。完全に被告は犯罪をやっていません。。。
正解は?
「一」だけです。
「四」「五」「六」が無罪なのはわかるでしょうが、「二」や「三」も無罪なのです。民事との違いです。
検察は完全な挙証責任を負っています。近代刑事裁判とはそういうものです。強大な行政権力(原告)対個人(被告)の図式ですから。
今回の小沢事件、今のままの証拠では、「二」から「三」の中間なのですね。「一」と判断している人もいるようですが。
いずれにせよ、その人が「一」から「三」のどれだと思って発言しているのかを抑えておかないと、何が何だかわからなくなります。
さて、
ではなぜそもそも検察は起訴しなかった?
負けるのが恐いからです。
幹部は政権与党の幹部に喧嘩を売って負けたらどうしようしか考えていないのでしょうね。
取調可視化法案を取り下げる取引ができたから「これでいいのだ」?
中には世論を恐れて「やっぱり起訴すべきかなあ」などと考えている人もいそうですが。
したり顔の法律オタクは「二」ではない、「三」なのだ。などと勝手に納得しているのでしょう。テレビのヤメ検(元検事ではなくあえて失礼な言い方をします)の解説、大体これですし。
「絶対的に忠誠を誓っている大物政治家の億の金を、子供のような秘書が勝手に操作しました」
って、証拠がないなら「執拗な隠蔽の疑いがある」と看做した今回の検察審査会の方が常識的なのではないでしょうか。
検察に限らず法律オタクに無くて、アマチュアにあるもの。
「裁判で事実を明らかにしよう!」という意識。
一応法学教員の端くれの立場から言いますと、 事実を明らかにすることで、審査の正当性が挙証できるのではないでしょうか。
「手続論がすべてだ、事実なんかどうでも良いのだ」はアメリカ法にかぶれすぎてませんか?と反論したくなるのですが。
私見。
検察は、今回の決定を受けて起訴すべきだと思います。
検察審査会任せにせず、自ら起訴して戦うべきでしょう。
これは政治論抜きで。
さもないと、検察が起訴を諦めるほど隠蔽工作が上手ければ、何をやってもよいことになるのではないでしょうか?
アメリカ法と似てもいないし非なるイギリス法が重視する
「正義の実現」
を、我が国の検察はどう考えているのでしょうか。
光市母子殺害事件での地検検事の
「これは何度負けても勝つまでやらなければいけないんだ!」
という発言などには、検察官の良心を感じるのですが。
「たぶん悪いことをやっているのだろうけど、証拠を見つけられないから諦める」、で良心は痛まないのでしょうか。負けても「99対1の挙証しかできませんでした。」は恥ではないと思うのですが。