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TBS版「官僚たちの夏」は来ない 最終回

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 とうとう、TBS版「官僚たちの夏」も最終回。いつもの架空の話に加えて、今回は演出も過剰だったので、批評しにくいのだが。本作の主題は理想の官僚像だが、主人公の風越信吾は果たして理想の官僚だろうか。

 事務次官の退任挨拶で風越曰く「我々が舵取りを誤れば日本は大変なことになる。アメリカを追うのはやめよう、日本人の誇りを取り戻そう。」と。

 これだけ聞けば反米ナショナリズム爆発であるが、その真意は実に憲法九条擁護サヨクである。風越のモデルの佐橋滋が自衛隊違憲論者であったのは有名だが、風越の立場も言うまでもなかろう。結局はアメリカの防衛力に依存した上での甘えたサヨクナショナリズムにすぎないのである。それは外交問題に対する考え方でわかる。

 今回は小笠原・沖縄返還問題とそれに伴う日米繊維交渉が話題。風越は、かつて協調関係にあった須藤総理(佐藤栄作)とも考え方が乖離していく。

 小笠原返還問題で須藤は「ベトナム戦争への支持と一千億円の軍事支援で交渉が纏まった」と誇るが、風越と側近の庭野は噛み付く。

庭野「なぜ自分の土地を取り返すのに1000億も払わなければいけないんだ。他に使わなければならないことが多いのに」

風越「ベトナム戦争を支持しろと言うのは横暴でしょ」

これに対して須藤の反論。

「1000億が惜しいからと小笠原沖縄を見捨てろと言うのか」と。

 

 しかし、風越の次に事務次官になる牧も側近の片山に吐き捨てる。

「他に沖縄を取り返す方法があったら言ってみろ」

 こうして、沖縄返還に際しては繊維産業が日米交渉での取引の材料となる。

 

 国際政治の定跡で考えよう。軍事力で奪われたものは軍事力で取り返すしかないのである。その点で、如何に佐藤栄作に批判的な論者であろうと、小笠原も沖縄も軍事力を行使しないで取り返したので、快挙であると認めざるを得まい。私も佐藤には批判的だが、この点は認めるべきだと思う。風越たちはそのような譲歩もせずに取り戻せと憤るが、代案はまったく示していない。

 あえて言うならば、ベトナム戦争に協力したから取り返せたのである。内閣法制局は「日本は集団的自衛権を行使できない」などと国際法を少しでもかじった人間ならば仰天するような発言を政府見解としているが、日本は既に集団的自衛権を行使している交戦国である。

 ベトナム戦争において、あるいはその前の朝鮮戦争から、基地提供をしているのである。たまたまベトナムに攻撃能力がなかっただけで、米軍機は沖縄その他日本領土から発信して空爆をしているのであるから、日本も立派な交戦国である。自覚がないだけである。

 悲しいかな、国際政治は軍事力によって動いているのである。結局、日本は軍事力を持たないから発言力に制約が大きいのである。

 風越の発言は部分的には正論である。しかし、部分的な正論は時に愚論以上に危険である。沖縄や小笠原を取り返すべきである。その為に特定の産業を犠牲にするなどもっての他である。すべて正論である。ではそのすべてをアメリカに突きつけた時、相手はどう反応するのか。これが一方的に弱い相手ならば通用することもあろう。恨みを甘受すれば。しかしこの場合、一方的に弱いのは日本の方である。交渉の席から立たれたらどうするのか。

 現在の拉致問題でも構造は同じである。日本人被拉致者は取り返さなければならない。これは国民的合意であろう。ではどのようにするのか。いきなり軍事力は日本人自ら縛る。その上で一切の譲歩をしないで交渉すべきであると主張する。普通の国は戦いたくないからこそ武力行使の準備をして交渉するのだが、日本人は自らこの行動を放棄している。その上で、北朝鮮に一歩でも譲歩しようものなら国賊扱いである(ほとんどが本当に国賊的だから困るのだが。)。しかし、結局は交渉が纏まらずに喜んでいるのは北朝鮮だけではないか。

 十九世紀、アジアで独立を保てたのは日本と泰である。日本は自らの力で列強を跳ね返した。

 泰は次々と譲歩して領土を割譲していき、事実上は英国の軍事力に守られながら、形式的な独立を守った。戦後の日本はこの泰と同様の立場である。これがイヤなら興隆期の大日本帝国の道を考えるべきではないか。

 この問題、今週末の帝国憲法講義でやります。