亡国前夜(12)ー世にも不思議な物語

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 ハマコー曰く。
 小泉内閣恒例のサプライズ人事で、武部勤が幹事長に。
 次期総理候補筆頭の安倍晋三は、参院選挙敗北の責任で幹事長代理に降格した。

 その時の小泉が武部に言い聞かせたこと。
「武部よ。君は細かいことだけやってくれればいいよ。
 大事なことはみんな安倍君がやるから。」と。

 これ、本当の話?
 難しい話が苦手な人はここまででお休みして、気力と体力が充実した時に以下の本題を読みましょう。

 

 さて本題。平成十七年の話である。
 小泉純一郎総理が政治生命を掲げる郵政民営化法案は、大量造反にも関わらず、衆議院は五票差で通過した。小泉は躍りだすように戦況を眺めていた。

 しかし、参議院が否決した。
 自民党の造反である。この時、青木幹雄参議院会長と片山虎之助参議院幹事長は、見越したように談笑していた。

 過去、散々小泉をいいように使ってきた森前総理は「干からびたチーズ」を片手に、カメラの前でぼやくという道化役をやっていた。

 亀井静香ら、造反派は怪気炎を挙げていた。
「これで解散なんかできやしない。総辞職だ!」と。

 ところが、小泉は「郵政民営化法案への造反は内閣不信任案と同じである。」と、衆議院解散の姿勢を示した。
 亀井らは「衆議院が賛成して、参議院が反対したら、衆議院を解散するのはおかしい」と吼えた。
 おかしいのは小泉の姿勢ではなく、日本国憲法の参議院規定である。
 拒否権集団の横暴に際して、内閣総理大臣は一度だけ国民の信を問うことができる。
 これが「憲政の常道」である。。

 英国でも先例がある。貴族院が「衆議院の優越」という憲法慣例に違反した際、時のアスキス首相は衆議院を解散。民意の所在を明確にした上で、貴族院と対峙して勝利した。

 あらゆる政治上の解決は、衆議院総選挙により最終的に決着させる。それが議会制民主主義である。
 しかも、総理は国民に理由を説明した。
 これで許されないならば、第二院(参議院)は何をやっても許されることとなる。
 憲法学者の中には郵政解散を憲法違反と叫ぶ無知蒙昧の輩もいるようだが、あれこそ日本国憲法の欠陥に対する挑戦である。

 この時の小泉総理に小ピットを髣髴させられたのは私だけだろうか。私だけだろうな。
 二十五歳の青年宰相・小ピットは政権発足当初、巨大野党に対して勝ち目がないと思われながら解散総選挙を断行し、約二十年の長期政権を築いた。

 ただし郵政解散は、法律論としてはまったく正しい勇気ある行為なのだが、政治的には定跡外れの行為である。
 数ヶ月間の準備で、しかも解散してから候補者を集めるような選挙で勝利はできないのである。しかし、成功した。なぜか。理由は以下。

、「小泉劇場」「ワンフレーズポリティクス」の集大成。・・・「約束は守る」「信念は曲げない」という小泉首相のわかりやすい姿勢が支持された。
、小選挙区制なので、「風」次第で、大勝も大敗もありうる。・・・中選挙区制(大選挙区単記制)などというこの世で最低の選挙制度との違い。
、技術的な成功・・・一ヶ月の選挙期間を置いて、小泉支持派の浸透に成功、武部が何も考えずに特攻、など。
、小沢一郎が失脚中・・・年金未納というくだらない問題。いっちゃん、選挙だけは強いがこの時は無力化。
、死神・・・自治労・日教組などという無能者集団に依存した岡田代表が何も出来ず。

 大事なのは、「」である。
 勝負事の「悪手を咎められない悪手は最も罪が重い」の法則で考えよう。いくら定跡外れの悪手でも、相手がそれを咎める能力のない無能者ならば、その悪手は絶好手になるのである。
 解散前は「小泉さん、どうする気だろう」と思っていたのだが、直後に確証を得た。小泉は「自治労・日教組のような死神など、必勝の信念で戦えば蹴散らせる」と確信していたのだろう。しょせん、単体では寄生虫にすぎない自治労・日教組ごとき無能者集団など、小泉の号令で戦闘集団と化した自民党の敵ではなかった。これは「実戦心理」に基づく「勝負勘」があった、としか説明できない。相手が弱ければ、最善手を読なまくても良いのである。

 そして、自民党は大勝。郵政法案などという、どうでも良い法案は通過。
 小泉は、安倍晋三に総理を譲る。事実上の禅譲である。一応、自民党総裁選挙があって、「麻生対谷垣、第二代・最後の自民党総理争奪戦」を繰り広げていたが、瑣末な話。

 さて、ここからが奇妙な話の開始である。
「戦後レジーム」の脱却を掲げる安部総理に対して、『朝日新聞』以下、というか『産経新聞』以外の大新聞は総攻撃。安倍さん、短期間でかなりの実績を残している総理なのだが、これでもかと攻撃され続けた。
 何が悪いって、公務員改革に手をつけたからなのだが。まじめな叩き上げノンキャリア官僚出身の井上義行氏を首相秘書官に据えた時点で、霞ヶ関の官僚機構全体を敵に回していたのだが、さらに「キャリア官僚制廃止」に着手したのである。
 ここに、「特権官僚&自己認識インテリマスコミ&腐れサヨク」の対安倍内閣包囲網が成立した。

 で、小泉が事実上引退するのと入れ替わりに、選挙技術にだけは卓越した小沢一郎が民主党を乗っ取ってしまう。そして、平成十九年参議院選挙では自民党を歴史的大敗に追い込んでしまう。
 この際の権力基盤は自治労と日教組である。
 参議院選挙大勝の夜、小沢代表の姿が消えた。それはいつものことだが、いつもの「小沢遊び」の雰囲気がまったくなかった。誰に呼び出されていたかは知らないが。
 民主党に戦勝空気はなく、議席的には大敗のはずの共産党と社民党がはしゃいでいた。

 いつの間に、かの無能者集団の自治労と日教組がこんなに実力をつけたのだ?

 今を読み解く原点である。