コロナ禍の言論を中間総括する~尾身一党を追放せよ!

LINEで送る
Pocket

ようやく昨日から、政治が動き始めた。
今の日本は、「解散よりも改造が切り札」「総理大臣よりも自民党総裁の方が重要」という政治の定跡が通じないので読みにくいけど、来週には内閣改造が行われることとなったとか。菅首相に届いたのかどうかは知らないが、手ごたえはある。安倍内閣末期に発生したコロナ禍による社会全体の停滞を、菅首相には打開してほしいと訴えるほかない。

そもそも、コロナ禍とは何なのか。

一昨年年末に武漢で発生した謎の伝染病(以下、新コロ)は、またたくまに世界中に広まった。日本は当初、誰もマスクもせずに暢気に構えていたが、いつの間にか巻き込まれていた。

初動における安倍内閣の不手際は挙げればきりがないが、二つだけ。一つは、当時の安倍内閣は検察人事に熱中していて、マトモな対策を行わなかった。もう一つは、パンデミックに対するシミュレーションを用意していたが、それを使わなかったとか。前者は論外として、後者の理由は定かではない。いずれ検証されるべきであろう。

さて、初動の段階で(昨年の3月まで)、新コロは謎の伝染病だった。一部には「全世界で6800万人が死ぬ」との言論をまき散らした者もいる。そういうザコは今はどうでもいいが。
恐怖に打ち勝たねばならない状況で、恐怖がまき散らされ、今でも多くの日本人が新コロに怯えている。

では、日本国の公式の扱いはどうか。新コロは、指定感染症の二類、すなわちサーズやマーズと同じ扱いにされた。しかし一部では一類、すなわちペストやエボラ出血熱と同じ扱いにされ、しかも一類(ペストやエボラ)においても許されない、交通制限なども行われ、挙句には経済そのものの自粛までが行われた。もちろん、すべて超法規的措置である。

そして今年初頭のコロナ特措法改定で、その状態が固定された。新コロは、いわば「二類ダッシュ」の扱いになっている。

初動(1回目の緊急事態宣言が行われた昨年4月の最初の2週間くらいまで)ならば、「新コロは、ペストかエボラのように危険な伝染病かもしれないので、法も何もかなぐり捨て、経済そのものをいったん止める」のは、安全保障上やむを得なかったと考える。初動においては。

では、初動における超法規的措置の効果は検証されたのか。

日本政府は「何もしなければ42万人死ぬ」などの謎の言論に惑わされ、何の検証もしないまま、延々と新コロを二類ダッシュ扱いにしたままで来た。ちなみに、その言論をした者は「なぜ42万人死ななかったのか」「あのような方法でなければ甚大な被害を防げなかったのか」の説明を一切していないし、御用メディアでのみ何事も無かったかのように勝手な言論を繰り返している。批判には一切、答えない。そういうザコは今はどうでもいいが。

結局、新コロは何なのか。ペストやエボラのように危険な伝染病ではないのは、もはや誰の目にも明らかだ。

では、サーズやマーズのように危険な伝染病なのか。あるいは季節性のインフルエンザなのか。

よく、「新コロはペストやエボラのように危険な伝染病ではないのは明らかだ」と述べると、「お前は、ただの風邪だと言うのか」と極論で返される。もしただの風邪なら、五類にする必要すらない。

新コロが、五類相当の季節性インフルエンザではなく、二類相当の危険な伝染病だと主張するなら、その証明以外にしなければならないことがある。一つは、一類に相当する扱いや一類でもしてはならない扱いは、即刻やめるべきである。これは今の特措法の再改正によるのが常道であるが、その過程の議論で本当に必要な措置だけは残せばいい。

何が問題かと言うと、二つ。一つは「何が目的でそれを行っているのかを明確にしていないこと」で、もう一つは「政策の検証をしないこと」に尽きる。

繰り返すが、伝染病対策の初動においては水際作戦は大事で、限定された条件ならば「ゼロコロナ」には一理ある。しかし、水際は突破されたし、今は初動ではないし、何よりも今さら「ゼロコロナ」をやれる指導者がいない。

今でも「ゼロコロナ」を主張するにしても、本気で信じているなら救いがある。しかし、本気で信じているがゆえに救いがないとも言える。

なぜか? このコロナ禍を永久に続けて権力をむさぼり利権を謳歌したい「フォーエバーコロナ」の連中に利用されるだけだからだ。言うなれば、昭和19年に東京大空襲をされている時に大東亜共栄圏の実現に向けて聖戦貫徹を叫び、和平派を攻撃するが如し。

こうした状況を理解した上で、いったいこのコロナ禍の終息をどこに設定しているのかわからないまま「フォーエバーコロナ」に向けて邁進しているのいが現状だ。ちなみに初動において、少なからずの医者が「欧米のようになるな! 日本もゼロコロナだ!」と絶叫し、日本を今の方向にもっていったが、欧米はマスクも外し、経済活動を再開させている。それが良いか悪いかの判断の前に、どこを目指し何がどうなればよいのかの議論そのものを聞いたことが無い。だから、その医者どもの議論を検証しようがない。

マスクにしても、ワクチンにしても、営業自粛にしても、酒類提供禁止にしても、結局どこを目指し、何がどうなればいいのかを示さない状況で、社会全体を「ゼロコロナにみせかけたフォーエバーコロナ」に引っ張っているから、このような惨状になっているのではないか。

新コロの死者は2万人もいない。今日で累計約1万6千人だ。もしここまでしなければどうなったか、それも新コロがペストやマーズのように危険な伝染病だとの証明が無ければ判断しようがないはずだが。

一方で、経済全体は巨額の財政出動と日銀の金融緩和で何とか支えている。しかし、何もしなければ大増税時代が到来する。

それでも、多くの人が生活苦。

自殺者、特に子供の自殺者が激増している。DVも激増。

学生生活は崩壊。多くの人が人生を台無しにされている。

などなど、当たり前の生活が奪われている。

しつこいが、新コロが本当にペストやエボラのように危険な伝染病ならば、仕方がない。

しかし、サーズやマーズ程度ならば、ここまでする必要が無い。

繰り返す。サーズやマーズ程度で、ここまでする必要はない。ここまでとは、経済そのものを止め、多くの人々の生活を台無しにする事だ。サーズやマーズのように危険な伝染病だと証明されたなら、それなりの対応をすればいい。経済そのものを止め、多くの人々の生活を台無しにする必要はない。

惨状である。

では、この惨状を招いたのは誰か。

医師会、厚労省、その手先に尾身茂と分科会、そのまた手下の三バカ大臣(コロナ大臣西村康稔、厚労大臣田村憲久、官房長官加藤勝信)の罪は免れまい。

特に、尾身!

現在の菅内閣は、二類ダッシュを五類にする以外の方法で何とか対処しようとしている。しかし、根源は「新コロとは何なのか」だ。ところが尾身以下政府のアドバイザーの矩を超えた言動を繰り返す感染症医たちは、ペストもサーズもインフルエンザも一緒くたにして「人の流れを止めろ」「ゼロにしろ」しか言わない。あらゆる犠牲を顧みず。

菅首相はようやく人心一新に取り組むようだ。この1年言い続けたことが届いたようだ。

私の注目はただ一つ。

尾身茂とその徒党を政府から追放できるか否か。すべてはここにかかっている。

その後の人事で間違えては意味がないが、尾身とその徒党を追放しないと何も始まらない。

そして、このコロナ禍を一掃できる人事とは何か。今まで繰り返してきたことを改めて述べる。

コロナ大臣=大木隆生(世界的な外科医)

「大木大臣こそが切り札だ」は、何度も繰り返してきたし、理由は『SPA!』で書いてきた。菅首相も「大木提言」には賛成と聞く。もはや、この局面では一択。

ただし、一人では何もできない。

官房長官=真に忠誠心がある政策通。

厚労大臣=医師会や厚労省と戦える政治家。

人々に新コロの恐怖は植え付けられてしまった。これを取り払うのは容易ではない。

世論の大半は、いまだに尾身のタワゴトを信じている。そしてハーメルンの笛吹きの如く「フォーエバーコロナ」に突き進んでいる。

だからこそ、菅首相はリスクを取って尾身一党を放逐。「大木提言」に基づいてコロナ禍の日本を救うしかない。

既に新コロの五類へのグレードダウン以外は、大木提言に基づいて行われている。しかし、コロナ禍の根源は、「新コロとは何なのか」とを問いかけることだ。そして政策では、どのグレードがふさわしいのか、だ。今の「ペストやエボラでもできないことがまかり通っている」は異常だ。

菅首相には、尾身のさらし首を掲げて、「菅内閣を引きずりおろしてフォーエバーコロナを続けるか」と国民に信を問うよう、求める。