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大蔵対日銀百年戦争史(3)―大蔵省の遺伝子と日銀出生の秘密

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 1867年(慶応三年)に王政復古の大号令がなされて以来、1885年(明治十八年)の内閣制度開闢まで、半年に一回の頻度で行政改革がなされています。
 大蔵省発足は明治二年ということになっていますが、ここに法務・外務・陸軍・海軍以外の全省庁の仕事が集まるような有様で、権限が巨大すぎることが問題となっていました。なにせ予算を握っているので。
 明治ヒトケタ年代には「民蔵分離問題」というのがあって、大蔵省から民部省を切り離すことになります。

 と書いて読み過ごした方は、歴史学の道は進まないほうが良いです。(進んだ奴のほとんどが・・・)
 冷静に考えましょう。つい数年前まで内戦をやっていたのです。また、士族反乱という、いつ国が割れるかもしれない大規模暴動が続発するのです。
 その時点で「予算を握る奴が偉い!」ってどれだけ遵法精神が強く法の支配が貫徹しているか。
 日本近代史で大蔵省や予算の話が出てこないのは、戦前日本がナチスドイツやスターリンのソ連のような暴力と恐怖が支配する国だ、いざとなれば暗殺でナントカなる軍人独裁の国だ、という先入観のセイですな。

 明治政府の有名すぎるスローガンが「富国強兵」です。
 富国とは、全国から政府に税金を集めることです。
 きちんと税金をとれなければ東京の新政府の命令を全国津々浦々に伝えることはできません。
 東京の新政府の命令を全国津々浦々に伝える仕事は内務省に、税金を集める仕事は大蔵省になります。後に大蔵省の筆頭局は予算を配る主計局になりますが、最初の花形は税金を集める主税局です。

 さて、大蔵省の開祖と言えば、松方正義です。井上馨も財政に関する元老という位置づけだったのですが、歴史的には松方が開祖の扱いです。そもそも大蔵省の正史である『財政史』が松方を顕彰するために編纂されたほどなので。
 松方と言えばその財政政策が「松方デフレ」として語られます。この名称、誤解を招くのでやめた方が良いですね。
 池田勇人などは「ディスインフレ」と呼び、自分が敗戦直後に政権を担当したときは「デフレ政策」と呼ばせず、「悪性インフレ抑制政策」としか言わせませんでしたから。

 この松方デフレとは、西南の役の際に戦費調達の為に政府がお札を刷りまくったので悪性インフレになったので、ナントカ抑制しようとした政策のことです。
 当時は管理通貨制どころか金本位制もできない時代の話で、今と違って金融市場に対する政府の影響力など小さいものなのです。
 そもそも「市場」そのものを一生懸命作っている時代で。
 その前提を無視して語ると↓こうなる。

緊縮財政の先達
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120119/art12011907220002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120126/art12012607230001-n1.htm

 冒頭の財務省増税派のタワゴトを繰り返している部分は枕詞として無視しても、ついでに「大隈がケイジアンで松方がマネタリスト」とか訳のわからないところは見なかったことにしても、
デフレで農民の自殺者を増やしまくったけど不人気を引き受けたから政治家としては偉い、は如何なものか。

政治家なら断行すべき決心

 それまでインフレで潤っていた農民は、農産物価格の急落で一転困窮の奈落に突き落とされた。自殺者も急増し、田畑の売却による自作農から小作農への転落や、都市への農民流亡をもたらした。この「松方デフレ」の張本人が、国民的人気の高いはずはない。
 彼が薩摩閥で黒田清隆や大山巌(いわお)の人望に及ばなかったのは、いつも日の当たるところだけを歩む成功者への嫉妬に加え、不人気な政策をあえて断行した点とも無縁でなかった。
 いまと違って、明治政府は困窮した弱者にセーフティーネットを張る必要もなく、お上の大方針で緊縮財政を進めれば財政も再建できた。松方のモデルはすぐに今の日本には適用できない。
 しかし一流の政治家なら、国家百年の大計と民生の安定をバランスよく比較考量することはいつの時代にも欠かせない。松方財政は、政治家ならいつか断行すべき決心を実現した成果でもあるのだ。

 繰り返しますが、悪性インフレの際にインフレ抑制をするのは当然です。
 松方の前任者の大隈重信(なぜか歴史学では人気が高い。早稲田を天下り先にしたいから)のように、インフレ時にインフレ政策を採用したらさらにインフレになるに決まっているではないですか。
 AJERでも強調しましたが、「いついかなる時もインフレ(デフレ)政策を採るべきだ」というのが頭がおかしいのです。
 デフレ時に、デフレ政策で自殺者を増やせ!とかはもう狂っている訳です。

 日本近代財政の祖である松方を「デフレ政策で農民を殺しまくった、自殺に追い込みまくったから偉い」というのは間違った歴史認識です。
 松方デフレ改め松方ディスインフレは悪性インフレ時だったからこその政策です。

 その松方財政の一環としての金融政策を実行するために設立されたのが、日本銀行です。
 つまり、日本銀行は大蔵省の出先機関なのです。

 次回、日本銀行の人々ー高橋是清と井上準之助