昭和六年も亡国前夜になってしまった・・・

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 最後の元老である西園寺公望曰く、
「今の陛下はお可哀想だ。」と。
昭和節に想う。

 舛添要一新党改革代表が
「イギリスを見てもわかる通り二大政党制は限界にきている。問題がある制度。
中選挙区制に戻して連立政権にした方がよい。」と。
おフランスの専門家だからか?それとも現在の政治家としてのポジショントークか?
舛添さんがどういうつもりかよくわかりませんが、私は結論にも内容にも反対です。

昭和六年と言えば昭和史の転機です。
この時は、国内経済では、東大生すら就職できない大不況でした。(昭和恐慌)
対外政策では、日本人を拉致するなどやりたい放題の隣国(張学良)に対し、政府・外務省は「日中友好」などと何もしませんでした。
そんな状況に世論は、もう政党内閣は駄目なのではないか?本家のイギリスでもやめたし。挙国大連立だ!いっそテロかクーデターでも誰か起こしてくれないか!などと、危険な雰囲気になっていました。

 本日は英国のお話。
十九世紀に保守党と自由党の二大政党制が発展しました。
二十世紀に入り、労働党が台頭し、第三勢力(第三極)と呼ばれるようになりました。
自由党は第一次大戦を境に分裂弱体化していきました。
逆に労働党は政権を担当するまでになりました。
二つの世界大戦の間の時期(戦間期・大戦間・二十年の休戦期間など様々な呼称あり)、英国では二大政党による政権交代が動揺し、連立内閣も生まれました。

 日本で言えば昭和六年の一九三一年、英国では、労働党を追い出されたマクドナルド首相を、
保守党と自由党が支援する挙国大連立内閣ができました。総選挙の結果、保守党だけで単独過半数を得たのですが、
マクドナルド内閣は継続しました。
この政変に際しては、国王に決めてもらうような有様で、英国憲法の専門家の中には「問題がある事例」とされています。
ただ、第二次大戦後は落ち着きを取り戻し、保守党と労働党の二大政党による政権交代を続けて今日に至っています。

 一方、当時の我が国では。
「本家英国でもそうだ!憲政の常道などやめてしまえ!」の大合唱でした。
その結果、憲政の常道が捨てられ、当事者能力をなくした状態のまま敗戦に至ります。

 以上、あくまで当時の話です。現在の話ではありません。
ただし、何も考えずに「外国ではこうですから」はやめましょう、特に政治の話では、は残念ながら今でも日本人が厳しく戒めるべき教訓のようですね。

 ついでに英国の総選挙で、誰も過半数をとれなければどうなるか。連立政権になります。
誰が首班になるかは、話し合いです。ただし原則として、政党党首以外の人物が首相の座を窺うような陰謀は忌避されます。
そして、誰が首相になろうが、一年以内に再選挙を行うのが慣例です。
すべての政治の決着は総選挙で決める。有権者が決められなければ再選挙。
英国が二大政党制を捨てたとか、もう限界だ、などとはそこまで見てからでも遅くないでしょう。

 ところで、リフレ導入反対論者のみ「日本独自の状況や事情、歴史や民族性を考慮すべきだ」などとのたまっています。
政治学や歴史学と違い、経済学のように主張者が国籍を名乗らなくて良い学問でナショナリズムを主張されても。。。

 それはさておき、羽毛田信吾と白川方明は討伐されるべきである。