江戸の民意

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 征夷大将軍。ご存知の通り、京都の外に存在する職である。ところが、足利幕府は京都に幕府を開いた。現実の必要性からである。理屈はどこかに追いやられ、誰も疑問に思わなかった。実質合理性がすべての世界、それが足利時代である。つまりは、力と陰謀に優れたものは何をやっても良いということである。

 幕末、相次ぐ異国船の来訪に、「征夷大将軍の職責を果たせ。それが天皇から大政を委任されている将軍の務めではないのか」との声が日本中の知識人から沸き起こった。幕府はそれを無視できなかった。論理が現実政治の武器となりえたからである。

 平和な江戸時代を通じて、日本史最高の知識人層が形成された。最も自分の頭で考える人間の数が多かった時代である。

 たとえば、第二次長州征伐など、幕府は知識人たちの支持を得られず、厭戦気分が蔓延し、最終的に挫折に追いやられている。

 日本は江戸時代以降、民意が大きな影響力を持つ国である。江戸のどの時点からかはいずれ。

 しばしば民意(世論)に左右される政治はよくないと言われる。しかし、少なくとも江戸時代の知識人達に支えられた民意はどうであったか。検討課題だと思っている。