征夷大将軍。ご存知の通り、京都の外に存在する職である。ところが、足利幕府は京都に幕府を開いた。現実の必要性からである。理屈はどこかに追いやられ、誰も疑問に思わなかった。実質合理性がすべての世界、それが足利時代である。つまりは、力と陰謀に優れたものは何をやっても良いということである。
幕末、相次ぐ異国船の来訪に、「征夷大将軍の職責を果たせ。それが天皇から大政を委任されている将軍の務めではないのか」との声が日本中の知識人から沸き起こった。幕府はそれを無視できなかった。論理が現実政治の武器となりえたからである。
平和な江戸時代を通じて、日本史最高の知識人層が形成された。最も自分の頭で考える人間の数が多かった時代である。
たとえば、第二次長州征伐など、幕府は知識人たちの支持を得られず、厭戦気分が蔓延し、最終的に挫折に追いやられている。
日本は江戸時代以降、民意が大きな影響力を持つ国である。江戸のどの時点からかはいずれ。
しばしば民意(世論)に左右される政治はよくないと言われる。しかし、少なくとも江戸時代の知識人達に支えられた民意はどうであったか。検討課題だと思っている。
民意には、興論と世論があると思います。
知識人層やドイツで言うところの教養市民層が興した議論に基づく民意が興論であり、世論というのは単純な市井の声なのだと思います。
世論というのは極端な話、「改革します」「Yes,We Can」といった中身のないフレーズだけで形成される民意であると思います。
それに対して興論はこの砦でのレスのような声や知識人層(でも現代の自称評論家といった人々の声はどうかと思う)の議論や会話から生まれる民意だと思います。
今の日本には世論はあっても真の意味での興論は弱いのではないかと思います。
こうした興論が世論を導くのが本来の姿なのだと考えています。
この砦から興論を起こして世論へと点火させていきたいです。
おっしゃる通り。いっしょに頑張りましょう。
幕末の若者にできたことが、平成の若者にできないはずがない!
>江戸のどの時点からかは
どのあたりでしょうか。家光以降、元禄、享保あたりにはすでに確立されたのではないかと想像します。
ところで家光って実際のところ優秀だったんでしょうか。
>江戸のどの時点からかは
元禄赤穂事件(忠臣蔵)への赤穂浪士への幕府の対応の決定過程などは参考になりませんでしょうか?詳細は不明ですみませんが、将軍といえども周りの意見を無視して物事を決定する事は出来ない状況がこの時点で既にあったのではと思います。
江戸時代全体を通しては、聞きたいこと、言いたい事が他にもあります。メールを分けますので、後でまたよろしくお願いします。
倉山さん
こんばんは。いつもお世話になっております。
続きです。話が広がってしますのですが、記載させて下さい。江戸時代というと学校の教科書の教わり方ですとどうしても、
「鎖国⇒停滞の時代⇒その間に欧米に遅れをとり幕末に不平等条約を押し付けられる」
という図式を暗黙のうちに言われているような印象を持ってしまいます。1月4日で紹介された「ペリーは日本開国の恩人」という話もこれと同じ系(コロラリー)なのではと思います。
私は思いとしても、あるいは客観的に見ても「江戸時代は決して停滞の時代ではない!」と言いたいのです。安定した経済と社会の中で、技術的にも学問的にも独自の発展を遂げた(部分もある)という事を、もっと取り上げて自覚しても良いのではと思います。
学問では、詳しくなくて申し訳ありませんが、和算などは結構すごいのではと思っております。当時の先端技術(知識)、あるいは庶民生活への密着度をみても、世界と比べても決して恥ずかしくない水準なのではと思っています。(このあたりの詳しい評価をご存知の方がいたら是非とも教えてください。)
技術面では、ほんの一例ですが学生時代に知った時に驚いた事を書かせてください。江戸時代は、不定時法(1日の基準を日の出と日没に置いてそこから分けていくやり方。だから季節によって今で言う単位時間の長さが違う)を採用していたが、日本人は独自にそれに対応した時計(和時計というみたいですね)を作成していたという話です。厳密には当時、15日単位で時間を変えていたようですが(毎日ではない)、それでもすごいと思います。技術立国の片鱗は、当時からあったと思っています。
江戸時代の再考、再評価。これは倉山さんの話と同じになると思われますが、欧米の受け止め方と接し方を考える上でも、結構大きめのポイントになるのではと私も思います。
子供手当についてですが、民主党はマニフェストで「子育て・教育」対策と位置付けていますが本当に「子育て・教育」対策として行うのなら教育の立て直しとして教育機関に直接お金をつぎ込むべきではないでしょうか。
同じ金額を使うにしても、例えば一学年30人二組の中学校があるとして一クラスで年間864万円、一学年で1728万円、全体で5184万円の予算が組まれるわけです。
同じ毎月一人当たり2万6千円を投資するのなら直接家庭に投資しても子供に使われるとは限りません。
ならば、政府がビジョンを示して直接教育に投資するべきではないでしょうか?
>藤沢さん
和算の評価の難しいのは、問題に対してどういう解法があったのかてんで不明なことです。あるいは現代数学に通じる解法もあったのかもしれませんが、それがきちっとした形で伝わっていない。
高橋積胤という人がいましたが、この人が残した業績の一つに偶数方陣というのがあります。魔方陣のうち、3以上の奇数方陣は容易に作れるのですが、偶数方陣はそうではなく、しかも数字が大きくなるほど困難になります。ところが高橋積胤は30方陣を作っているのです。
技術面でいえば、有名なからくり儀右衛門でしょうか。万年時計、文字書き人形とだけ書けば十分だと思います。
仙台さん
こんばんは。はじめまして、藤沢です。
いつも楽しく拝見致しております。回答有難うございました。魔方陣の事も万年時計のことも知りませんでしたので、勉強になりました。
和算については、微積分の近い所まで迫ったような感じで書かれていますよね。座標の発想が日本から出てこなかったのは残念ですが、さすがにこれは今の視点で見ればという事になってしまうのでしょう。
和時計の中でも万年時計のことは知りませんでした。見てみましたが、まさに傑作ですよね。おっしゃる通りです。不定時法の事を知らない人もいるかもと思いまして書きましたが、知っている人にとっては確かにくどかったと思います。
正直、今回の話はこのサイトでは守備範囲の外で誰からも回答が来ないのではとも思っておりましたが、驚きと共に勉強になりました。このサイトの幅の広さと深さを感じました。またこれからも宜しくお願いします。有難うございました。
そういえば日本文化史では、文学と歴史学については古くから発達していたように習いましたが、「理系史」ってあんまり聞いたことないですね。せいぜい塙保己一の「群書類従」が挙げられる程度でしょうか。和算については中学でも高校でも聞いた覚えがありません(もしかすると、私が世界史選択であんまり日本史を真剣に勉強していなかったために忘れてるだけかもしれませんが)。
「江戸時代の理系の人々」というテーマでスレ立てしても面白いかもしれませんが…ムリだろうなぁ。こればっかりは専門性の高い話が多いから。