年賀状出せずの件、お詫びと生島さんの寒中見舞い御紹介

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 年始以来、仕事がまったく出来上がらず、よってメールの方への返信以外の年賀状を一枚も出せず、失礼しました。色々と動いておりまして、ご挨拶の機会はあろうかと思いますので、現在の仕事が一山超えるまで少しお待ちください。ご寛容の程、宜しくお願い致します。

 ということで、この砦の記事は「亡国前夜」のような執筆時間がかかるものではなく、短い時間で書けるもの中心になると思います。ちなみに今年に入ってからの記事、ほとんどが30分くらいです。4日のだけ、書き始めてから思わず長くなりましたが。

 さて、この砦でもことあるごとにご紹介している、特定失踪者の生島馨子さんから寒中見舞いが届きました。生島さんの妹さんの孝子さんは今年で69歳になります。あの国のような劣悪な医療環境の国に住んでいるだけで、どれほど心配になるか。生島さんのお母さんのうらさんは、再会を99歳まで待ちながら、5年前にお亡くなりになりました。

 その頃の、西村眞吾さんのブログを以下に。後世の歴史家から「当時の日本人は一体何をやっていたのだ」と冷笑されること必定でしょうね。我々が昭和十年代の日本人を愚劣呼ばわりしているように。

 http://www.n-shingo.com/jijiback/256.html

 生島さん御自身も70歳を超えています。仮に妹さんが帰ってきても肉親はお姉さん一人です。拉致問題の解決には時間がないのです。どこぞの木っ端役人や人気取り政治家のように「相手の出方を見つつ、粘り強く交渉を」などと発言することが、いかに人道に反するかはお分かりでしょう。

 

 昔、男ありけり。山村新治郎と云ふ。よど号犯人に取られた人質と身代わりとなった運輸政務次官なり。世の人は「身代わり新治郎」と誉めそやしたとか。

 

 別に、どこぞの木っ端役人や人気取り政治家に「お前が代わりに住め」といっている訳ではありませんので。あしからず。というか、どこぞの木っ端役人とか人気取り政治家の数、拉致された罪な気日本人の数より明らかに多いので、誰とは言えないのが困る。しつこいが、職業柄、後世の歴史家の視点に立ってしまうので、一体どういう国なのかと思ってしまう。

 

 生島さん、ご母堂様が亡くなられてから5年、まだ年賀状を書けないそうです。喪中のままということです。

 去年の10月23日以来の再掲ですが、クリントン大統領の言葉で締めくくります。

 最後の一人を取り返すまで絶対に諦めてはならない。もし北朝鮮が話し合いで解決しないなら、いかなる手段を使っても、戦争を含めたあらゆる国家の総力を挙げて、取り返すべきである。一歩も譲歩してはならない。もし一人でも生きて祖国の地を踏めなければ、その人が死んだ場所にお墓を立てなければならない。国家は永遠に贖罪し続けなければならない。そしてそのお墓には、なぜその人がその場所で死ななければならなかったのか、墓碑銘に刻まなければならない。