高杉晋作の雄弁(前編)

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 幕末の争点を開国佐幕に対して尊皇攘夷と習った方は多いと思う。しかし、当時は本気で攘夷が可能であると思っていた責任者などいないのである。せいぜい異人斬りくらいである。
 薩摩藩が生麦事件で薩英戦争を行ったが、それは不意の事件である。

 唯一例外が長州藩とされる。

 長州藩は朝廷に接近し、徳川将軍家をここぞとばかりになじり続けた。「征夷大将軍のくせに、夷狄(=野蛮人=外国人)を追い払わないとは何事か」と。野党・反主流派は政権担当者を攻撃する時に、実現不可能な正論を唱えることもある。最近のどこかの国の「札入れ」でも、舶来品の「まにゅふぇすと」なる珍品が流布されたらしいが、それと同じである。

 で、これをやりすぎると困るのが、いざ自分が責任をとる立場に追い込まれた時である。どこかの国では、前の政権の財政政策が悪い、ですべてを誤魔化そうとしている。

 しかし、この場合の長州藩は「戦争をやれ!」と主張してきたのである。しかも、本当に「攘夷の勅許」が降りてしまった。他の藩は「今までさんざん大きなことを言ってきたのだからお手並み拝見」との態度を決め込む。

 最近の研究によれば、長州藩は一度打ち払って威嚇した後に、「武備充実」に持っていこうと考えていたらしい。エゲレスとかオソロシアは狙わず、アメリカとかオランダとかの小国やせいぜいフランスだけにしておこうと考えたらしい。それでも仏米に返り討ちにあったが。
 その挙句に大英帝国を盟主とする四国連合艦隊に下関を砲撃され、陸戦隊に荒らしまわられるのである。(ちなみにこの時の恐怖感で山縣有朋は対外政策に慎重になったらしい。)

 当然、かのエゲレス様はあらゆる要求を突きつけてくる。賠償金だの領土割譲だの。難しい交渉である。成功するはずのない仕事など誰もやりたくない。そこで長州藩の嫌われ者の高杉晋作に白羽の矢が立ったと言えば聞こえが良いが、汚れ役が押し付けられた。

 英清戦争(アヘン戦争)後の上海を訪問した経験のある高杉は、領土を割譲した敗戦国の惨めさを知っている。あらゆる点で譲歩を重ねた分、領土割譲だけは突っぱね続けた。
 

 英国代表は遂に切れて禁断の一言を発する。

「お前らは敗戦国だろうが!」

 現代の亡国前夜のどこぞの国の外交官などこの一言で終わりであろう。この時の英国代表の発言は戦勝国としては自然である。これを言われたら黙るしかなく、嫌な要求を呑まざるを得ない。自分の経歴に傷がつくから、みんなで高杉に全権代表を押し付けたのである。合理的だが、負けているのだから理屈が全部通れば、国益を損する。学歴秀才や草食系男子はこれがわからないのである。どこかで一発逆転を狙わなければ駄目なのである。

 高杉は一点狙いのために、その他の論点でひたすら常識論で耐えているのである。そして絶対に譲ってはいけない一線に関して、「他の点では今まで全部譲ったでしょ・」とばかりに一発ハッタリをかますのである。

 その高杉晋作の返答がすごい。

「今度やったら勝つ!もう一度やるか?」

 驚き、呆れ、感心した英国人は「こいつは使える奴だ」と、仲良くする道を選んだ。もちろん長州藩はかけらも土地を割譲していない。

 時に理屈として正しいかどうか以上に、その人間の発した言葉が強いかどうかが大切な時がある。
 真の雄弁とは、気魄に裏付けられているものである、との教訓として受け取っている。

 

 後編、もっとすごいです。