今週の「ゴーマニズム宣言」の竹田恒泰批判に関して

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 今週の『SAPIO』の「ゴーマニズム宣言」で小林よしのり氏が一本分を丸々費やして、竹田恒泰氏への批判を展開しておられる。この砦にレスをつけてくださっている方々の中にもどう反応してよいかわからない方も多いかと拝察いたしますので、私の見解を述べたいと思います。その上で皆さんがご判断して頂ければと思います。

 個人的には、小林よしのり氏は間違いなく歴史に名を残す漫画家として尊敬しています。ちなみに『厳格に訊け!』が一番好きですよ。『ゴー宣』の中でも「南の島に雪が降る」とか、涙なしに読めない傑作だと思いますし。現実と作品の境界を越えて緊張感ある世界を作り出すという意味では、梶原一騎以上の存在だと思っています(これ、マンガに詳しくない人のために解説しておくと、最大級の褒め言葉です)。

 また、彼が日本を思う立場で言論活動を行っているのは間違いないでしょうし、実際にこれまで多くの言説で世の中を動かしている以上、敬意を払う存在だとは思います。一部に「商売でやっている」との批判があり、御本人も過剰に反応しているところもあるのですが、それは別に構わないでしょう。「商売として成立する」ように、色々な運動を盛り上げるということ自体は、良いことであってもそれ自体が悪ではないのですから。小林氏の本心が本当に純粋か不純かなど、本人しかわからないのですから、彼の言動に関してのみ各々が賛否の立場をとれば良いだけの話なので。

 その上で、私が親しくさせていただいている竹田さんに関して、「これは一線を超えて人格攻撃になっているのではないかな」と思われる微妙な表現が散見したのは如何なものでしょうか。

「「偽ブランド」で商売をしていると勘繰られても仕方がなかろう」「定職に就いた様子はない」「ずいぶん政治色の強い人物のようだ」「詐術」「卑劣」、などはどうしても使わねばならない表現だったとは思えないので、筆の走りすぎかなと解釈しました。

 私が懸念するのは、件の皇室典範論争の時は下積みの立場で色々と偉い先生たちの議論を裏方で仰ぎ見ることが多かったのでその経験から言うのですが、皇室を思うあまり感情的な表現を使いすぎる傾向がどなたにもあるということです。普段温厚な先生方同士が感情を剥き出しにして罵り合う光景は見るに堪えなかったので、少なくとも私の砦の読者の皆様には、感情的な表現だけは慎んで頂ければと思います。いつ味方になるか分からない人に対して批判ではなく非難を行うのは問題のある感覚です。

 内容への疑問と誤解に関しては以下に列挙します。

 主題は「旧皇族の皇籍復帰は非である」ということで、つまり「一度でも民間人になられた方やそのご子息が皇族に復帰して、天皇になる可能性があるなどとはそれこそ問題である」とのことです。もしこの通りの主張ならば、宇多天皇の先例もあり、宇多帝御自身が相当な御苦労をされた事実を思い起こせば、なおさら苦難の道であり、現実的には国民の理解を得るのが難しのは確かでしょう。

 ただ、私が考える「旧皇族の復帰」とは、「旧皇族の方々に皇族に復帰していただいて、その御子息の方々に皇族としてふさわしい御教育を用意し、万が一の時に備えていただく」という意味ですので、小林氏の批判される「旧皇族復帰案」とは違う内容です。つまり、現時点で民間人として生活されている方々が天皇になられることはありえない訳です。よって、小林氏の懸念に関しては論題充当性がないので答えようがない、というしかないのです。

 「竹田氏は全然気づいていない。」の後に、「皇居内に悠仁親王が一人でのこされてしまう」と続くのですが、これは完全に小林氏の誤解です。将来、秋篠若宮殿下が即位される際には、皇族が一人もいなくなる、というのが竹田さんや私の問題意識ですから。この砦でもそれは何度も強調しているくらいですから、「竹田さんが気付いていない」とはまったくの誤解です。むしろこの点で、小林氏と竹田先生は完全に問題意識は一致しています。解決の方法論はまったく逆ですが。

 旧皇族の方々が何親等離れているかの議論ですが、これは継体天皇・後花園天皇・光格天皇の先例、そして宮家創設の先例を検討する上での議論だと思います。その解釈によるのですが、私は「何親等以上離れたら不可」という先例はないが、「女系」は先例がない、との立場です。「Y染色体」云々の議論は、私は竹田さんと一度もしたことがないので、「そういうことを言ったことが、八木さんの発言に賛成していたかな」くらいの感覚しか持てないのですみません。

 竹田先生の憲法無効論批判と「国民が決めればよい」は、佐々木惣一・大石義雄両先生以来の京都学派伝統の憲法論ですので、結論だけ取り出して論評するのは危険です、としか言いようがないです。この砦でも近いうちに解説します。竹田先生・佐々木先生・大石先生のいずれも占領憲法全肯定のお立場でないことだけは確かです。

 最後に。竹田さんは色々な揶揄にさらされていますが、御自身の立場を考えるのであるならば、社会に向かって声をあげる必要がない立場にあった訳です。言論界にいる以上、竹田先生の御意見にすべて賛成せよなどというのは愚かなことであって、聞いた人が自分の頭で考えて賛否を表明すれば良いのですが、一つの議題で立場が異なっても、また別の議題では同じくする可能性もある訳です。そして立場が異なる敵であっても尊敬できる相手も存在する訳です。

 竹田先生への小林氏の批判がどういう方向に飛び火するかわかりませんが、感情的な対立になることだけは望みません。繰り返しますが、賛否いずれにせよ、相手への敬意を払った議論を望みます。

 少なくとも私は小林氏とは女系天皇論に関して意見を異にしますが、敬意は払います。