亡国前夜(10)―自民党はなぜ敗北したか

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 自民党はなぜ敗北したか。講演などでは「鎌倉幕府が滅びたのと同じ理由」と述べています。ということは民主党政権は???

 さて、本題。

 自民党が敗北した理由としてまったく間違っているのが、「麻生太郎が漢字が読めなかったから」である。そんなものは単なる現象であって本質でもなかろう。

 翻って考えよう。池田勇人などは所信表明演説で「能ある猫はヘソ隠す!」と自信満々に述べて国会中の大爆笑を誘い、「君達、人が真面目に演説しているのになんだ!」と本気で怒ったので、さらに自民党も社会党も一緒になって笑いあったという逸話も残されている。

 では麻生と池田の違いは何か?麻生は慢性的不況(要するにデフレ)下の総理である。経済が上手くいっていない時にアホなことを最高責任者に言われたら国民は殺気立つ、というそれ以上でも以下でもない現象である。逆を言えば経済が上手く言っていれば笑って許されるのである。

 池田は高度経済成長を成功させた総理大臣である。戦後政治家の中で唯一、日本をどのような国家にするかという意味での国家観を描き、病気で退陣するまでほとんどすべてに成功しているのである。最も成功した池田の理念は、「日本は特別な金持ちなど居なくても良い。皆が真面目に働けば、皆が豊かになれる社会を実現するのだ」である。これは一時期「総中流意識」などと揶揄されたが、「ごく一部だけが特権階級、ほとんどすべてが下流」などという今と比べていかがか。もはやなつかしいを通り越して夢物語であろう。しかし確かに存在したのである。

 確かに池田には、吉田茂首相や石橋湛山蔵相のような優れた上司もいたし(もうひとり重要人物がいるのだが、それはいずれ論文か本にしたいので企業秘密)、前任首相の鳩山一郎や岸信介は既に高度経済成長路線を走っていたし、そもそも下村治のようなブレーンの発案がなければ出てこない発想だが、それでも高度経済成長により、極端な金持ちは居ない代わりに極端な貧乏人は出さないという社会を築いた功績は、誰よりも池田勇人に帰すべきであろう。その後の自民党は池田の遺産を食いつぶしていたと断言できる。

 自民党が政権を維持できたのはなぜか。民主党登場以前は、野党第一党の座に日本社会党という、政権担当意欲が皆無な、政党と呼ぶのもおこがましい院内会派兼圧力団体が居座っていたから、国民はどんなに与党に不満でも現実的には自民党しか政権の選択肢がなかったからと言える。ただこれだけでは、自民党が時々大勝した理由が説明できない。そのような消極的な理由だけなら、自民党も社会党も両方とも目減りしなければならないが、社会党だけが一方的に減退しているのである(例外が土井たか子のマドンナブーム)。

 昭和五十一年のロッキード三木おろし選挙が「支持政党なし」のいわゆる無党派層が発生したとされる。これ以降の12回の衆議院選挙で、10回は無党派層の動向で風が吹いたと言われる。つまり、世論の風により勝者が決まっているのである。自民党は5勝5敗である。

 内訳は、

三木・・・ロッキード事件と三木おろしへの反感で大敗。新自由クラブ躍進。

大平・・・一般消費税導入発言への反発でさらに大敗。伯仲国会に。

大平・二回目・・・大平の死への同情票で大勝。

中曽根・・・田中角栄有罪判決で大敗。伯仲国会で新自由クラブとの連立を余儀なくされる。

中曽根・二回目・・・衆参同日解散を断行し大勝。

海部・・・社会党政権への不安を煽りまくり、議席は減らしたが安定多数を獲得。

宮沢・・・政治改革解散。新党ブームで大敗。野党転落。

(橋本・・・特に風なし。与党を確保。)

(森・・・意外と風が起きず。与党を確保。)

小泉・・・小泉ブーム。大勝。

小泉・二回目・・・郵政解散。史上最高の大勝。

麻生・・・政権交代選挙。民主に大敗。

 

 そもそも自民党とはどのような政党か。社会党ではなくて自民党でなくてはならない理由はなんだったのか。

 これは私の独自の説ではなくて、浜田幸一という政治評論家が言っていたのだが、自民党の存在意義は「富の公正配分をすることにある」だそうである。これと同時に、「自由主義陣営の一員として日米安保条約を守り云々」となるのだが、それは如何なものか。池田の死後の佐藤内閣では、主権国家としてまともな国防政策をやめているので。

 つまり、自民党は経済が元気で、利権を配れる以上は政権政党でいられたのである。上で言えば、中曽根内閣まではバブル期で何とかできているのである。闇将軍と言われた田中角栄の本質はアメである。ムチを与えようにも、三木武夫や検察庁に塀の中に落とされた田中が生き残るにはアメを与え続け、自民党内に巨大派閥を維持し続けなければならなかったのが実情である。私は田中角栄という政治家に、特に総理就任後に関しては、むしろ哀れを感じる。

 一方で失われた九十年代は竹下支配の時代である。配るアメがどんどん縮小していく時代である。島根県の人間なら誰でも知っている話だが、別に竹下に政治献金をしても利権にありつける訳ではない。ただ支持しないと絶対に排除されるだけである。自民党と圧力団体の関係もこのようになっていく。自民党に勝てる政党が登場するまではこのような状態が続くのは必然であろう。竹下登の本質はムチである。私は竹下登という政治家に、悪魔性を感じる。

 竹下登は十ヶ月だけ権力の座を譲り渡したが、死ぬまで権力を手放さなかった。確か島根の、竹下の葬式に財務事務次官が駆けつけていなかったか。そんなの竹下の継承者への忠誠の儀式でなくて何か。(この辺り、政治評論家の渡辺乾介がこれでもかと描写していた)

 それでやったことは?失敗し続けた経済政策?

 できあがったのは?あと一歩でとりかえしのつかない格差社会?

 大体、マネーサプライ(市場に出回らせる通貨の量)を十五年いじらないって、どういうことだ?つまり、ペーパーマネーが希少品になるから価値が上がって、ということは手に汗流して働くことの価値が下がることでは?それは博打みたいな人生をやってたまたま当ったIT長者だけが得をするという社会の到来では?

 今の慢性的経済不況を小泉改革の責任にする人が多いけど、根本的には竹下の責任では?

 小泉時代の経済政策に関してはただ一言。中途半端なカンフル剤!それ以外で本質的に付け加えることがあればご教示ください。

 

 次回から小泉編に入ります。内容は、

 「小泉純一郎の政治改革と限界」と「世にも不思議な物語」です。先にラスボス登場編(=愛国者激闘編)ができあがりましたが、小泉編はサラリと終わりたいです。もしかして小泉がラスボスだと思った人はいました?

 

 それにしても、民主党政権。格差社会を少しでも良くする気配、皆無ですな。日本の富を同増やし、どう配るかに関して、何かを考えているようにも思えない。自民党もだが。

 そもそも自治労って政府に寄生しようという集団なので、公正などという概念が無いからなあ。池田勇人が「富の公正配分」「総中流社会」のようなことを考えたのは、訳のわからない社会主義者に日本を食い荒らされないためでもあるのだから、単に経済政策を超えて、思想戦とか安全保障政策の意味でも意義があったと思う(この辺りは、日本の地政学の普及者である倉前盛通先生も「池田にはグランドデザインがあった」とおっしゃられていた)。

 特定の老人が若者を搾取する社会、いい加減に断ち切らないと。

 ついでに外国人参政権にも一言。

 若者は選挙権や被選挙権がありませんし、公務員の地位にもありません。一方で、特定の在日外国人も同様ですが、特定の日本の政治家に巨大な影響力を行使しています。例えば、政治献金をしたり、選挙でタダ働きをしたりです。

 日本の若者が何もしないと、彼ら日本を乗っ取りたい人に二度と逆らえなくなります。まずはできることをしましょう。とりあえず、この砦を毎日見て、書き込みをして、一人でも多くの人に伝えましょう。参加できるイベントには全部参加しましょう。そこにどれだけの若者が集まっているか、本気で国を思う若者が集まるだけで、大人たちの見る眼が変わります。

 老人達が無茶苦茶にした我が日本!守るのは青年です!

 最後に吉野作造の口癖。

「時代を動かすのは常に青年である!それはいつの時代、どこの国家でもそうである!」