亡国前夜(8)ー竹下登と内閣法制局

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 中村明『戦後政治にゆれた憲法九条 内閣法制局の自信と強さ』(中央経済社、一九九六年)によると、村山内閣組閣直後に、総理と大出法制局長官が二人きりで一時間ほど会談したらしい。その直後に村山は盟友の野坂建設大臣に「駄目だ。あいつらを敵に回したら政権は持たない」と漏らし、自衛隊・日米安保以下全部容認したという一幕があったらしい。

 社会党五十年の歴史を一時間で放棄させる内閣法制局。何者なのか。語りだすとそれだけで一冊の本になるのだが、最も大事なのは戦後の第三代長官・高辻正巳である。この人、佐藤内閣を通じて長官を務めた。つまり、法制局を護憲の府にした人である。最高裁判事を経て竹下内閣法務大臣に就任した。

 竹下登『証言保守政権』(読売新聞社、一九九一年)によると、予算がついた法律に対しても「憲法違反」との判断を下して、その政策そのものを無効にしてしまうのが内閣法制局である。昨日は全省庁の上に財務省(主計局)があると書いたが、そのさらに上に法制局がいる構造が出来上がっているのである。「官僚機構」などという表現にも注意が必要であろう。

 たとえば小沢氏の法制局嫌いは有名だが、「議員立法の実質禁止」などと彼の言うとおりの政策を採れば、すべての法案は法制局の審査の下に置かれるのである。国会はその翼賛機関と化してしまう。小沢さん、わかって裏で法制局とつるんでいるとしたら相当のワルだが、わかっていないとしたら相当のバカである。私は裏情報などは知らないので判断しない。

 竹下と法制局の関係などこれからの研究課題なのだが、佐藤・竹下と法制局の蜜月だけは容易に想像できよう。ちなみに竹下は何かやりたいことなどないが、法制局は自分達の過去にやってきた歴史は守りたいのである。彼らの権力の源泉は「あいつらは法律に詳しい」なので、過去の言説との矛盾を疲れるのだけは嫌がるのである。それに対して竹下には守るべき理念など何もないのである。

 日本憲政史の法則。「指導力に注目してはならない!拒否権の強さに注目せよ!」

 竹下と法制局が本気で対立するなど思い出せないが、この点でも何かしたいことがない竹下は日本国憲法下では無敵なのである。

 村山政権ではただひたすらすべてが行政的に処理されていく。社会党の歴史的転換は政治決断でもなんでもなく、お役所的ルーティンワークなのである。

 退陣に際して「憲政の常道に従い、自民党に政権を譲る」とはよくもぬけぬけと言ってくれたものだ。この一言で私は村山富市を絶対に許せない。単なる政権たらいまわしではないか。

 ついでに橋本内閣でもルーティンワークは続く。竹下元老の下で、役人の心太人事の感覚で、最も忠誠心が高かった橋本、しかも政治家にまるで人望がないので反逆能力ゼロだった橋本が宰相に就任し、何の国家戦略もなく、ただ目の前の情勢にだけ対処していく。

 こういう風に政治家が本来果たすべき「国家の方向性を示す」をやらないと困るのは誰か。真面目に仕事をしている役人である。自分達が必死になってやったことが、全部無駄になりかねないので。

 この時期に良かったことをあえてあげると、橋本龍太郎と小泉純一郎が争った自民党総裁選挙は良かったかなあ。まじめな政策論争だったし。

 政争においては、表の親衛隊長の梶山静六と、かつては裏にいたが表の世界でも台頭する竹下側近の野中広務の角逐が激しくなる。これが自民党政治を本質的に変えていくのである。

 次回、「再考!平成十年自民党総裁選!」