今回は「大学でできない」というより、「大学で言い足りない」講義、です。今週の日本国憲法の授業は「参政権と国務請求権」でした。毎年、時間調整に使っているような回なのだが、時節柄、ほとんど授業が時局講演会になってしまいました。
まず、日本国憲法第三章は「国民の権利」である。「人権」と言い換えている東大憲法学のような人々がいて、最近は京都学派の人まで同じように使うから困るのであるが、あくまで「国民の権利」である。完全に置き換えることはできない。
さて、第一問。人権の反対語は何か?
解一=物権。帝国憲法では「人権」などという概念を使っていないので、「人権」などは民法上の概念としてしか扱われなかった。
解二=特権。
「国民の権利」には「人権」もあれば「特権」もある。つまり「国民の権利=人権+特権」の公式が成立するのである。
「人権」とは、人が人であるという理由だけで認められる権利である。
一方で、「特権」とは「人権」以外の権利である。人間全員にではなく、特定の人にだけ認められる権利である。
では第二問。以下の権利は「人権」か「特権」か。
その一。何の理由もなく生命・財産・自由を奪われない。
解。近代憲法学の考え方では「人権」である。これが認められないと、人間は家畜と同じである。西欧ではこれが当たり前ではなかったので、あるゆる人間に人権を認めよう、人間は家畜ではないのだ、などと「人権」思想が発明された。昔は基本的人権と言ったような。この部分は「人権」でも「国民の権利」でも「臣民の権利」でも、まったく代替がきく。
その二。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利。
解。一九一九年ワイマール憲法が発明した「人権」である。ただ息をしているだけではなく、人間らしい、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利まで認められて人間である、という考え方である。では「不健康で、非文化的で、最低限度以下の生活を自らの意思で選択する自由はないのか」、などという司法試験で出された超難問(愚行権について)もあるが、今日は省略。最近は「生存権」などという紛らわしい名前を使っているが、その一がマイナスをゼロにする権利ならば、その二はゼロをプラスアルファにする権利である。佐々木惣一先生は「生活権」と称していたが、適切と思われる。今はその一もその二も、まとめて「人権」とされる。
その三。選挙権。
解。「特権」である。大学ではこれを「人権」と教えざるをえないので良心の呵責を感じる。
中世ヨーロッパ神聖ローマ帝国では、皇帝の選挙権のことを指した。七人の選帝侯と呼ばれる超特権貴族にしか認められなかった。後に九人に増えたが、フランス国王など毎回門前払いである。日本国憲法が大好きな古代ギリシャの直接民主制でも、選挙権は戦争に行く義務を果たした市民だけの特権であったので、女子供奴隷に選挙権はない、もしくはまともな人間として認められなかった。
選挙権は国民の権利ではあっても、国民だけに認められた「特権」であって、「人権」ではないので、国民以外の人々に認める必要はない。ついでに言うと、天皇皇族は賛成権の対象ではないし、未成年には認められていない。少なくとも、その一とは明らかに性質が異なろう。
これを外国人に与えると想定する根拠、是非とも教えて欲しい。賛成論者の本をいくら読んでもどこにもまともな根拠を書いていないのは、これまでのこの砦での話の通り。
さて参政権とは何か。
選挙権(公務員選定権とも言う)・・・国会議員、地方議員、首長の。間接的には総理大臣も。
被選挙権・・・上に同じ。
公務就任権・・・国家及び地方の幹部職以上を想定されたし。(被選挙権も含めてもよい。)
公務員罷免権・・・首長・地方議員・幹部公務員(副知事など)に対しては解職請求を直接できる。間接的には総理大臣や国会議員に対しては、選挙権を通じて行っている。
ついでに地方自治では、住民投票や住民発案(条例制定改廃要求)という形式で政治参加の道が開かれている。
参政権とは政治に参加する権利である。なぜ国民として運命を共にする気がない人に認める必要があるのか。外国人だからと命を奪うのは良くない。当たり前である。双方の国民の権利として尊重しあいましょうという考え方は文明国の付き合いとして当然である。
翻って、その国の政治に参加する権利は歴史的にも、理論的にも特別な権利である。なぜ外国人に認める必要があるのか。
民主党、上記の参政権をどこまで認める気か。平成二十三年の統一地方選挙で実施したいらしいが、せめてまともな理論的根拠を示すべきである。
「某都知事、在日外国人への差別的思想の持ち主との疑いにより、住民の解職請求により知事を辞任」などという暗黒社会にならないようにしなければならない。
ちなみに最近驚いた東大憲法学の言説。
「しょせん宮沢俊義先生は国家主義者だった。在日外国人参政権には反対の立場であった。」
こいつらの頭の悪さ、底なしである。
ついていけない。