今更「読売改憲試案」

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hnさん、志木さんのレスをきっかけに、「読売改憲試案」を読み返してみました。

ひどい!ひどすぎる!これなら今の憲法の方がはるかにマシ!

という、憲法学の知識ゼロで読んだ時の感想と同じです。二〇〇四年版も根本的に頭の中身は同じで、まともに論評したくない代物です。もちろん、今の視点で観ると、さらに穴が目立ちます。あえて二つだけあげておくと、一つは「国体の前に政体を決めてどうするの?」ということです。米国のように国体と政体が一致するならまだしも、日本という国家の前に民主主義があるという前提がおかしいのでは?では民主主義の価値って何ですか?と言いたくなります。民主主義にも色々あるのに、「ファシズム=悪いもの」対「デモクラシー=良いもの」という単細胞な理解で、我が国の憲法の最初に民主主義を持ってこられても困ります。この草案、完全に東京裁判史観の反映です。

 もう一つ、彼らは今の憲法九条の戦力不保持と交戦権否認を否定している点を主張したいのでしょうが、それならば、晩年の松本烝治博士が無効論の菅原弁護士に述べたように「九条二項のみ廃止、あとは改正規定の緩和で真の日本の憲法を論議する時間を作った方が国民教育にも真の憲法論議にもなる」と述べましたが、現実論としては傾聴に値すると思います。

「読売改憲試案」のような日本国憲法の価値観を全肯定して、さらに改悪するような憲法になるくらいなら、私は護憲派です!今の条文を固守します。しかし、今の憲法を根本から国民全体で見直さなければならない。よって、今から、日本国憲法の価値観に基づかない、「記紀」以来の歴史と伝統と文化に基づいた教育が必要である。これが『正論』6月号での竹田さんと私の一致した立場です。そんなに多い訳ではないですけど、「竹田さん護憲派対倉山改憲(無効論?自主憲法制定?廃憲?)派」のような誤読をされた方がいましたが、あの対談は同じ事を二人でまったく別の角度で言っているだけです。憲法論議は結論だけが大事となると条文いじりに終始します。「帝国憲法講義」で散々「条文いじりではない憲法論」を唱えているのですが、最低あと六年、楽観論の範囲であと二十年くらいは同じ事を言い続けなければならないのだな、と思っています。

「読売改正試案」のような代物、学部生の憲法学の知識があればありえないのですが。こういう代物が出てくると、「これだから改憲派は頭が悪い」などと護憲派東大憲法学に言われてしまうので、―実際に言われています―困り者です。

 あと、かしわもちさん、私の代わりに丁寧な解説ありがとうございます。

「皇室典範」の原文は、『六法全書』に普通に載っています。

 いわゆる「人間宣言」の原文は、白黒ですけど画像で見られます。画像閲覧システムは無料ですぐに取り込めますので、ご安心を。

http://www.jacar.go.jp/

で、「新日本建設に関する詔書」で検索すると一発ヒットします。「人間宣言」などと入れても、そんな文書は存在しないのでご注意を。