亡国前夜(2)ー「憲政の常道」を破った三角大福

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 鳩山故人献金問題、検察が本気になれば、いくら国民が忘れてもそう遠くない時期に問題となるであろう。「親の鳩山威一郎の代からの慣例でした」が言い訳になると思っているのだろうか。それだけ悪質だと言うことにしかならないのだが。

 いずれにしても、この「亡国前夜」の主題は「政権たらい回しは許さない!」である。追い続けていきたいと思う。

 

 さて、「三角大福」とは、三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫の次々と総理を努めた政界実力者である。あまりに政争が激しく総理の入れ代わりが激しいので、中堅代議士だった竹下登は「歌手一年、総理二年の使い捨て」と揶揄した。三角大福の平均政権担当日数は本当に二年である。問題は、この人たち、揃いも揃って「憲政の常道」を無視しているのである。

 「政権交代したら総選挙に訴える」「与党第一党の総裁のみを総理大臣候補とする」という、戦前の政友会や民政党が守っていた、「憲政の常道」の最低条件すら平気で蹂躙しているのである。

 田中内閣は実は弱体政権である。福田赳夫と争った総裁選の票を見ればわかるのだが、大平・三木に加え、中曽根康弘の支持がなければ負けていたのである。田中本人はそもそも総選挙を先延ばしにしたかったらしいが(それ自体が「憲政の常道」の蹂躙であるのは、池田勇人の項で説明した通り)、社会党・公明党・共産党の野党連合に総選挙に追い込まれるような有様であった。それでも新内閣発足から半年で解散総選挙に打って出ただけまだマシだが。

 次の三木内閣は、弱小派閥からの選出であり、「三木おろし」が年中行事であった。この総理、口を開けば「世論を信じる」などと言いながら、遂に解散を決断できず、現行憲法下で唯一の任期満了解散になっている。自民党は史上初の過半数割れを起こし、その敗北の責任を取って退陣するのだが、野党第一党の社会党は何も言わなかった。誰も当時の社会党に政権担当能力など期待していないので忘れているが、戦前なら与党第一党が政策で失敗したら、野党第一党は政権を要求したのである。濱口雄幸はそうしたし、戦後でも吉田茂は片山内閣退陣に際して同様にしている(この話が最重要なので、詳しくは後日に。)。まじめに政権担当する意思と能力がない野党第一党の存在は民主制にならない。これは今の自民党への批判であり、期待である。

 福田内閣も党務を大平幹事長に握られ、福田派の拡充を嫌う大平や田中角栄に阻まれて、解散したくてもできなかった。別に今の話や、羽田孜総理が小沢一郎新生党代表幹事の反対で解散権を行使できなかった話を思い出せとは言っていませんので。念の為。

 大平はようやく解散をしたのだが、その後の過程があまりにも無残である。総選挙で過半数を割ったにも関わらず、しかも本人は責任を取ってやめたがったのだが、田中角栄の「君に辞められたら俺が困る」という一言で説得された気になって翻意した。挙句に退陣を迫る三木に対して「では自分が辞めて社会党に政権を渡せと言うのか」と開き直っている。開き直る方も問題だが、「そこまで非現実的な話はしていない」と返す三木も三木である。いや、ここまで存在価値がない野党第一党の社会党が問題か。

 そして悪名高い「四十日抗争」が起きる。自民党が首班指名候補者を決定できないのである。この前の「麻生の名前は書きたくない」どころではない。今年は誰もが鳩山総理の実現を現実的には疑っていなかった。この砦で書いた話はあくまで理論上の問題である。しかし、この時は、本当に誰が総理大臣になるかわからなかったのである。総選挙の意味が無くなったのである。そして自民党から大平と福田の二人が首班指名候補に立つという前代未聞の事態が発生してしまうのである。

 「憲政の常道」とは、本当は総選挙による政権交代が望ましい、そうでない交代の場合は事後に総選挙に訴えなければならない、が骨子である。つまり国民が総理大臣を選べることに意味があるのである。これは英国でも戦前日本でも同じである。池田勇人は明らかにこれをわかっていたし、あえて不利な状況でも総選挙で国民に信を問うたのは前回の通り。

 野党第一党の社会党に政権獲得の意思がない、与党の自民党は総選挙よりも党の総裁選挙の決定が優先する。ここに「憲政の常道」は破られたのである。「憲政の常道」を破った政権は安定しない。これが原理である。当たり前である。国民に信を置かない民主性など、いくら憲法典に立派な条文が書いてあっても無意味である。それこそ「外見的民主制」とでも呼べばよい。憲法学者や歴史学者がよく帝国憲法のことを「外見的立憲制」などと呼ぶが、では日本国憲法はどうなのか。共産主義を信奉しているらしい憲法学者や歴史学者は自民党の支持者の訳ではないのだが、それならばそのような自民党政治を許している日本国憲法体制を批判しなければ筋が通らないではないか。

 何が何でも帝国憲法を悪魔化し、日本国憲法の悪口は言いたくないと考えている輩。

 やはりアカですらない、ただのバカだ。

 それはさておき、三角大福の混乱期の原因、戦前二大政党はいかに政争が激しくても守ったような規範すら無視したから混乱したのである。

追記:民主主義と憲政の常道の違い

 日本国憲法に「民主主義」「国民主権」の原理を入れることに、松本烝治憲法担当大臣は最後まで抵抗しました。その理由は「そんな無責任はできにない。国民に怒られる」です。

 現在の日本国憲法の運用においては、「憲法の番人」のはずの最高裁に政府からの人権擁護を訴えていっても、「国民に選ばれた国会の作った法律には合憲の推定が働く」「国家の重大事である統治行為は主権者の意思を尊重すべきであり、最高裁は判断すべきではない」「政府は国会により選ばれているが、最高裁は国家や内閣より国民より距離が遠いのでおいそれと判断はしない。よって政府の裁量は相当広範に認められるべきである」などと、文明国の法常識がある外国人が聞いたら失神しそうな詭弁を押し通しています。これを正当化しているのが芦部憲法学ですが。

 やたら複雑な言い回しの東大憲法学や最高裁の判例を大根切りに解説しているので細かいところは省きますが、要は今の憲法体制では、

「政府や国会のやったことは全て国民の責任」

というのが民主主義の意味なのです。松本大臣の懸念は見事に的中しました。例えば、現に裁判員制度が導入された時の最高裁事務総局の言い訳が「主権者に選ばれた国会で決まった事ですから」でした。こんな例、探せばほぼ無限に出てきます。例えば最高裁の判例集とかオンパレードですから。

 すべての立法を個々の国民が行おうとしたら直接民主制しかありませんが、それは物理的に不可能です。だからこそ、選挙区の議員は自らの手で選ぶ、が選挙に意味を持たせる最低要件です。少なくとも「この人は、公約の全部を実現できなくても、不誠実な約束を破り方をしない人格の持ち主だ」と判断する機会が与えられます。この辺りの詳しい話はE・バークが詳しいです。

 その最低限、しかも今の日本では当選して最初の国会で行う政治活動が首班指名選挙の投票、すなわち総理大臣を選ぶことです。その総理大臣の選挙で自分の選んだ代議士が誰に投票するかわからない、これでは民主制などありえないのです。

 これに対して「憲政の常道」は国民主権を必ずしも前提としません。議会における国王主権の英国にも、天皇の統治権を臣民が代行する戦前の日本にも、国民主権原理はありません。これはどうなるか。責任は政府の当局者にだけあるのです。「国民に選ばれましたから」「主権者である国民様が決めたことに従っただけですから」などとの言い訳は通用しないのです。むしろ、世論は「陛下の政府」「陛下の野党」の行動を監視する役割です。これをA・V・ダイシーは「民主制における世論は、国際法に対する軍事力のようなもの」と称しています。軍事力によって国際法が守られるように、世論の圧力によって民主制が守られる、これが英国憲法の考え方です。

 実はこの原理、帝国憲法では最後まで守られています。最後に確認できるのが東條内閣です。東條内閣の権力基盤、実は衆議院を手なずけていることなのです。悪名高い翼賛選挙で当選させたはずの衆議院が造反しようとした時に慌てて内閣改造による政権浮揚、などをはじめます。これが命取りになるのですが、「衆議院に不信任された内閣は解散か総辞職をしなければならない」との習律はこの時にも生きているからこその騒動なのです。

 翻って、三角大福以降の時代は。。。実は、日本国憲法体制においては、池田勇人だけが守った、と言った方が正しいのかもしれないのです。