外交の教科書(2)―中江兆民で米国の論理を読む

LINEで送る
Pocket

 アメリカで政治学や国際関係論を学んできた方が時々不可思議な発言をされる。

 アメリカ合衆国は民主主義の味方である。一度でも民主主義を経験した国を決して見捨てない。(だから、「いかに中国の脅威があろうと、台湾を絶対に見捨てない。」と付け加える人もいる。)

 是非とも、ブダペストやプラハでおっしゃって欲しいものである。

 冷戦期、ソ連のくびきから脱しようと、ハンガリー動乱やプラハの春が発生した。しかし、米国は何をしたか。何もしなかったのである。自由や民主化を求める声がソ連の戦車に押しつぶされる時、米国は見殺しにしたのである。

 なぜか?自由や人権や民主主義は、あくまで武器であって、使える時と使えない時があるからである。本気で信じて動いている訳ではないからである。たまにウッドロー・ウィルソンみたいな狂信者が登場するが、さすがにあそこまでの理念先行の安全保障政策はアメリカ人の、しかも民主党だってついていけないのである。

 では、米国に限らず、国際政治を動かす論理は何か?

 帝国議会における最高の演説政治家である斉藤隆夫代議士の、昭和十五年の帝国議会における「反軍演説」の台詞を借りよう。

 徹頭徹尾、力の論理である!

 有名な「反軍演説」、当時の支那事変での政府と統帥部の無能な国策指導を批判したのであって、読みようによっては「東亜共栄圏とか意味不明なきれいごとを言っていないで、真面目に戦争をやれ!」とも読めるのである。

 戻って、米国がハンガリーやチェコを見捨てた理由は何か?この論理に従えば簡単である。力が及ばないし、及ぼそうとしてもソ連にかなわないからである。別の言い方をすれば当時のハンガリーやチェコはソ連の勢力圏だったからである。

 これをデモクラシーの全体主義(共産主義でありファシズムでもある)への敗北と捉えるか。しかし、国家は、力だけで動いているのでも理念だけで動いているのでもないが、強いてどちらかをあげるとすれば、力で動いているのである。そもそも、敵が敵の勢力圏で何をしようと、そこに手を突っ込まないことは敗北でもなんでもない。だから今のチベットやウイグルで中華人民共和国が何をしようが、米国は何もできないし、それが即敗北ではないのである。

 ちなみに大学生の時に私が英国の某大学を表敬訪問した時、「日本では、第二次大戦がデモクラシー対ファシズムの対決であったとの説が主流です」と述べると、「ではソ連は民主主義国か?」と呆れられた。もっと言えば、日本はファシズムでも持たざる国でもないのに、なぜか親ドイツに傾斜したのだが。

 ウェストファリア条約以後の世界(欧州)の大国が二大陣営に別れて争った紛争を調べてみたが、完全に理念で分かれたのってなかったなあ。

 冷戦ですら、米中和解が一つの決めてだし、西側陣営にも独裁国もあったし(というか、チトーなぞ我こそが共産主義の本家なりと唱えながら実質的に米国陣営についた)、世界最大の民主国のインドがソ連についた時期もあるし。

 ちなみに今の論理をわかる古典として以下。

中江兆民『三酔人経綸問答』(岩波書店、二〇〇七年、初版は一八八八年)

 手に入れやすさ ★★★★★ ・・・たぶん、永遠に再販するでしょう。

 わかりやすさ  ★★★★  ・・・明治の文体なのを考慮。

 読みごたえ   ★★★★  ・・・入門基礎ですから。