十月二日の叔父さんの息子さんの書き込みに対して、ある法科大学院の院生から解説して欲しいとの要望がありましたので、本編の方で別に所見を述べたいと思います。しばしお付き合いをしていただけるとありがたく思います。決して法律オタクのマニア議論には終わらせないようにします。
さて、叔父さんの息子さんの趣旨は以下の通りと理解しています。
事実:現在の民法の規定では、非嫡出子は嫡出子の半分の財産しか相続できない。これは憲法の法の下の平等の原則に反する。よってこの民法の規定は無効なので、同額を相続させて欲しい、として最高裁まで争った。結果、却下された。
争点:旧民法から引き継いだ現在の民法の趣旨は、非嫡出子も嫡出子と同等と看做せば、一夫一婦制を前提とした民法の趣旨に反する。まったくの平等にしないことこそ公序良俗に適するので、合理的であると長らく解釈されてきた。しかし、社会情勢は変化し、国によってはまったく平等に扱うような判例や立法措置をとった場合も増えている。ではわが国においても、最高裁が判例変更をして違憲判決を下し、諸外国と同様に、嫡出子と非嫡出子を差別しないようにすべきかどうか。
その上で叔父さんの息子さんは、子供に罪はないのだから、財産も平等にあげるべきだ、とすべきだとの主張のようです。大根斬りに平たく言えば、浮気してできた子供にも、平等に財産をあげるべきかどうか、ですね。
まず、外国(判例ではフランスがあげられている)はさておき、日本における法体系はどうか。
民法は非嫡出子の権利を認めないまま、まともな法の保護の対象とはしていない。つまり、浮気には厳しい。
しかし、年々判例は浮気は社会現象として容認すべきとの立場に変化している。時々、「法は悪事にも加担する」とばかりに、不倫でひどい目にあった人を救済したりする。
憲法典は化石。日本国憲法の条文は変わらないまま。では社会情勢の変化に鑑みて、当該民法の規定は合憲か否か。判断するのは裁判官であり、特に最高裁の判例は法律以上の効力を持つ。
で、下された判決が「現状維持」なので、叔父さんの息子さんは、「子供を救済しなさいよ」と怒ってらっしゃるのですね。
ただ、これを最高裁の判事が判断できるのですかねえ。非嫡出子に平等の権利を認めず「浮気は悪だ!」とするのと、「浮気は現にある。だから現実の子供の権利を認めよう」と非嫡出子に平等の権利を認めて、正妻の子もその他の子も同様に扱うのと、どちらが正義か、を判断しなければならない訳ですし。そしてここで最高裁の裁判官が下した判決が法的効力を持ち、且つ法的に正しい価値観となる訳ですから。
ちなみに英国の場合は、どんどん判断を下します。共通法(Common Law)という通常の法体系、このような場合だと民法などで救済できない事件が発生した場合、衡平法(Equity)という判例法によって正義の実現をはかる、という方法をとっています。ちなみについ最近まで英国の最高裁は貴族院だったので、司法府と立法府のどちらの決めたことが優先する、などという議論そのものが発生しません。議会(の中の最高裁)の決定が絶対です。
日本の法体系は、明治以来大陸法(特に仏より独)が中心で、戦後は英米法(特に米法)の影響が強いです。最高裁の判例など、条文の引用など稀で、ほとんどが判例に従っているかどうかです。裁判官がひとたび下す判決の影響って、想像以上に強いのです。しかもというかだからというか、先例踏襲主義が強いですし。
しかし、判例中心の裁判運用をしながら、「何が正義か?」の議論があまりにも欠けているのではないか、という印象はあります。結局、弱者は立法に頼ればよいのか、判例を求めればよいのか、どちらもできないのが日本の現状ですし。
条文の背後にある、なぜその法律はそういう条文になっているのか、その条文が実現しようとしている正義とは何か、についてもう少し議論をした方が良いと思う。
当該事件に関しては、再び繰り返します。「浮気でできた子供には半分しか財産をあげない」のと、「浮気でできた子供も、正妻から生まれた子供も、平等に財産を相続できる」のと、どちらが正義ですか。そういうことを考えるのが、本当の法律論だと思います。こういう議論、法学部では意外と嫌われるのですけどね。