亡国前夜(4)―田中角栄は大政治家か

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 田中角栄、良くも悪くも戦後日本を作った大政治家であると評されることが多い。本当か?

 大蔵大臣として、高度成長期の日本の舵取りをした。その通りなのだが、それはまずもって池田勇人の功績では?田中が有能に処理したとか、官僚を使いこなしたとか、その辺りは否定しないが、最近よくある「1960〜70年代の高度成長期」「その時代をリードした田中角栄」という言い方をされるが、全部が全部「角栄のおかげ」は言いすぎだろう。むしろ70年代の佐藤内閣はひずみが指摘されたし、その後を引き継いだ田中内閣は狂乱物価で日本経済をどん底に叩き落したのだし。

 自民党幹事長としては最高の人材だったのは間違いない。よく言われる「解散総選挙に勝利して、子分を増やして、総理大臣へ」という道をたどれたの、実はこの人だけである。ただ、それが何なのか、という話になる。単に自民党の議席と自分の派閥を増やしただけでは?

 総理大臣の時、経済政策には完全に失敗している。唯一の功績として教科書に載っているが、一九七二年の日中国交回復(正常化)とか。台湾を切って大陸と手を組んだのが、なぜ偉いのか、今となってはさっぱりわからない。そもそも中国と「国交回復」とか「正常化」とか、そういうものの言い方自体が、北京政府のプロパガンダそのままではないか。日本政府の立場としては、一九五二年日華平和条約によって、中国(中華民国)との外交関係正常化と果たしているのである。田中がやった一九七二年の合意は、「北京政府を中国の政府として認める」であって、国家承認をした訳ではない。中国と自称する国の存在はとっくに日本は認めて居るのであって、その代表である政府の認定を変更しただけである。「国交回復」「国交正常化」という言い方自体が自分の国の過去の行為を抹消するということにいい加減気付かねばならない。

 で、なぜ北京政府と仲良くすることが功績なのか?

 総理を辞めてからの壟断は前述の通り。刑事被告人である自分の都合の為に、解散総選挙をさせてみたり、総理大臣を好きなように取り替えたり、大臣や役所の人事を壟断してみたり。KGBの元工作員の回顧録を見ると、日本がスパイ天国になっていく過程と田中闇将軍の権力増大がこれでもかと符合するのである。なぜこんな簡単なことを誰も指摘しないか。KGBか田中角栄のどちらかにしか興味がない人が多いからであろう。両方に注目していたら一目瞭然なのだが。

 さて、以上の事実を踏まえて論点は二つ。

 一つは、田中の行為が日本国憲法上、違憲にならないのである。それどころか、民主主義として正当化できてしまうのである。常に彼の主張は、自民党総裁選挙や衆参の国会議員選挙で多数の支持を得ているからである。その支持数が絶対的か相対的かの違いがあっただけで。戦前の「憲政の常道」の時代においては、少なくとも元老の西園寺公望は絶対に許さなかったようなことを次々とやっているのである。

 憲法の条文に書いてあることさえ守ればそれで良いのか?合憲か違憲かだけが問題なのか。私は田中角栄が自民党田中派を通じて日本を支配した状態は、非立憲であったと思うが、日本国憲法には田中に制裁を加える力はなかった。

 

 もう一つは、歪められた歴史に騙されてはならない、ということである。

 田中の功績のほとんどすべては、誰かに使ってもらった時にこそ発揮されたものである。彼が頂点に立つと碌な事がないのである。その点で限界はあっただろう。

 少なくとも「日本を豊かにした高度成長期をもたらした政治家」としてはまず池田勇人を挙げるべきであって、田中角栄を池田勇人より上に位置できる理由を私は知らない。

 それでも、「角さんほどの大政治家はいない」との声も絶えない。これこそ本当か?(続く)