判例と正義と衡平

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 十月二日の叔父さんの息子さんの書き込みに対して、ある法科大学院の院生から解説して欲しいとの要望がありましたので、本編の方で別に所見を述べたいと思います。しばしお付き合いをしていただけるとありがたく思います。決して法律オタクのマニア議論には終わらせないようにします。

 さて、叔父さんの息子さんの趣旨は以下の通りと理解しています。

事実:現在の民法の規定では、非嫡出子は嫡出子の半分の財産しか相続できない。これは憲法の法の下の平等の原則に反する。よってこの民法の規定は無効なので、同額を相続させて欲しい、として最高裁まで争った。結果、却下された。

争点:旧民法から引き継いだ現在の民法の趣旨は、非嫡出子も嫡出子と同等と看做せば、一夫一婦制を前提とした民法の趣旨に反する。まったくの平等にしないことこそ公序良俗に適するので、合理的であると長らく解釈されてきた。しかし、社会情勢は変化し、国によってはまったく平等に扱うような判例や立法措置をとった場合も増えている。ではわが国においても、最高裁が判例変更をして違憲判決を下し、諸外国と同様に、嫡出子と非嫡出子を差別しないようにすべきかどうか。

 その上で叔父さんの息子さんは、子供に罪はないのだから、財産も平等にあげるべきだ、とすべきだとの主張のようです。大根斬りに平たく言えば、浮気してできた子供にも、平等に財産をあげるべきかどうか、ですね。

 まず、外国(判例ではフランスがあげられている)はさておき、日本における法体系はどうか。

 民法は非嫡出子の権利を認めないまま、まともな法の保護の対象とはしていない。つまり、浮気には厳しい。

 しかし、年々判例は浮気は社会現象として容認すべきとの立場に変化している。時々、「法は悪事にも加担する」とばかりに、不倫でひどい目にあった人を救済したりする。

 憲法典は化石。日本国憲法の条文は変わらないまま。では社会情勢の変化に鑑みて、当該民法の規定は合憲か否か。判断するのは裁判官であり、特に最高裁の判例は法律以上の効力を持つ。

 で、下された判決が「現状維持」なので、叔父さんの息子さんは、「子供を救済しなさいよ」と怒ってらっしゃるのですね。

 ただ、これを最高裁の判事が判断できるのですかねえ。非嫡出子に平等の権利を認めず「浮気は悪だ!」とするのと、「浮気は現にある。だから現実の子供の権利を認めよう」と非嫡出子に平等の権利を認めて、正妻の子もその他の子も同様に扱うのと、どちらが正義か、を判断しなければならない訳ですし。そしてここで最高裁の裁判官が下した判決が法的効力を持ち、且つ法的に正しい価値観となる訳ですから。

 ちなみに英国の場合は、どんどん判断を下します。共通法(Common Law)という通常の法体系、このような場合だと民法などで救済できない事件が発生した場合、衡平法(Equity)という判例法によって正義の実現をはかる、という方法をとっています。ちなみについ最近まで英国の最高裁は貴族院だったので、司法府と立法府のどちらの決めたことが優先する、などという議論そのものが発生しません。議会(の中の最高裁)の決定が絶対です。

 日本の法体系は、明治以来大陸法(特に仏より独)が中心で、戦後は英米法(特に米法)の影響が強いです。最高裁の判例など、条文の引用など稀で、ほとんどが判例に従っているかどうかです。裁判官がひとたび下す判決の影響って、想像以上に強いのです。しかもというかだからというか、先例踏襲主義が強いですし。

 しかし、判例中心の裁判運用をしながら、「何が正義か?」の議論があまりにも欠けているのではないか、という印象はあります。結局、弱者は立法に頼ればよいのか、判例を求めればよいのか、どちらもできないのが日本の現状ですし。

 条文の背後にある、なぜその法律はそういう条文になっているのか、その条文が実現しようとしている正義とは何か、についてもう少し議論をした方が良いと思う。

 当該事件に関しては、再び繰り返します。「浮気でできた子供には半分しか財産をあげない」のと、「浮気でできた子供も、正妻から生まれた子供も、平等に財産を相続できる」のと、どちらが正義ですか。そういうことを考えるのが、本当の法律論だと思います。こういう議論、法学部では意外と嫌われるのですけどね。

「判例と正義と衡平」への0件のフィードバック

  1. 「人間は本能の破壊された動物である」byフロイト
    人間以外の動物というのは、その行動のほぼすべてを本能によって動かされていると思います。そして、本能で行動しているがゆえに、規律などを作らずともある一つの社会秩序を形成できているのではないでしょうか。
    それに対して、人間はフロイトの述べたように本能が破壊されているが故に、本能の代役となるべき理性を使い「法」という一つの規律を編み出し社会秩序を形成してきたのではないでしょうか。
    ここに挙げられている事例について私の個人的意見ですが、「浮気でできた子供には半分しか財産をあげない」という方に私は正義を感じます。
    近代法とは、自由を追求すると同時に、秩序を保つための自由への制限を行ってきたのではないかと思います。これが、権利と義務と呼ばれることもあるのではないでしょうか。
    私は、この自由への制限や義務というものこそが人間の理性であり「法」を形成する本質ではないかと思います。
    そもそも、自由のみ認めるのならばアナキズムでいいのです。
    しかし、それでは秩序を保てないからこそ人間の理性によって編み出された「法」を中心とし秩序を保つ立憲主義などが生まれたのではないかと思います。
    ではなぜ、私が「浮気でできた子供には半分しか財産をあげない」という方に正義を感じたかということを述べさせていただきたいと思います。
    確かに浮気をしてできた子供に何も罪はないです。
    しかし、現行法における一夫一妻制という定義を守っていない子供の親がいるわけです。親は方に触れるようなことは何もしていません。しかし、その子供の親は一種の秩序を乱すつまり理性的ではない行為を行ったと考えます。
    私は法というのは、その場その場の空間における作用ではなく時間軸的な慣習や慣例、判例によって形成されるものだとも思っています(法≒習慣的なものといっても過言ではない)。時間軸における積み重ねが人間の理性を体現化し
    秩序を形成するのではないでしょうか。
    この事例では子供に罪はありませんが、ここで、「浮気でできた子供も、正妻から生まれた子供も、平等に財産を相続できる」という方を正義としてしまえば、その子供の親の理性的とは言えない行動を肯定してしまい、これは近代法における理性によって形成された自由や権利の制限を否定することになるのではないでしょうか。
    私はこれを認めることがアナキズム的で正義とは言い難いという見解を示させていただきました。

  2. しばらく前からROM専読者でしたが初めてコメントします、dodoです。
    不躾ながら、質問してもよろしいでしょうか。

    1.大日本帝国憲法下において、ファシズム政権が成立したとき、天皇が軍を率いてクーデターを起こすことは合憲ですか?

    2.日本国憲法下ではどうでしょうか。軍(自衛隊)の存在そのものが怪しいわけですがそれはともかく、自衛隊法によると自衛隊の最高の指揮監督権を有するのは内閣総理大臣であるとなっています。
    ファシズム政権成立時、天皇がクーデターを起こそうとしたとする。そのときは、天皇及び天皇に従う自衛隊員は法を犯すことになり、総理大臣=ファシズム政権に従って天皇を討つのが合法となるのですか?

    3.日本国憲法下でファシズム政権が成立したとき、合憲的に止める方法はあるのでしょうか?

    今流れている報道を見ますと、
    民主党政権は国会のみならず行政機構にも党員を送り込み、
    http://white0wine.blog10.fc2.com/blog-entry-645.html
    http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009100900015
    司法にも手を突っ込み始めているようです。
    http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100901000892.html
    成り行き次第では相当な危機が訪れるかもしれません。

  3. すみません、訂正です。

    誤>民主党政権は国会のみならず行政機構にも党員を送り込み、
    正>民主党政権は国会のみならず行政機構にも党員を送り込もうと企み、

  4. 〉dodoさん
    はじめまして、こんにちは。
    何点か質問させていただいてよろしいでしょうか。
    一点目、全体を通してあなたの仰るファシズムの定義を教えていただけますか?
    二点目、クーデターというものはそもそも非合法な手段による権力移動ではではないのですか?
    三点目、現憲法下で、あなたのおっしゃるファシズム政権が成立する過程を教えていただけますか?ナチスのように選挙で成立するなら合憲であり止めることは難しいと思います。

  5. dodoさん
    はじめまして。本質を突く鋭い質問、ありがとうございます。
    本編の方でお答えいたしておりますので、ご感想をお願い致します。

    新田さん
    一つの見識だと思います。帝国憲法下では「子供に罪はないのだから半分もあげている」という発想でしょう。現行憲法下では揺れていますが。逆にここまでしっかりと立論されている新田さんのご意見への反駁を聞きたくなるところです。

  6. 倉山さん

    先日の藤沢秀行です。その節は有難うございました。
    本日の話、分かりやすい解説で面白く拝見致しました。

    今日の話は火がついてレスが増えるかもしれませんね。
    私の話は別にスルーでも構いませんので、以下雑多な感想を記載させて下さい。

    非嫡出子の相続の問題は、結構以前よりあった問題と思われます。
    時代の流れと共に、世の中の雰囲気的な縛りも薄れているというのはあると思われます(善悪は別として)。

    この件につきましては、私は非嫡出子にも嫡出子と同等の権利が認められて然るべきと考えます。
    「法の下の平等」は動かしがたい考え方である事を前提と致しまして、問題はそれが「家族制度の否定と浮気の肯定」にどこまでつながるかという点になると思われます。

    相続権があるのはあくまで非嫡出子のみで、浮気の対象であるその子の母親には相続権は通常であれば及ばないはずです。正妻の地位と権利が確保されている以上、別に法体系そのものへの影響は無いと思われます。

    非嫡出子への嫡出子への同等の相続権を認めた所で、それを理由に浮気が肯定される世の中になるというのは考えにくいと思われます。
    法律とは無関係にそれが罪である事は変わらないと思います。

    当人たちは法律以外でも世間の目に晒される事になるわけですし、
    何より自身にとっての負い目として背負い続けていくという点では、
    決して「してもよい事」にはならないと思います。

    せっかくですので、拡げて話をさせて下さい。

    本来であれば、こういう争点こそ恐れずに裁判員制度の対象にして欲しいと思っています。司法への政治(社会)参加を促進するのであれば、元より無意味で税金の無駄遣い以外の何者でもない国民審査など直ちにやめて、裁判員制度の拡充こそポイントではと思います。
    (※クリアすべき問題点が多いのも承知していますが、それこそ私たち国民全体の程度が試されているのだと思っています)

    以上です。
    段々反応が増えてきて大変になっているのではと思われますが、
    応援しておりますので、これからも頑張ってください。
    それではまた、宜しくお願いします。

  7. >倉山さん
    ありがとうございます。楽しみです。

    >新田ひろしさん
    お答えします。

    問1.ファシズムの定義
    答 倉山さんが以前定義されていたものに従いました。「党が国家の上位にある体制」のことです。
    http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=55

    問2.クーデターの定義
    今ここでは、「選挙によらない政権交代」という程度の意とご理解ください。

    問3.ファシズム政権が成立する過程について
    時の政権与党が「党が国家の上位にある体制」を志向して実際に動き始める(与党が三権の完全掌握に向かう)ことは、いつでもあり得ることです。過程の話は問題にならないものと私は考えます。

  8. 〉dodoさん
    お答えいただきありがとうございます。
    今後ともよろしくお願いします。

  9. 新田ひろしさんと藤沢秀行さんの議論にも参加してみたく存じます。

    まず、新田ひろしさんの、
    > 「浮気でできた子供には半分しか財産をあげない」という方に私は正義を感じます。
    というご意見に賛成します。
    行為規範と裁判規範…でしたっけか。行為規範=「余所で子供を作るなよ」、裁判規範=「できちまったら仕方がねぇ」というやつ。
    ただ、フロイトの「人間は本能の破壊された動物である」を引用しての論述には賛成しかねるところがあります。私は、秩序を求めることも人間の本能であると思っておりますので。

    私は田舎の雰囲気がまだ残る地方に住んでいますせいか、非嫡出子どころか兄弟が等しく遺産相続すべきという法・考え方に対してさえ、やや否定的です。
    家督を継いだ子が、親が死んだとき、家を出た兄弟たちへ財産を分け与えなければならない。しかも家を出た兄弟たちは相変わらず「頼りになる実家」を常に期待し、継子は期待に応え続ければならない。加えて家を継げば、よりよい職を求めて移住することにも自ずと制限がかかってしまうのです。
    田舎の長男・長子にとってはつらい時代になっていますよ。家督・実家というようなものを失えば、それは昨今話題の夫婦別姓やら戸籍廃止などと同様に、日本人から歴史の中で生きる権利が失われてしまいます。それがわかっているから、田舎の長男・長子は血ヘドを吐きながら耐え続けていたりするのが現状なのです。
    「浮気でできた子供には財産をあげない」「家督相続者以外の子供にもあげない」とした上で、家督相続者に対して「うまく取り計らえ」と義務付けるような法だって、あり得るのではないかと思います。他の兄弟に意義があるならば、そうなってから初めて、それぞれの実情に合わせて話し合ったり、裁判所に調停に入ってもらったりすればいいのです。裁判所はそれこそ衡平にのみ重点を置いて、兄弟それぞれがそこそこ納得し、そこそこ痛み分けになるような結論が出るようにさえすればいい。
    財産分与は何分の一ずつ、と予め決められてしまえば、誰もが「これだけ受け取るのは自分の正当な権利である」と主張することになります。それは大変によくないことだと思うわけです。

    続いて、藤沢秀行さんのご意見に対して反論してみたいと思います。

    藤沢さんは
    >「法の下の平等」は動かしがたい考え方である事
    が前提であるとおっしゃいます。
    しかし、「法の下の平等」と「法そのものが万人平等にできている」ということが同じことなのかどうか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
    現に、世の中には合法的に人も殺せる職業が存在しますね。軍人・自衛官・警察官などです。一方私も含む大多数の人は、余程でない限り合法的には人を殺せません。
    これは「法の下の平等」に反することですか?
    (「法の下の平等」は大原則なので、刑法だ民法だということにはそれほど左右されるものではないと私は思っています。)

  10. dodoさんへ

    藤沢秀行です。コメント有難うございます。
    補足も含めて追記しておきたいと思います。

    「法の下の平等」の解釈につきまして
    文章としましては強めの言い方になってしまったかもしれません。
    ただ、そこだけ取り上げられるのは誤解を招いてしまったのかなとも
    思われますので、以下補足します。

    別に私はいつでもどこでも絶対的に適用されるべき原則とまでは思っておりません。
    その点につきましては、最初の時点で全てを記載する訳にはまいりませんので(長くなりますので)、ある程度は文章全体をお読みいただく中でご協力を頂くか、そうでなければ先にご質問を頂ければ助かります。

    先にご質問にお答えしますと、警察官や自衛隊の方が職務中に人を殺す事について法の下の平等を云々するつもりはありません。dodoさんの言われる通り、法の下の平等には反しないと思います。

    dodoさんの言われるとおり、法の下の平等は大原則ですので、逆に言えば踏み外すのであれば相当の理由が必要というのがこの話のポイントだと思っています。

    確認事項として、私は浮気行為を肯定している訳ではありません。
    そこは私の元の文章を読んで頂ければ伝わるかと思われます。

    家督相続というものが大きな意味を持つようなケースでは、長男に負担がかかることは想像がつきますし、その分の権利が認められて然るべきという事は同感です。

    法律は別に条文が全てではなく、運用面で差をつける事も可能な訳ですし、dodoさんの言われる通り話し合いや裁判所の調停で行っていけば良い事だと私も思います。
    付け加えれば、実家の状況を勘案せず平等の権利のみを主張する非嫡出子がいるならば私はその人に反論します。

    最初の話に戻りますが、「子供には罪は無い」、「大原則としての法の下の平等」を見たときに、
    【原則としては差をつける理由は無い】
    【別に秩序紊乱を言っている訳ではないし、そうなるとも思えない】
    【個々の家庭の事情に基づき運用していく事に反対している訳ではない】
    という所が結論になると思われます。
    いかがでしょうか?

    以上です。
    宜しくお願いします。

  11. 【原則としては差をつける理由は無い】のは当然だが、それよりも、
    【日本人の、歴史の中で生きる権利】が優先するはずである。

    …というのが私の立場ですので、
    その点で見解の違いが現れるのだろうと思います。
    いかがでしょうか。

  12. 〉dodoさん
    私は秩序を求めるのは理性だと思いますね。
    人間以外の動物は本能によって秩序を形成できますが、人間はそれができないと思います。だからこそ理性によって法を形成すると考えています。
    それと私も田舎の長男(末っ子長男で血族に男は私と父だけですが…)なのでdodoさんのご意見はよくわかります。
    やはり家を継ぐというのはそれなりの代償がありますね。
    〉藤沢秀行さん
    やはり、「浮気でできた子供も、正妻から生まれた子供も、平等に財産を相続できる」という方には賛同できません。
    法とはそこに住む人間の土着の習慣やらを明文化、成文化したものですから、「浮気でできた子供も、正妻から生まれた子供も、平等に財産を相続できる」というのは日本生活習慣になじまないものであると思います。
    憲法や法律の問題になるとよく「フランスではどうだ」とか「スウェーデンは〜」だとか外国をひっきりなしに例えに出す時がありますが、私はこのような考えはあまり好ましく思いません。
    たしかに日本もそれを真似したり用いるべきところもありますが、そもそも法とはその土地土地の長年構築された土着の倫理観を元に成立するものだと思います。
    法においては「うちはうち」というところは必ずあると思います。
    「平等」という空間的前提と「習慣」という時間軸的前提があり、法とは後者の前提によって構築されるものだと考えています。

  13. dodoさん 新田さん
    お早うございます。藤沢秀行です。
    コメントどうもです。

    論点も出揃ってきた印象を持っております。
    勿論、正しいもの同士の対立ですので、後は社会情勢の中でその都度判断を下していくという事だと思います。
    (身も蓋も無い言い方になってしまったら申し訳ございませんが、出尽くした論点について並行線を繰り返すのはお互い大変かと思いますので)

    逆にここでは、私自身の幅を広げる意味で、結論とは別に両者様の主張の背景についての理解を深められればと思います。

    言葉は違いますが(「歴史」と「時間軸的前提」)、おそらく中身は同じような事を主張されていると思われます。
    分かり易く一言で纏めれば、「家制度に軸をおいてこれを守る。」
    という事だと思われます。

    私の話をしますと、関東の新興住宅地における会社員の二人兄弟の次男で、兄も私も既に家を離れていますので、血統や土地というものについての執着が正直に言ってありません。
    (母親の実家は東北の農家なので多少の想像はつきますが・・・)

    質問形式を取らせて下さい。
    ?例えば現実に、非嫡出子の存在が明るみになった場合、相続以前に離婚等の話になったりはしないのでしょうか?勿論、いつ発覚するかとか、当事者(主に正妻)の性格にも因るとは思われますが・・・。
    仮に子供の立場として、(怒り?)の矛先が父親に向かうのではなく、あくまで家の保持という形で動くのでしょうか?
    (※批判的な意味ではなく、どういう思考・行動様式をとるのかとの意味でお尋ねします)

    ?慣習といえども社会情勢(の変化)を受けるのは当然だと思いますし、
    その点では両者様ともそれを含みに主張されているものと推察されます。
    (本件については両者様の主張は、「関係なく保たれるべき規定」との雰囲気も感じますが・・・)

    話を続けます。
    月並みな一般論ですが、都市部への人口集中(地方の過疎化)と出生率の低下(少子化)は間違いない事実、社会情勢(の変化)と思われます。
    その状況下で、家制度の保持を主張し続ける事自体が、難しい部分もあるのではないでしょうか?
    (※繰り返しますが、批判的な意味ではなく、dodoさんの言われるとおり長男の負担になってしまうのが1点、長男自体がいない家も多いのではないですかというのがもう1点です。)

    守ろうとする態度は正しいとは思いますが、それなら都会に出て行く人達についてはどのように捉えているのでしょうか?
    (長男以外であれば不義理にはならないということでしょうか?)

    本線からは外れているかもしれませんが、理解を深めるという点で、宜しくお願いします。

  14. こんにちは。

    >新田さん

    私も田舎の長男です。つらいとか苦労するというのとは違うんだろうと思いますが、孤立感というか、これからどうしたらいいのかなぁ、みたいのが常にあったりしますよね。

    理性と本能の話は、脱線しすぎてもあれなのですが、二つを別個のもの、対立したものと捉える考え方が、私はあまり好きになれないのです。それだけです。

    >藤沢さん

    Q1.例えば現実に、非嫡出子の存在が明るみになった場合、相続以前に離婚等の話になったりはしないのでしょうか?
    A1.なると思います。普通に。本当の田舎ならわかりませんが、私は地方でも中核市にはなっている所ですんで。

    Q2.仮に子供の立場として、(怒り?)の矛先が父親に向かうのではなく、あくまで家の保持という形で動くのでしょうか?
    A2.仮に父親が余所に子供を作ったとしてらどうでしょうねぇ… 私は怒ったりしないかもしれませんね。適当な金をやって縁を切るか、可能ならば話し合って法的に縁を切り、後は実質的な兄弟としてやっていくか、かなぁ。縁は切れない、金はむしられ続ける、というのだけは勘弁してもらいたいところです。

    Q3.慣習といえども社会情勢(の変化)を受けるのは当然ではないか。
    A3.その通りだと思います。ただ、先に成文法が変えられてから世の中の情勢・慣習が変わった問題については、そのことに自覚的でいる必要があるだろうとも思うのです。

    Q4.家制度について
    A4.経済急成長・人口増加の局面では、分家がたくさんできるのですよ。そこでは「家なんかなんだってんだー!」という考え方が主流になったりもします。
    けれども、経済がぼちぼちで人口横ばいという局面では、家が再び前面に出てくる。というのは、家制度の重要な一側面が私有財産の管理・相続でしょう? 私有財産を否定しない限り、家制度を否定するのも難しいのではないでしょうか。
    藤沢さんご自身は分家なさっていて家制度に執着がなかろうとも、藤沢さんのお子さんお孫さんは今の藤沢さんの家を本家とすることになるので、また違う考えを持つことになることもあろうかと思います。

  15. dodoさん

    藤沢です。回答頂きまして有難うございます。
    地方の実情というものについても少し実感する事が出来ました。

    2と4の回答がポイントになると思われます。
    人間の感情として、同じ母親の兄弟と、異母兄弟を同じく受け止めるというのは難しい(というより無理)というのは自然な所もあると思います。

    嫡出子の立場から見れば、2のようなケースのリスクを避けたいというのは正しいと思います。兄弟付き合いが相続だけの1回きりの事なのかその後も含めた日常的なものになるのか否かも一つのポイントなのかもしれませんね。

    話に出ました「適当に金をやって縁を切る」というのは一つの現実的な折衷案になる可能性はありますね。この事が相続とは別の形で行われるのであれば、仮に相続分が半分であったとしても総合的に見てバランスが取れるという結論はありえそうですね。
    (縁を切るか切らないかはケースバイケースだと思いますし、感情面を含む人間関係そのものには法律は入れないし、入るべきでもないと思いますので)

    出発点は、「家を持たない上に経済的にまで差別される子供の救済」にあった訳ですから総合的に平等の扱いが確保される事が慣習的に根付く状況下であれば、条文は全てではないとも思いますが・・・

    しかし、このような慣習が一般化されて基本的に守られる状況というのが私には想像しにくいので、やはり条文として担保しておいた方が間違いが無いのではと思います。(残る争点はここになりそうですね)

    実家とか家業の持つ意味というのは確かにその通りなのでしょうね。
    私にはそういったものはありませんが、それをあてにして、そこで生活する人がいるという事は受け止める必要があるとは思います。

    違う視点の立場からの話という点では参考になりました。
    有難うございました。

  16. >藤沢さん
    >出発点は、「家を持たない上に経済的にまで差別される子供の救済」にあった訳ですから総合的に平等の扱いが確保される事が慣習的に根付く状況下であれば、条文は全てではないとも思いますが・・・
    >しかし、このような慣習が一般化されて基本的に守られる状況というのが私には想像しにくいので、やはり条文として担保しておいた方が間違いが無いのではと思います。(残る争点はここになりそうですね)

    まさにそこが最後かつ最大の争点になると私も思います。決着は難しいです。価値観の問題にまで踏み込まざるを得ませんし。
    しかし、「慣習が一般化されて基本的に守られる状況」を作るのは、難しいかというと今想像するほどでもないのではないかと思います。司法業界からして変わって行きますからね。

    ちなみに…
    調べてみたところ、今の民法では法的な縁切りは特殊養子縁組でしかできないようです。
    実際には生前贈与・遺言・相続放棄などを駆使することになるのかもしれません。場合によっては父の子を自分の養子にしちゃう手もありますかねぇ。

  17. dodoさん

    藤沢です。ゴールが見えてきた感じがしています。

    非嫡出子を法律とは別に(経済的に)平等に扱う慣習の確立という結論であれば、それほど悪い話ではないと私も思います。

    一度こういう判例が出れば案外拘束力を持って定着するのかもしれませんね。
    (※私はこのあたりの事情については不明なので先程は条文化すべきと書きましたが・・・)

    長丁場になりましたが、有難うございました。
    私自身、勉強になりました。

    長男というのも色々なものを抱えて大変なのですね。
    確かに、引き継がれてきたものを守る立場というのはあるのだと思いました。
    (直に話を聞く事により、私自身実感する意味というのは感じました)

    また今後とも、宜しくお願いします。
    今回は有難うございました。

  18. dodoさん、新田さん、藤沢さん、

    とても知的でジェントルマンな、互いの人格を尊重した意見交換ありがとうございます。

    ところで、不勉強で申し訳ありませんが、
    非嫡出子ではなく、先妻の子の場合は、どうなるのですか?

    たとえば、
    ケースとしては、浮気相手に子供ができたから、
    元の奥さんとは離婚して、浮気相手と籍を入れたような場合です。

    非嫡出子が、嫡出子へ、昇格(?)した場合、
    先妻の子供は、一人分相続できるのですか?

    その場合、先妻の子供が、先妻の連れ子だった(父とは血がつながっていない)場合は、どうなるでしょう?

  19. ビックリしたなぁ。ここまで大激論になるとは(^−^;)ヾ

    それはそうと、平成7年判決に関する評釈(ここでは主に、調査官解説と判例百選)を見てみたのですが、やはり「婚姻外の性関係を認めるのは不正義だ。では、(その結果としての)非嫡出児にまで不利益を被らせることは正義か」という議論は、戦後民法改正においても議題とされていたようです。

    ただ、結果論として戦前の規定が継承されたわけですが、その立法趣旨は微妙に異なります。
    戦前の旧民法相続編では「法が法律婚を前提としている以上、嫡出子が父母の財産を継ぐと見るのが当たり前」とされていたのに対し、戦後の新法では「(相続差別があるのも)本質的平等に反しない」としています(以上、調査官解説からの抜粋)。つまり、戦前は「家制度を前提としている以上、差があって当然(平等原則については触れられていない)」のに対し、戦後は「(平等であることを前提としつつ)相続差別を設けることは平等原則に反しない」という論理に立っている」といえそうです。

    さて、私自身が東大憲法学にどっぷり浸かっているせいか、または都会育ち(私は大阪市の町外れの出身ですが、以前大阪を離れて地方に住んでいたときに「大阪市内というだけで充分都会だったんだ…」と痛感したことがあります。)であるせいか、おそらくこの中では少数派になってしまうのでしょうが、「罪のない子供に不利益を被らせることには承服できない」という立場に親近感を持ちます。

    今はだいぶ状況も変わってきているようですが、非嫡出子は非嫡出子というだけで社会的には相当不利益な立場に置かれます。今は差別用語となってしまいましたが、以前は「ててなし児」などと言われました(いわゆる母子家庭とは事情が異なる)。それだけでも既に事実上の不平等が生じているのに、果たして法内容にまで不平等を折り込むことが妥当でしょうか。
    もちろん、私も不倫は不道徳であり、反正義(犯罪ではないが離婚原因および損害賠償請求権発生原因にはなるという意味では違法と言える)であるという考えはほぼ皆さんと同じです(以前「不倫は文化だ」と言ってたくせに元ライオンズ投手の娘と結婚したバカな俳優がいたが、私は嫉妬や羨みではなく単純に人間として彼を許せない)。
    ただ、「事象Aは不正義だ→事象Bは不正義たる事象Aの結果だから、不利益を被るのもやむをえない」という理論が、果たして正義と言えるか、については、私は否定的です。「事象Aは不正義だ→事象Bは不正義たる事象Aの結果だが、BとAはいちおう別個の事象である→Bそれ自体が不正義でない以上、BにAの禍を被らせることはできない」と考えるべきではないか、と思うのです。

    何はともあれ、私の問題提起で議論に参加してくださった皆様やテーマとして設定してくださった倉山先生には厚く御礼申し上げます。

  20. >とても知的でジェントルマンな、互いの人格を尊重した意見交換ありがとうございます。
    私も同感です。

    >ビックリしたなぁ。ここまで大激論になるとは(^−^;)ヾ
    これも同感です。顔文字はともかく。(笑)

    ここまで深い議論になるとは思いませんでした。いずれこれが「大学ではできない」ではなく、「大学でやる、社会でもやる」にできればと思います。
    まずはこの砦から発信していただければと思います。
    私だけではなく、このように皆様でいっしょにやっていければと思います。
    今後とも宜しくお願い致します。

  21. >QOL様
    それは「準正」あるいは「推定を受けない嫡出子」という制度ですね。

    >浮気相手に子供ができたから、元の奥さんとは離婚して、浮気相手と籍を入れたような場合
    こういう人、結構いるんですよねぇ。実は私の知り合いの某地方議会議員さんも…(^−^;)
    それはさておき、原則として、婚姻中に懐胎した子は、嫡出子としての推定を受けます(民法772条1項。ただし嫡出否認の訴え等の方法で嫡出性を否定する方法もある)。
    では、婚姻前に懐胎した場合(いわゆる「できちゃった婚」。余談ながら、うちの近所の結婚式場では「おめでた婚歓迎キャンペーン」なんてものをやってました。ものは言いよう、ですね^^;)、どうなるのか。順当に考えれば、父が子を認知した上で婚姻すれば良い訳で、認知と婚姻の前後関係によらず嫡出子としての身分を取得できます。これがいわゆる「準正」というやつです(民法789条)。

    ただ、どうせ両親が結婚するならばわざわざ認知などという面倒な手続きを取るのも不要な気がしますし、何より父が認知前に死亡や失踪していた場合には嫡出子とできないという不都合が残ります。
    そこで判例は「こういう場合は認知という手続きは不要であり、出生と同時に嫡出子としての身分を取得することは、民法全体の規定から当然導かれる」という判断を行い(昭和15年1月23日大審院連合部判決)、その後戸籍係の間でも「婚姻後に出生した子は、すべて嫡出子として扱う」ことが定着したようです(以上、参考文献『家族法』二宮周平・新世社刊)。

    >先妻の連れ子だった(父とは血がつながっていない)場合
    この場合はそもそも嫡出子ではありませんので、相続の対象とはなりません。ただ、こういう場合はたいてい義父と子の間に養子縁組が結ばれますので、特に問題はないようです。

  22. いやー、私もビックリしてます(笑)
    私はカッとなりやすいほうなので、ジェントルマンな雰囲気は、新田さん藤沢さんのおかげです。

    >QOLさんのケースの先妻の連れ子
    感覚的には、慰謝料をがっぽり取って遺産相続はなし、というのがお互い後腐れなくて楽だろうと思えました。

    >叔父さんの息子さん
    「ててなし子」とか「片親」とかいろいろあったみたいですよねぇ…
    そういうのは確かに良くないのですが、あまりにも法内容でああせいこうせいと決めていってしまうと、「捨てる神あれば拾う神あり」の「拾う神」の力が落ちていってしまいます。法の網目に落っこちた人がどこに行っても誰によっても救われなくなる。これはこれでまずいなって思うのですよ。

  23. >QOL様
    すみません。質問内容をもう一度読み返してみました。

    >非嫡出子が、嫡出子へ、昇格(?)した場合、先妻の子供は、一人分相続できるのですか?
    これは「既に前婚で子供がいて、後婚でも子供ができた場合、前婚の子は一人分相続できるのか」ということを想定しておられるのでしょうか?
    もしそうだとすると、夫婦が離婚したからといって前婚の子が嫡出性を失うわけではないので、相続でも嫡出子として扱われます。つまり、QOL様の言われるとおり、一人分相続できることになります。
    むしろ、「浮気の結果子供ができた」というより「前婚で子供があったが離婚して、その後再婚し、そこでも子供ができた」という場合を想定してもらえれば分かるのではないでしょうか。

    >先妻の子供が、先妻の連れ子
    これは以前お答えした通りになると思いますが、問題は養子としていなかった場合ですよね。
    前婚の子が連れ子で、養子にもしていなければ、この子はそもそも嫡出子ではなく、夫婦が離婚したからといって身分に変更はありません。もちろん、この子が養子とされていた場合は、嫡出子となりますので(民法809条)、実施である場合と同じ結論になります。

    私も立場上、こういうシミュレーションはよくやるのですが、あんまりこういう話を実社会でやりたくはないですね。(^^;)

    >dodo様
    >法の網目に落っこちた人がどこに行っても誰によっても救われなくなる。
    そうなんですよねぇ。法律は起こりうることを想定した上で制定されるものなんですが、実際には想定外の事態も起こりうるわけで、それを成文法に頼ろうとしても無理があるわけで…
    こういう「成文法の隙間」を埋めていくことこそ、司法期待された役割ではないかと思います。

  24.  日弁連・会長:宇都宮健児は、「虚偽(詐害行為)は正当な弁護士業務だ」と主張(議決)して、懲戒対象弁護士を擁護し、これを撤回せずに、裁判で争っております。

     弁護士を指導・監督する立場にある宇都宮健児のこの行為は、不法行為を教唆するものであり、国民への背任です。

     表向きは、社会正義の実現(弁護士法1条)を強調しながらも、裏陰では、「虚偽(詐害行為)は正当だ」と指導しているのですから.弁護士トラブルが急増するは当然です。
     
     日弁連・会長:宇都宮健児らは、提訴し、勝訴するための「虚偽は正当だ」との理念を抱き、当然のように実践する人間たちだということでしょう。
     

     そして、組織的な権力を得ている日弁連・会長:宇都宮健児らのこの裏影での卑劣な行為を国民は知ることができず、それをとがめる手段もないのです。

     国民は、日弁連・会長:宇都宮健児らのこの卑劣な事実を知るべきであり、この元凶者たちを排除すべきです。

    法曹界に正義はありません。

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