官僚機構においては、予算や権限を取ってきたものが偉いのである。逆に、手放したものは末代までの笑いものとなる。(その最たる例が鳩山威一郎大蔵次官)
風越先生も官僚である。官僚機構の論理には忠実である。
風越先生、「左遷」先の特許庁長官の在任時には「いいか、おれたちは主計局の金をもらうんじゃない。国家の金をもらうんだ。主計局に一々頭なぞ下げに来るもんか」と言いつつも「ただ、今度だけはちがう。非常事態だ。のんびりとして居れんし、何が何でもとらねばならん」と、特許出願審査官の増員の為の予算を獲得に奔走する。
これだけ聞くと、よい話である。
ところが。風越長官がこの一件で「大物長官」「名長官」と言われるのは良いが、それで事務次官就任の噂が流れるというのは如何なものか。不確実だった風越の次期次官就任がこの功績と評判で、確実に流れが変わっていく。(290頁)
結局、自分の出世のためには、主計局に出向くのである。
天下国家のためなら、下げたくない頭を下げる、というのならばまだわかる。しかし、風越が主計局に出向くのはこの時の一回限りである。
めでたく(?)風越は事務次官に就任するが、この時の予算折衝では、大蔵事務次官との折衝以外、何もしない。すべては部下任せである。そして官房長の鮎川(テレビでは高橋克実が演)が過労死してしまう。(329頁)
風越が殺したようなモノでは?
腹心の部下が過労死してでも、他人には頭を下げない!
もはや、見上げた根性である。(つづく)