第一次大戦の日本外交

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 熱心なレス、ありがとうございます。本当に「大学でできない」やりとりと化してきましたね。以下、雑多ですが、思いつくままに返信をします。

 石井菊次郎の『外交随想』と『外交余録』を読みこなせば、外交史の基本は身につきます。外交官や外交史家のみならず、必読の教養書です。実はご質問に関する事項はすべて書いてあります。古本屋で見つけたら、値段にかかわらず即買い!という名著です。

 石井は、井上馨亡き後、最も国際政治をわかっていた日本人と断言できます。井上以前はともかく、以後は石井ほどの「外交英雄」はちょっと思いつかないです。匹敵する人がいないわけではありませんが。

 第一次大戦勃発当初から、石井はロシアへの援助を最も主張していました。英国のグレイ外相に対し、七年戦争の故事を引いて、「東部戦線を崩壊させてはならない!油断するな!」と説教したとのことです。実際に日露協商を実質的な軍事同盟にもっていくのに主導的な役割を果たします。さすがに帝国陸軍の派遣は日本の能力の限界を超えていたでしょう。後のシベリア出兵以上に国民的合意も得られなかったでしょうし。だから可能な限りの武器支援はしている訳です。

 ただ、第一次大戦はしょせん「欧州大戦」にすぎず、「世界大戦」になっていない訳です。カナダから地中海まで、帝国海軍が守っていたからです。

 ドイツ海軍唯一最大の利点であるUボートによる通商破壊は帝国海軍にはまったく通用しません。米国には通用してしまいますが。(この点の細かい話は、下記の平間先生の御著書を参照。)

 ではなぜ日本はヴェルサイユ会議で、五大国の末席であって、それ以上の発言力がなかったのでしょうか?この疑問に対しては、全権代表の西園寺公望や牧野伸顕の資質は、散々言われているのでとばします。

 あまり言われていないことで石井に関することで言えば、当時の首相の原敬が理由不明に石井を毛嫌いして、石井を会議全権団に入れなかった、ということは言えます。ついでに言うと、原敬は外務次官出身ですが、相当な外交音痴です。これもそのうち、ご紹介していきたいと思います。『原敬日記』の記述を見ても、井上馨の下で仕事をしていながら井上が何をやっているのかわかっているとは到底思えないですし。原に関しては、内政での評価と切り離すべきでしょう。

 英米との関係にしても、石井は冷静に見ています。ほとんどの人が忘れていますが、大英帝国にとって、第一次大戦後の米国は自らの覇権に対する脅威です。はっきり言えば、英米は相互に最大の仮想敵です。石井は、日本がしっかりしていれば、英米どちらも日本を味方にしようと擦り寄ってくる、と見ています。実際には、日本人の大多数が英米一体視による被害妄想を抱き、破滅に至るのですが。(親独派とアジア主義者は、反英米の一点で同意できる)

 原爆の日云々に関連してですが、これに関しては三国干渉以後の状況が参考になるでしょう。

 三国干渉によって、世論と衆議院議員の多数は「臥薪嘗胆!」とロシアへの憎悪を絶叫していました。一方で(干渉の直後はともかく)当時の日本の元老・外交官・高級軍人は皆、ロシアではなくドイツが黒幕だと知っていました。しかし、責任ある指導者たちは誰もそれを口にしませんでした。ロシア一国でも大変なのに、あえてさらなる敵を作る愚をおかしたくないからです。そして行動で、日露戦争による勝利と一九〇七年四国協商によって、苦境をひっくり返した訳です。四国協商とは、つまりは日本だけが安全地帯にいる対独包囲網です。これは日露戦争の勝利と、その前後の対外政策の成果です。

 アメリカが憎い、ソ連が許せないは正論です。しかし、敵は選ばねばならない訳です。まずは祖先たちは苦境をどう切り抜けたかを学ぶべきでしょう。

 また学ぶべき外国の事例もあります。イスラエルなどは、第二次中東紛争で、英仏を餌にして米ソを出し抜きました。

 米国に対する私の立場としては、反米でも拝米でもなく、親米であるべきだと思っています。現実には同盟国として仲良くするしかないのですが、拝米にならないためには歴史を忘れてはならないのは確かでしょうね。

 最後に、大英帝国絶頂期の外相であるパーマストン卿の言葉を。

「大英帝国には永遠の敵も永遠の味方もいない。永遠の国益があるだけである。」

※「シベリア出兵」などという独立した紛争は存在しませんが、便宜的に呼称を使用しました。そんな戦 争が存在したと思っているのは日本人だけです。最近、アメリカ人の一部も怪しいですが。

<推薦図書>

石井菊次郎『外交余録』(岩波書店、一九三〇年)

石井菊次郎『外交随想』(鹿島研究所出版会、一九六七年)

海野芳郎『国際連盟と日本』(原書房、一九七二年)

平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事との連接』(慶應義塾大学出版会、一九八八年)

君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交 : パーマストンと会議外交の時代』(有斐閣、二〇〇六年)