女系天皇は女性差別

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 本来は、皇后陛下は皇族でならなければならなかったが、光明皇后以来、臣下の女性もなれることになった。本来は、先例の変更は望ましいことではないが、時の事情で止むを得ない場合もある。その時に変わらぬものこそ真の伝統である。

 では、光明皇后による新儀においても変わらなかった伝統とは何か。

 男女分業と女性尊重である。

 恐れ多くも、我々日本人は、皇后陛下や皇太子妃殿下を皇族に対する最高の敬称でお呼びするのに何の違和感もない。皇后陛下も皇太子妃殿下も元は民間のご出身であられたが、そんなことは誰も気にしない。女性だからである。

 ではなぜ女性だと気にしないのか。育児と出産、特に出産は絶対に男性にできないことだからである。出産により、皇統をお守りいただいた女性に対して最高敬称でお呼びすることに何の問題があろうか。新儀においても変わらなかった、むしろその後も生き続けた伝統とは、男女分業と女性尊重である。この伝統と原則を変えるとは、男が子供を産めるようになるほどの驚天動地の新儀である。それか、それに匹敵するような出来事が起きてから考えればよいのである。

 さて、皇族の女性方は民間人とご結婚されると、臣籍降下される。もちろん配偶者の男性が殿下、ましてや陛下と呼ばれることはない。この原則の前には、藤原・平・源・北条・足利・豊臣・徳川といかなる権力者も触れることはできなかった。つまり、皇族以外の男性を殿下、ましてや陛下と呼ぶことはありえない、これが日本国の国柄である。女性に対しては構わない、これも日本国の国柄である。

 この伝統を壊してどうしようというのであろうか。

 あまりにも恐れ多い例えだが、もし足利義満さん(仮名・男性)が皇族の女性と結婚しようとしたとしよう。ではその男性を義満殿下とでも呼ばねばならないのか。義満さんが一体、何の資格で呼ばれるのであろうか。義満さんは自らの腹を痛めて親王殿下や内親王殿下をお産みになられたのであろうか。その足利さんがよこしまな考えの持ち主であったらどうなるのか。

 女系天皇だとこれができてしまうのである。

 帝国憲法審議と同時の明治の皇室典範論議でも女系天皇は議題にはのぼったが、のぼっただけで却下されている。他に方法がある時に採用する手段では決してないからである。

 皇室と日本の伝統に反する女性差別をなぜあえてする必要があるのか。問題が多すぎる。