河野太郎自民党幹事長代理、今週のホームラン。
7月12日のツイッターより http://twitter.com/konotarogomame/
役員会。今回は相手のオウンゴールだと言うと、大島幹事長「相手ゴールの前まで攻め込んだからこそオウンゴールになった」確かに公募で選んだ自民党の新人候補は13勝5敗だった。
この調子で、秋前にはマグワイアを超えて欲しい。この人「ボールにすら触れていなかった」とか言っていなかったか。
さて、参議院議長選出で早速、公明党・社民党・共産党がみんなの党と自民党に反対。いきなり正体を現している。まさにあぶり出しに成功。何にもしないのが良くない。こういうのの勝ち負けは、行動したら成功、何もしないと失敗。
それはそうと、最近は政治にかかわる人が、違う立場の人の悪口を言い過ぎる。選挙だと言わざるを得ないところもあるが、考えてから言う習慣をつけないと。そこで挿話二題紹介。
その1 武吉の話
大野伴睦という政治家がいた。最初は鳩山一郎の側近だったが、三木武吉が鳩山側近となるや居心地が悪くなり、吉田茂に忠誠を誓った。大野曰く「わしは鳩山先生のために、座布団を暖めている」と。
選挙の時には「大義、親を滅す!」と、昔世話になった鳩山さんより天下国家が大事だと演説。
そこに日本憲政史最強の野次将軍こと三木武吉が合いの手。
「大義の大は、大臣の大!義は議長のギだ!大野君は大臣、議長になりたいがために、大恩ある鳩山先生を裏切ったのだ!」と。
伴睦先生、このネガティブキャンペーンであやうく落選しそうになる。
後年、日本民主党の三木と自由党の大野が保守合同を成し遂げて自由民主党を結成。(@中央大学駿河台講堂)
三木先生、謝って許してもらえたらしい。
その2 武夫の話
田中角栄が総理大臣の時。角栄は、三木武夫副総理の地元の徳島に側近の後藤田正晴(元警察庁長官→官房事務副長官)を殴りこませる。定数が一で三木派の城代家老の久次米という参議院議員がいるのに、党の公認をとりあげて後藤田を立候補させるという暴挙。これに三木派は「メンタマに手を突っ込んでかき回してきた!」と激怒。田中金権選挙にも関わらず、久次米が当選。
即日、三木は副総理の辞表を提出。ついでに大蔵大臣の福田赳夫は六日もウダウダしてから辞表を提出。いっしょに「金権政治批判」をはじめる。
その時の三木がえげつない。側近の記者を使い、政治部長を通じて「いいか。俺は角栄の個人的な悪口は一切言っていないからな。」と伝えさせる。
その頃の福田は全国行脚で個人攻撃の嵐。三木はほったらかし。福田をとめやしない。
そうしている内に田中内閣は退陣。その時、田中派は「福田だけは絶対にならせてなるものか」と凝り固まる。で、「三木でもいいや」という雰囲気に。
何も考えずに立場の異なる相手の悪口を言う人が多すぎますね。
敵と犯罪者は違います。敵は単に今の利害が異なっているだけです。
最後に、三木武夫の人生訓。
昨日の敵は、今日の友
実は誰とでも手を組めるから、バルカン政治家と言われていたのでした。