司馬遼太郎という人の説によれば、日本は「坂の上の雲」を目指しているうちは良かったが、日露戦争の勝利で転がり落ちたとか。中身は山のように反論ありますが、結論には賛成します。
では、「坂の上の雲」は何年でしょうか?
特定できます。
明治四十年(一九〇七年)です。
歴史学界でもこの年の意義はマトモな人にはようやく注目されかけています。なぜそうなるのかは、『総図解 よくわかる日本の近現代史』をどうぞ。(宣伝)
表題、明治四十年帝国国防方針のことです。
24日発売の『歴史読本』の特集が「大日本帝国海軍 全史」でして、私も二本寄稿しました。四箇所に分割掲載されていますが。その内の一本の主題が、「帝国国防方針」です。海軍の話なので題名は「八八艦隊」となっていますが。
よく言われるのが、「陸軍はロシアを、海軍はアメリカを仮想敵国にした。昭和の侵略の原点だ!」と。
残念ながら、大日本帝国は世界征服など微塵も考えておりません。それどころか、昭和十年代後半にならないと、対インド作戦すら考えていません。現在のアメリカが、中東からハワイまでの航路の維持を覇権存続の条件と考えているのと比べると、なんとつつましいことか。昭和でこれなのに、明治から考えているはずがない。
では、帝国国防方針って何?
予算獲得の作文です。
陸軍はロシアの復讐に備えるという大義名分がありました。対する海軍は、それでは予算を取られてしまいます。そこで、絶対に戦争になどなるはずのないアメリカを仮想敵にして、「アメリカと太平洋ではりあうには艦隊が必要なので!予算を寄越せ!」と作文を投げ合って、抗争します。
で、最大の貧乏くじを引いたのは東条英機。
陸相の時は、「対米戦反対を言わない。海軍はそんなに自信があるのか???」
首相の時は、「あれだけ予算を持っていきながら、アメリカと戦争する気なんか全然ないじゃないか!!!」
教訓!
官僚の作文は時に実現してしまいます。国策は真面目に考えましょう。