昭和二十年八月。満洲国の防備は、公称七十万、実質七万人の関東軍が担っていた。主武器は地雷と「木銃」!
一応、不可侵条約を結んでいるソ連邦は翌二十一年四月まで有効の同条約の更新の否を通告してきた。三ヶ月前に欧州方面でドイツが無条件降伏し、その余剰兵力を東の満洲に向けてくるのは時間の問題であった。最新鋭のスターリン戦車に乗って。。。
この時の関東軍や政府のお偉方は途方も無い判断をしていた。
「ソ連の侵攻は秋くらいだろう。」
それどころか、政府に至ってはソ連を通じた和平工作などを展開していた。
まあ、バチカン・スイス・スウェーデン・スペインとあらゆるチャンネルを使っていたので、
それ一本でないのは許すべきだが。
このように悠長な東京の外務省に対し、佐藤尚武駐ソ大使は怒りの公電を送り続ける。
「モスクワからシベリアに向けて大量の物資を運ぶ列車がひっきりなしに出発している!」
「開戦間近だ!」
と。
この佐藤大使の電報は誰にも相手にされなかった。。。
かくして八月八日。
東京の訓令に従い和平仲介を依頼しようと、ようやくモロトフ外務大臣に面会できた時に手交されたのが、宣戦布告であった。
ついでに言うと八月九日付での開戦だが、まだ八日の段階で侵入している。もはやそんなことはどうでもよい。不可侵条約を完璧に破っているのだから。
ソ連の一方的な国際法違反、これほど露骨な条約破りがあったであろうかとの不法である。
ソ連も、その継承国のロシアも、「私が悪うございました」とは認めない。
(エリツィンが多少その傾向を見せたが、プーチンが全部ひっくりかえした)
何より反省すべきは、
「ソ連の侵攻は秋くらいだろう。」
などと何の根拠も無い希望的観測を続けた政府や軍のお偉方のノー天気な思考である。
現代、日本は滅びようとしている。
今年の夏の参議院選挙で、売国勢力が勝利すればもはや二度と取り戻せないかもしれない。
検察は北教組に攻撃を仕掛けた。狙いは日教組の首魁・輿石東なのは明白である。
検察は決して無敵機関ではない。世論の支持なくしては戦えないのである。
民主党政権の膿をこれでもかとあぶりだす!日本国民は売国勢力の存在を許さない。
これを伝えることから始まるのである。
しかも今やらねばいつやるのか。侵略者たちが日本乗っ取りを待ってくれるのか。
民主売国、自民亡国、共産逆賊、公明朝敵、社民害虫、そしてその他無力。
なるほど今の日本人には選択肢がないかもしれない。
しかし、世論が「無関心ではない。救世主を待っているだけだ」との態度を示せば、必ず現れるのである。
今の絶望が、明日も続くとは限らないのである。
朝の来ない夜はない!
それまで一人でも多くの人に危機意識を伝え続けるべきでしょう!
今まで政治に関心などなかった普通の人が「日本はもう危ない」と思い始めてこそ、世の中が変わります。
今この瞬間に一人でも多くの人に危機を伝えねば、絶対に後悔します!