改正憲法説とは、「日本国憲法は事実として、大日本帝国憲法の改正手続でなされた。よって、日本国憲法の正統性は欽定憲法に求められる」との説である。佐々木惣一、大石義雄両先生以来の京都学派伝統の理論である。現状の秩序の意味を説明する法学者としては、自然な議論ではある。百地章先生もこの立場を採られている。竹田恒泰先生もこの説で、研究会ではお話を聞かせていただいているが、まだ世に出している御著書では纏められていないので、以下に紹介する説は私が理解する佐々木説の紹介である。
まず前提であるが、佐々木博士が日本国憲法を全肯定しているはずがないのである。理由は、内大臣府から帝国憲法の改正憲法草案作成を依頼されて完成させた内容は、帝国憲法の改正憲法であり、日本国憲法的要素など皆無である。むしろ日本国憲法の価値観を否定しているのである。ではなぜ日本国憲法を帝国憲法の改正憲法として肯定するのか。悪法も法であるとの、法学者としての立場からである。将来の改正を前提として、現状の憲法を事実として肯定しようとの立場にすぎないのである。改正憲法説の立場からは、八月革命説も無効説も大日本帝国憲法の手続と天皇の権威の下で行われた事実を否定している点で、同様であるとの観方もできる。結論だけとりだして改正憲法説が占領政策全肯定ならば、無効説も八月革命説の裏返しとも言えるのである。誰がどのような根拠で主張しているのかを見なければ単に相手を悪魔化するだけの陥穽に陥りかねない。
さて、ポツダム宣言の意味であるが、日本は国体の護持を唯一の条件として降伏を受諾した。国体とはすなわち天皇を中心とした歴史的伝統である。特定の憲法典の条文や原則ではない。近代憲法典制定以前から存在する本質的な国のあり方である。改正憲法説では、憲法典のほぼ全面的な改定により政治体制こそ変更されたが、悠久の歴史を貫く日本の国家体制は変更されていないとの立場を採る。その最大の根拠は、皇室そのものは安泰であったからである。米国などは共和政体そのものが国体であるので両者は不可分であるが、わが国においては充分に可分論が可能である。むしろ、摂関政治・院政・幕府と政体がいかに変わろうが、天皇を中心とする国体に変更がないとは、戦前憲法学のほぼ共通合意であった。それが国体の変更を意味するのか否かは議論があるとして、立憲君主制であれ、象徴であれ、天皇の存在が残されたという事実に争いは起きまい。京都学派の立場は、日本人の努力により国体は護持されたとの説である。その意義を積極的に評価しようとの立場である。
また、京都学派の議論の前提は、憲法改正には限界がないとの、改正無限界説である。極端な議論だが、国民の総意で天皇制を廃止して共和制にしようなどとの意見が多数になれば、それを止め得る憲法原理は存在しないとの認識である。少なくとも法の力では止めようがないとの説である。
ただ、注意しなければならないのは、佐々木博士の場合、あくまで法律論として限界は無いと解釈しているだけで、政治論としては反対である。皇室への忠誠心で人後に落ちない佐々木博士である。もし国民がそのようなおぞましい事態を望むならば、もはや日本が日本でなくなる、との危機感から事実を直視して不断の努力をするべきであるとの主張である。法律論としての「である」と、政治論としての「べきではない」はまったく矛盾しないのである。決して「国民が何でも好きなように決めればよい」などという次元の投げやりな話ではないのである。日本国家の歴史を貫く秩序、すなわち貫史憲法には天皇すら反することはできないのである。これは原理である。日本の国柄は天皇と国民の紐帯である。天皇だけでもなく、国民だけでもなく、君民一体の歴史こそが日本の国体なのである。この事実に反する事態こそが貫史憲法の否定であり、それは日本国の歴史の否定である。
※ちなみに日本国憲法学の教科書の用語により貫史憲法を説明すると、「近代憲法典以前に存在していた実質的憲法とも言うべき法秩序」である。
さらに、改正憲法説は条約に対する憲法優位説に立脚する。よって国際法との関係は考慮しない。瑕疵があろうとも、天皇の権威により修復が可能である。ただし、修復をするべきか、しかも恒久的に固定するかどうかは別問題だが。
改正憲法説の利点は、現実的要請である。現行憲法第五章の内閣規定などは戦前日本における立憲主義の結晶である憲政の常道の成文化である。(運用により実に非立憲的な運用をされているのは「亡国前夜」で解説の通り。)
問題の九条二項も「前項の目的を達するため」に、戦争をして良いし、戦力を保持してよいとの解釈を最初に考え出したのは、金森徳次郎憲法担当大臣と佐藤達夫法制局長官である。学説として明確にこのような解釈を打ち出したのは佐々木博士が最初である。
※今の内閣法制局からは想像もつかないが、この頃の法制局は国体護持派の拠点である。あまりにも占領政策に抵抗したので、マッカーサーにより一度廃止されているほどである。
改正憲法説は、近い将来の改憲を前提とした説であった。マッカーサーが不法を「憲法」として押し付けてきた以上、しかも天皇の名前で公布施行させるという手段をとった以上、それを「無効」や「革命」と称すると陛下の権威に余計に傷がつく。将来の自主憲法制定までは、解釈と運用で乗り切ろうとの主張である。ただ、それは佐藤栄作内閣高辻正巳内閣法制局長官によって、完全に封印されたに等しい状態であるが。
さて、改正憲法説の問題点である。本当に日本の歴史的伝統すなわち貫史憲法に違反していないのか、という点において疑問は残ろう。少なくとも、京都学派の改正憲法論は「国体を護持する」「天皇を守る」がすべてに優先するのであり、憲法典としての日本国憲法が妥当だとの観点はないのである。自然な法律論でありながら、根本となる事実があまりにも出鱈目であるので、政治論を併用しないと説明がつかない事態が多すぎるのである。これが純粋法律論を好む法学界で忌避された理由である。
最後に、ハーグ陸戦法規など慣習国際法(確立した国際法規)との関係が問題となる。
これに関しては、以上も相当の専門的知識が読みこなせないような内容だが、さらに手加減抜きの表現をさせていただく。
単なる条約に対しては憲法典が優位の関係にあるが、確立された慣習であると認められる国際法と憲法は等位の関係にある。
たぶん何を言っているのか、まともに説明するとさらに大量の分量が要るので、一応は立場の表明ということだけで。
改正憲法説において国際法上の瑕疵を復元する方法を実は抱懐しているが、これは時が来るまで言わないです。ヒントが欲しい人は、竹田恒泰『怨霊になった天皇』(小学館、二〇〇九年)をお読みください。同書を読んでいる時に思いつきました。
しつこいようですが、どの説を主張しても、まともな人はまともだし、駄目な人は駄目です。大事なのは結論ではなく、内容です。