「公的行為」について

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問題:憲法三条には「内閣の助言と承認」とある。「助言」も「承認」も違いはまったくない。
ではなぜ余計な「と承認」などという言葉が入っているのでしょう。(解答は末尾に。)

 さて、今次騒動での共産党の理論武装は見事である。敵ながら天晴れである。敵ながら。宮内庁も「外国首脳との謁見は公的行為であって、国事行為ではない」と追随した。

 小沢民主党幹事長の法律音痴に基づく傲慢を叩くにはそれで良いのだが、この「公的行為」という概念、帝国憲法や英国憲法をかじり少しばかり文明国の立憲君主制というものがわかっているつもりの立場からは危険に思えるので、私は言わないようにしている。だから、今回の行為は「国政行為への天皇の利用」=「天皇の政治利用」とだけ述べている。

 憲法三条の解釈論で「公的行為」を「国事行為」と勘違いしたのならば、単に小沢が勘違いした、ですむのだが、四条が禁ずる「国政行為への天皇の利用」は完全に憲法違反である。

 さて本題。
日本国憲法学は天皇の行為を、(国政行為・)国事行為・公的行為(・私的行為)に分けている。らしい。
国政行為とは実権を伴う行為である。戦前はいざ知らず現在は禁止されている。らしい。
国事行為は内閣の助言と承認を必要とする儀礼である。天皇に自由意志はない。らしい。
公的行為は、儀礼の内、公的性質を伴うが、内閣の助言と承認を必要とせず、天皇にも自由意思がある。らしい。とはいうもののたいていは宮内庁と相談するが。
私的行為とは、まったく公の性質を帯びない行為である。らしい。(天皇にそんなものがあるのかという説もある)

 ここで言う、国事行為と公的行為の違いである。とりあえず国事行為を定めた(六条と)七条をご覧あれ。

第六条【天皇の任命権】
1 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条【天皇の国事行為】
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状   
  を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 これに含まれない儀礼的行為が公的行為らしい。通説には、「では十号は?」とか、「それを言い出したら六条は国事行為に含まれるとは書いてないのでは?」とか聞きたいが、そもそも日本国憲法が法律のテイをなしてないなどという大人気ないことを言い出すと収拾がつかなくなるので、今回はここまでで自粛。
立法趣旨は明らかに七条一号から九号が例示のつもりなのだが、まあそれは理由があるなら解釈を変えてよかろう。ここまでは法律論として恥ずかしいだけで、実害がないから良しとしよう。
ただ、天皇は国事行為に関して本当に「自由意志がない」のか?これは本質論である。
宮沢憲法学は「象徴天皇はロボットである!」と言い切っているが、それは文明国の立憲君主制から逸脱している。共産党ならいざ知らず、保守の総本山であるべき宮内庁がそれでよいのか。
英国憲法学に曰く、「国民は君主が専制的に振舞うことも、傀儡となることも望んでいない。国家の尊厳を代表することを望んでいる。」と。
だから形式的には君主に統治権があり、慣例(正確には習律)により、たまたま毎回、政府の決定を拒否しないのである。憲法体系が維持されている間は、君主は余人を交えぬ場で大臣に意見を伝えることができるが、政府には聞く義務はない。(賢い君主ならば大臣が言うことを聞きたくなるような賢いことを言うから、そんな権限は必要ない。)君主が本気で政府のやることを止めたい場合は、憲法体制を壊すつもりでやるならば、本来の統治権を行使してよい。

 帝国憲法体制も同じである。憲法秩序が存在する平時においては日本国憲法も運用は同じになる。
では政府が憲法違反をしたり、憲法秩序を壊したりした時、天皇はそれを追認するしかないロボットなのか。

 普段は、国事行為に関して天皇は黙々と儀礼を遂行する存在、で構わないだろう。
しかし、「天皇に自由意志がある」「いやこちらにはない」などという学説自体が不遜ではないか。
また、「国家の尊厳を代表する」という立憲主義にも反している。

 繰り返すが、共産党は天皇がロボットで構わないのである。
では宮内庁は?

 我々は、「天皇は意思なきロボットであるべきである。天皇が自分の考えを政府に述べるなど、危険だ」などという宮沢憲法学の呪縛から自由になるべきである。天皇は本来の日本国の統治権者であり、歴史的伝統として、政府や国民の和を重んじ、自らの発言を抑制してきただけである。そのような天皇陛下を恐れ多くも、よりによって外国の歓心を買うために利用した政府の憲法違反を糾弾すべきである。

 憲法三条の解釈だけが問題になっているが、今回の問題の本質は四条である。私はこれを危険なすり替えと見る。
小沢が憲法を知らなかったから問題なのではない。政府が外国の歓心を買うために、天皇を利用した、これは憲法四条が禁ずる国政行為への天皇の関与である。
帝国憲法下ならば「宮中府中の別を乱す」と厳しく戒められた行為である。

 やはり、羽毛田長官が真に忠臣であるならば、辞表を提出すべきである。まだ時間はある。一月の通常国会で、誰かが内閣法制局長官の見解を問いただせばよいのである。その際に辞表を提出すれば歴史に名を残せる。
察するに、羽毛田長官は小心者のようである。しかし、歴史は勇者だけがつくるのではない。
臆病者の勇気が国を救うこともあるのである。

 今こそ内閣法制局長官の答弁が求められる。質問主意書では駄目である。法律家としての法制局長官の答弁が必要なのである。

 まず憲法三条の問題として「宮内庁は国事行為ではなく公的行為であると認識しているようだが、それは憲法解釈として正しいか」と聞いた後に、「政府の宮中内規の無視、しかも動機は政府与党の要人が『中国は大事な国である』などと自白しているように政治利用であり、天皇の国政行為への関与を禁ずる憲法四条への違反を政府が犯したのではないか」と聞くべきである。


一月の通常国会が待ち遠しい。必ずや戦場となろう。と期待する。

 陛下の野党が決起せよ!

 

 

解答:ケージスという日本国憲法を押し付けたアメリカ人が、「advise」という単語の意味を   知らなかったから。日本側担当者がいくら説明しても理解できなかった。