石橋湛山の言論人としての致命的な弱点(倉山塾メルマガより)

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6日後の7月25日は
第1回「倉山塾教養ゼミナール」です。

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石橋湛山をまとまって取り上げたのは、
『偉人たちの日本史』(ビジネス社、2021年)ですね。
今日は、あそこでは書かなかった話を。

石橋湛山は、エコノミストです。
金解禁の時代にその誤りを指摘し、
当時は孤高でしたが、
後に石橋の言っていたことは正しかったと
証明されました。

戦時中は官憲の圧力に対し一歩も引かず、
統制経済その他、政府の誤りに命がけで抵抗しました。
自由主義者の鑑です。

占領中は民間人ながら蔵相に就任、
わからずやのアメリカ人のご機嫌を取らず、
公職追放されます。

その後は政治家として総理大臣になりますが、
すぐに病気。
総理大臣の仕事をできないのにその椅子には留まらない
とあっさりと総辞職。
政敵も含め、日本中に感動を与えました。

さて、この過程で
石橋の言論人としての致命的な欠陥があります。

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