本当の憲法記念日

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 本日はゴミの日ですので、頑張って大掃除をしていました。
ところでなぜ単なるゴミの日なのに祝日なのだろう。
なぜ祝日なのに街に日の丸が少ないのだろう。
不思議も不思議、摩訶不思議。

 不思議と言えば、今日を「憲法記念日」と呼ぶ人もいる。
はて。日本国憲法という、憲法の名前を冠した占領基本法のことだろうか。
今の日本、形式的には独立国ですが、実質的には被占領国ですから、
形式的憲法は存在しても、実質的憲法はかなりの制約を加えられているわけです。

 この日本国憲法という憲法みたいなもの、ゴミですら嫌がるようなおぞましい存在で、「早くこんなものを処分してしまいましょう」ということを誓う記念日なのでしょうか。
あるいは、見るも無残に殺されてしまった帝国憲法の敵をとるぞ、帝国憲法の魂を復活させるぞ、絶対に帝国憲法のことを忘れはしないぞと決意を新たにする日なのでしょうか。
毛利家が毎年元旦に「関が原の恨みを晴らすぞ」と誓っていたようなものか。
などと考えていたら、大掃除が意外と進まないので、徹夜かなあ。

 ちなみに、帝国憲法の改正案として提出された日本国憲法が貴族院を通った時、議員たちの間からお通夜のようなすすり泣きと嗚咽が響いたとか(約一名、宮沢俊義は薄ら笑いを浮かべていたに違いないが)。枢密院では可決後に、議長の清水博士は本当に屈原にならって投身自決をしました。

 最近の私の仕事。
見るも無残に殺されてしまって挙句に死体の陵辱をされ続けている、大日本帝国憲法を復活させる呪文を唱えること。

 ということで、「帝国憲法は生きている!」とかいう妄想にはお付き合いできませんので悪しからず。
それ、「昭和二十年八月十五日に革命が起きたのだ!」とかいう妄想の裏返しで、
やっぱり妄想なので。

 最後にマジメな話。日本国憲法に対する主要学者の態度。

 美濃部達吉「これは革命とでも呼ぶしかない事態だ(つまり亡国)」
佐々木惣一「帝国憲法は見るも無残に姿を変えられてしまった」
清水 澄 「もはや帝国憲法は殺された。私も(物理的に)殉死します」

 三人の泰斗の言動はまったく違っていて、
私程度の能力では誰が正しいのかを結論付けるのは本当のところは無理なのですが、ただこれだけはわかります。
三方とも法実証主義なので、事実に基づかないことを言っていないということです。

 戦後日本の悲劇は、宮沢俊義という変節漢が、落書きに出鱈目を塗り固めたまったく事実に基づかない妄想を、占領軍の権力と時の勢いだけで押し切ってしまったことです。

 ちなみに本当の憲法記念日は?

11月29日です!

 将来の政府に望みたい。
5月3日は護美の日に、11月29日を憲法記念日としていただきたい。
これにより、将来の日本人が日本国憲法などという粗大ゴミの存在を忘れることができるでしょう。