世界史(3)―総力戦体制

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 ボツネタその一。 ドイツの将軍は開戦劈頭、イタリア軍参戦の速報を聞いて訊ねた。「敵軍にか、我が軍にか?」と。副官答えて曰く。「裏切って我が軍に攻め込みました!」と。将軍曰く「ばんざーい!足手まといが向こうに行った!」と。・・・イタリア軍が戦争を二年長引かせたと言われる。

 ボツネタその二。トルコの参戦は連合国の勝利を二年遅らせた。よって、双方が短期決戦になると思われた戦争が、四年にも及ぶ大戦になってしまった。。。

 ちなみに、「決戦」とは、「その勝利により講和に持ち込む戦闘」のことです。講和とは条件交渉である以上、総力戦において決戦など存在しないのです。

 このことから応用。

 日米戦争における日本海軍はいつかどこかで起きるであろう「艦隊決戦」を延々と追いかけ続けた。米国が総力戦を挑んでいることに気づいていなかったのか、それとも総力戦そのものを理解していなかったのか。答えは両方である。この人たち、日米戦争の趨勢のほとんどを予言的中させた総力戦研究所の提言など、組織的には何も理解していなかったと称されても文句は言えまい。日本海軍、この意味で無能な官僚機構である。現場は優秀なのに、中央のお偉いさん(キャリア官僚)ときたら。。。

 さらに。敗戦濃厚の昭和二十年。「本土決戦」と怒鳴っていた、頭の中身が風越信吾のような陸海軍の首脳を占めていた。この一事で日本人の本音は戦争をやめたがっていたとわかる。「決戦」とはその戦闘で戦争そのものをやめることを前提としているので。日本を占領してからが本番で、「どうやって日本人を洗脳し、自分の都合の良いように改造してやろうか」などと考えている米国人と比べて何と軟弱なことか。ちなみに、日本人改造計画の教範のひとつが『菊と刀』である。

 さて、本題。 

 副題の「敵の総力を打倒する戦争に」は私が変えました。「国家の総力を動員する」だと、単なる総動員体制ですから。

 第二段落は、国際的には常識的な内容ですが、日本では異様に受け取られるでしょうね。たぶん、日本近代史家の大半は「伝統国際法」など、何のことか説明できないでしょうし。しかし、ウェストファリア体制とかウィーン体制が何かわからずに日本近代史を語れる人って、才能なのか、勇気があるのか。少なくとも私にはそんな匹夫の勇は無理です。院生時代に基礎から勉強しました。

 戦争とは、「鉄(軍事力)と金(経済力)と紙(言語力)」というの表現には苦心しました。鉄と金は誰でも説明できるのですけど、「紙」とは何だとなると、「外交力」「宣伝力」「文化力」など、色々な表現ができますけど、そのすべてを包含した用語として「言語力」との造語をしました。今の日本に最も必要だと思います。

 ちなみに、最初の一段落と最後の一行で、何気なく日本目線を入れています。

 編集から「世界史もできるのですか」と聞かれて引き受けた仕事ですが、専門・応用はともかく、基礎・教養分野に関しては、いやしくも日本近代史を専攻する身としては、「世界史」に関してはわかっていなければならないと思っています。少なくとも日本は十九世紀以降は明らかに世界史に巻き込まれているのですから、日本国内だけの論理で日本を語れないでしょう。

 教科書には「世界の中の日本」などと題されることが多いのですが、日本史と東洋史(中華王朝史)と西洋史(英仏独史の一部)を並べただけで、なぜ「世界」を語れるのか。

 レスでその手の内容、たとえば「世界の中の日本史」みたいな内容を求めてくださる方が覆いようですけど、十年位前から用意はしていますよ。オファーがないだけで(笑)。ちなみに、外交史の先生にレジュメを見せたら、「今の大学院生にこれをわからせるのには一年はかかるねえ」とのお言葉をいただきました。今だと三年くらい?