「次の内閣」にならない?

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 最初は「知り合いの知り合いの知り合いの知り合い」と、口コミではじまった「帝国憲法講義」も、「『正論』見ました」と興味を持って来てくださる学生さんもいらして、広がりを感じます。ありがたいことです。このブログも結構、見て頂いていましたし。

 今日の内容は、春に竹田恒泰先生の授業にゲストで御呼びいただいた際の、慶應大学大学院法学研究科での授業レジュメをそのまま使ったので、かなり高度に思われたかもしれません。レジュメは「大学ではできない、大学院の授業」になっていましたが。

 さて、気になったのが下の記事。

 題して「鳩山政権人事構想」で 、民主「次の内閣」“影”のまま…?

http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090823/elc0908230202000-n1.htm

 鳩山氏は「次の内閣」(NC)大臣を実際の組閣には反映させない意向を示している。だが、民主党が議院内閣制の手本とする英国では政権を取った政党は「影の内閣」から閣僚を起用するのが通例だ。1997年、労働党のブレア元首相が政権を取った際も、副首相、蔵相、外相など全閣僚の3分の2を「影の内閣」から起用した。鳩山氏がNCを無視して組閣すれば「NCは単なるお飾りなのか」と批判も招く可能性がある。

 「次」と呼ぼうが「影」と呼ぼうが、その人が現在の閣僚に代わる、という意味のはずだが。まあ、首相が人事でフリーハンドを得たいという気持ちはわからないでもないが、原則としては全閣僚を「次の(影の)内閣」から登用すべきであり、それが公約遵守のはずだが。

 大事なのは、影の大臣が現職大臣への質問の中心になり、代替政策を提示することなのだが、日本ではあまりというかまるで行われていない。ついでに、副大臣は細かい答弁を仕事とする役職だが、これもあまりいかされていない。どこの役所でも副大臣の扱い、もてあましているようだし。国会答弁の作成が官僚の仕事の大半を占めるのが、あらゆる意味での無駄だが。

 与野党とも、英国の形式ではなく、実質を真似ないと、無意味である。