維新と国民がロックダウンを言い出した。
内容はほぼ同じで、
「強制力と罰則を伴う命令と同時に補償」
さて、日本国憲法において可能か。
可能である。
理由は簡単で、日本国憲法は時の政府を掣肘する力を持たないから。と言えば身もふたもないが、現在のコロナ対策における超法規的措置は枚挙にいとまがない。
維新も国民も、このような惨状を二度と繰り返さないように今から議論すべきだとの趣旨なので、立憲的(=超法規的ではない)ロックダウンを可能とする条件を箇条書きにしておく。
まず大原則。国民の権利を制約する場合は、目的と手段(手続)における合理性が必要となる。
今回のような伝染病に対しロックダウン(都市封鎖)を行いうる条件とは?
一、科学的根拠があること。
「単なる仮説が許されるのは初動のみ」と最初から明記すること。特にペストかエボラ出血熱のように危険な伝染病かもしれないのような、単なる仮説をいつまでも引きずるのは、それ自体が立憲主義の破壊である。
二、補償があること。
損失を上回る補償でなければ意味が無い。
遅延には利子をつける。政府への強制力をつけるため。
三、罰則は慎重運用、手続の厳格化、比例原則に則っていること。
罪刑法定主義を無視するなど、論外。
四、政策の検証する仕組みが担保されていること。
仮説が独り歩きして修正できない、予算執行を監視(チェック)できない、行政府の思い付きで国民の権利侵害ができる、などは論外。
一~三は憲法的法律、四は行政府と立法府の仕組みそのものの検討にいたると思われる。
以上の観点から、見守りたい。
維新と国民で「強制力と罰則を伴う命令と同時に補償」という同じ言葉でも、ロックダウンや緊急事態法制について、それぞれの政党のスタンスはあくまで僕の感覚的なものだが、違うと思う。
国民は尾身氏がいつも「今が感染の最大に広がっている状況です。」というので、オオカミ少年化して誰もいうことを聞かなくなった。
尾身氏が仮に正しいことを言っているとして、それに従わなければいけない法的根拠はなにもない。
それを路上喫煙禁止のように感染力のある人(どうやって感染力がある人を見分けるかの方法論は別にして)が屋外で感染させるようなことをしたら罰金、また、飲食店の分煙規制のように感染力のある人と重症化しやすい高齢者や持病のある人、またワクチンを打った人のエリア分けして、とくに感染力のある人と重症化しやすい人を分離する。
というような現状のコロナ対策で使えそうな実際に施行できそうな軽微な法案を考えているんだと思う。
一方、維新は現状のコロナ対策のための立法というよりも、将来より危険な感染症が出現した場合とか、破局的な原発事故や富士山の噴火、北朝鮮の核ミサイル発射した場合など、よりレベルの高い緊急事態法制を考えているように思う。
というのは、維新は改憲派で”緊急事態法制”を突破口に護憲派も改憲論議に巻き込もうというような思惑があると思う。
すぐにコロナの対策に施行・適用するよりも、将来的にもっと困難な状況に対して、より重い私権の制限を含む法案を考えているのであれば、随時立法よりも憲法改正の方がそぐう。
現状での緊急事態宣言はあくまで主体は都道府県知事であり、宣言をして規制を施行すると損害を受ける業者に給付金支払う。その財源を都道府県だけでは賄いきれず、国に求めなければ財政上難しいので、国の了解を取って都道府県知事が宣言している。
全国が被害を受ける災害や感染症の流行は想定されてないので、国が緊急事態宣言がするということは現在の法律ではどこにも書かれていない(はづ)。
尾身氏の「全国に緊急事態宣言が必要になるかもしれない。」という表現は似たようだが「47都道府県に緊急事態宣言が必要になるかもしれない。」が正しく、もしかしたら、国が緊急事態宣言の主体(現在の緊急事態宣言も)になれると勘違いしている可能性もある。