解答ではなく回答

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 どうも玉山鉄二です。(久しぶりに大嘘)・・・去年の大晦日以来。

 問題再掲。
 現在、みなさんは昭和20年8月9日の満洲にいます。
 目の前に130万のソ連軍が迫ってきています。
 日本軍のまともな武器は7万人分しかありません。
 その他の63万人にあるのは地雷だけです。

 もし、この対戦車地雷を抱いてT34戦車に体当たりすれば、婦女子が逃げる時間を2日間稼げます。
 しかし、当時満洲にいたうら若き日本人女性の大半は、中絶か自決の運命をたどりました。

 さあ男子諸君、どうする?

 で、普通の答え。
 こうなったらどうにもならないので、地雷を抱いて戦車に体当たり。ほんのわずかでも自分の愛する人が無事に生き残れる可能性があると信じて死ぬしかない。という状況です。他の国なら男が逃げても非難されないのですが、日本では全員死ぬものという価値観でした。

 よくよく問題文をよく読めば、男が逃げるという選択肢はありえないのだとよくわかるのですね。山道に迷い込んだとき、熊が突進してきたらどうするか?見たいな話で。
 自分が死ねば女は助かるかもしれない。
 自分が逃げれば男も女も不幸になる。
じゃあ選択肢はないのでは?

 これ、対米戦で特攻隊を募られたのとは状況が違うのですね。
 人として最低限の矜持と判断力があれば、もう死ぬしかないという設定なのです。

 そこで、この命題に悩んだ私は
「この状況で地雷を抱いて突っ込まなくても良い方法を探そう!」
と、歴史学の勉強をはじめたのです。

 で、得た方法が以下の二つの事例。
 ちなみに、いずれも年末のNHKドラマ「さよなら、アルマ」に生かしました。

その一 特殊部隊で特殊に応戦。
参考文献として、
鈴木敏夫『関東軍特殊部隊』(光人社、一九八八年)
「さよなら、アルマ」の有川部隊のモデルです。

 関東軍には特殊部隊があったのですね。
 その訓練は、重量三十キロ以上の荷物を身につけ一昼夜八十キロの脚力機動、山岳密林地帯の夜間踏破、水素を充填した五メートル直径の紙風船気球による空中飛流など。士官と下士官ばかりなので、一個連隊なのに300人しかいない。やっていることはほとんどマンガの忍者。

 実際の戦闘では、ひたすら遊撃戦。
 味方の兵を散らして、敵に小規模な打撃を与えつつ、こちらは決定的な被害を受けないようにする。味方は分散と集中を繰り返し、敵は分散させ漸減させてゆく。言うは易く、行なうはおそろしく難しく超人的な忍耐力がいる作戦。

 まあこの本を読むと、若い将校さんは古参兵に頼りきりだったりするのですが。
 最後は生き残ったものの、停戦協定に従ってシベリア送り。

 同じような事例が、占守島を守り抜いた池田戦車部隊。
 他の部隊よりは豊富だった武器をありったけ使い、ソ連軍をことごとく撃破した。
 ただし、最後は停戦後に武装解除される。。。

 たまたまこういう部隊に配属されていて少しはマシな武器があって、超人的な技量があれば生き残れはする(10年間シベリアで強制労働)、という方法です。

その二 軍神降臨
参考文献として、
小松茂朗 『戦略将軍根本博 ある軍司令官の深謀』(光人社、一九八七年)

 かの名作ドラマ「さよなら、アルマ」の最終盤で逃げ回っていた有川大尉(演・玉山鉄二、やっていることのモデルは私。エッヘン)や主人公達が張家口で根本博将軍が持ちこたえていると知り、「根本将軍は無敵の将軍だ!」「これで助かったぞ!」と、やっと生き残る希望を見つけるという場面で出てきた将軍です。
 この根本博将軍、満洲に隣接する内蒙古(北京の北西)にいて、数十倍の兵力のソ連軍の侵攻を受けたのですが、見事に撃退して居留民4万人を全員無事に帰したという、冗談みたいな強さの将軍です。ちなみに戦死者は2500人中、70名弱だったとか。。。
 こんな上司に恵まれたら、無事に生きて帰れます。
 以下詳述。

 昭和19年冬、根本博中将は駐蒙軍司令官になります。
 そもそも関東軍が根こそぎ動員されて数がいないのに、こんな辺境に十分な兵力は与えられません。2500人で、ソ連と国民党軍と中国共産党軍に備えねばならないわけですね。
 ところが、東京でも外地でもお気楽極楽論者が多数。国賊的な楽観論者だったのが、河辺虎四郎参謀次長と山田乙三関東軍総司令官。昭和20年5月のドイツが無条件降伏しても、「ソ連は攻めてこない」「攻めてくるとしても秋」などとこちらのご都合主義で意味不明な観測。
 なおも食い下がっても
「考えても見たまえ、あのスターリンが英米の走狗としてこちらを攻めるはずがない」
「ソ連だって中立条約の不継続を通告してきたんだ。条約を破るにしてももう少しタイムラグがある」
「ソ連を仲介とした和平は、決まったことです」
などとああ言えばこう言うで、まじめにこちらの話を聞こうとしない。

 で、根本は最低限の予算と物資と権限の要求だけはして、あとは勝手に来るべき対ソ戦の準備を始める。特に中戦車と90式野砲はかき集める。
 お偉いさんの言うとおりに内蒙古全域を2500人で守るなど無理なので、まずは、国民党と「我々が撤退した後、内蒙古はあなたのものです」などと勝手に交渉し、秘密協定を結び、中立化させる。

 また、司令部のある張家口に兵力と居留民を集中させる。
 で、丸一陣地という要塞と呼ぶのもおこがましいがないよりはマシという程度の砦を構築、山地に戦車をひそませて初動で打撃を与えるという作戦を立てる。

 実際の戦闘でも初日に大打撃を与えて、撤退させる。
 ちなみに、ソ連軍は張家口を空爆してから降伏勧告のビラを撒くというなめたマネをしたが、
そういう挑発は無視。
 そんなことよりつべこべ言う外務省を無視して強制的に居留民脱出の体制作り。
 町中に放送を流して居留民に準備を命令。
 威力偵察に来るソ連軍には中戦車と90式野砲をお見舞いしてお引取り願う。
 その上でソ連にはこちらが手ごわいと思わせた上で停戦交渉で時間稼ぎ。

 脱出する際の居留民全委員に手榴弾を二発渡す。一発は敵に投げるため。もう一発は自決用。
老若男女差別なし。緊張感がこれでもかと走る。

 直属の上司の岡村寧次支那派遣軍総司令官から武装解除命令の電報(明らかに従わなくて良いとの含)が届くが、「無法者のソ連に降伏はしない!」と返電。
 ソ連は「国際法違反だ!」と自分のことを思いっきり棚に上げた批判をしてきたが、根本は「負けたら俺一人が死刑になってやる」と、勝つ気満々の決心を軍民日本人全員に宣言。もちろん、軍民全員燃える。

 8月20日にはソ連軍も大戦車部隊で猛攻。
 ところが敵をできるだけひきつけてこちらの射程から一斉射撃するという、とても単純な罠にはめて一網打尽。ソ連軍は味方の死体も回収できずに敗走。
 そして、その日の夜陰にまぎれて撤収。(エルファシルの奇跡を越える張家口の奇跡となぜか言われないし、不敗の魔術師・ミラクル根本などの称号もなぜかもらっていない)

 ソ連軍をまんまと出し抜いて、岡村さんの指揮下(縄張り)に逃げ込み、全員無事。
 万里の長城の南にいた人たちは、満洲残留孤児やシベリア抑留者と違い、無事帰国。

 結論!
 指導者が優秀ならば絶体絶命の危機も乗り切れる!
 そうでなければ、、、死ぬ!

 こうした歴史から学んだ教訓から生まれた合言葉が

知恵と勇気と行動力!

 さあ、何の標語かは、この砦の過去ログをみればわかります。

 最終的な結論をまとめると、8月9日に目の前の大平原にソ連の大戦車部隊がいたらもう地雷を抱いて体当たりするしかないのですが、そうなる前に兆候は必ずあるのですね。

 その兆候を見逃さず、もう地雷を抱いて体当たりするしかないという状況を回避するためにも、知恵と勇気と行動力が必要なのです。

 追記
 ちなみに根本さんと言えば、
門田隆将 『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、二〇一〇年)
が去年の話題作ですが、史料批判や史実特定に問題があります。
 特に、根本さんを持ち上げるあまり、岡村さんを貶めているのはなぜ?