大久保利通が考えたこと

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 明治維新の成功率って何%あったでしょう?

 山川の教科書とか読んでいると、ペリーが来た瞬間に徳川幕府が倒れるのが決まっていて、歴史の必然のように幕末史は展開したように思えてしまいます。
まったくのウソです。「徳川さんもうだめだ」とみんなが思ったのは、日にちまで特定できます。
 慶應四年(1868年、つまり明治元年になる年)の1月4日です。
 戊辰戦争二日目、薩長側に錦の御旗が翻ってからです。
 この瞬間に雪崩現象が起きて、土佐やら肥前やらが大挙して薩長側につきましたが、その前日まで徳川方はまだ薩長の三倍の兵力がいたのですから。

 大政奉還なんて、徳川慶喜最後の罠であって、徳川抜きの政権なんてとても考えられませんでした。

 慶應元年からで考えて見ましょう。当時考えられる最も合理的な選択を積み重ねるとどうなるか。

 各派閥実力者の皆さんが納得する、徳川慶喜を首班とする政府をつくる。
 親藩・譜代・外様に限らず、雄藩の賢侯を集めて常設会議を創る。参勤交代は緩和。
 一番政権担当能力のある官僚の皆さんに実務はお任せする。
 何となく天皇親政ぽい体裁を整える。
 若くて優秀な武士の意見は取り入れられるものは取り入れる。=
既得権益は侵さない。

 さて、これをやるとどうなるでしょう。

 相変わらず各藩が勝手に税金をとり、軍隊を整備する。=富国強兵はできない。
 なあなあの既得権益擁護、強い政治家は現れず。=有司専制にすらならない小田原評定。
 外国と強い交渉が出来ず付け込まれる。
 以上、なし崩し的に植民地化。

「できるか?」だけを積み重ねたら破滅という状況です。
 そこでただ一人、大久保利通だけは徹底的な決心をしていました。

 名実ともに独立国。
  ↑
 富国強兵の実現。
  ↑
 強い統一政府の樹立。
  ↑
 徳川既成勢力の打倒。ただし、可能な限り速やかに。
  ↑
 何が何でも決戦に持ち込む。・・・ここで西郷隆盛が超重要な役割。泥をかぶってくれた。
  ↑
 薩長の意思の統一。軍事力強化。

 以上、五つの過程のすべてが危険で成功率が低いのですね。
 年表だけ並べてみると必然だと思い込みがちですが、当時生きている人にとっては、勝率数パーセントの賭けの連続なのですね。
 でも、それしか方法がないからそこに命を賭けた訳です。

「できるか?」「どうなる?」ではなく「やらねば!」「どうする?」という発想をしないと危機は乗り切れないのです。

 

 以下も実話。

 平成十年四月二十五日。
 たった三人の名も無き若者が、「北朝鮮に拉致された中大生を取り返すぞ!」と新宿の京王プラザホテルで決起しました。

 この三人、当時は誰からも「バカじゃねえの?」「とうとう血迷ったか」「お前そういうことする奴じゃなかったよね」などと散々あざけられていました。

 さて、

質問一 
 この時の彼らの「北朝鮮に拉致された中大生を取り返す」という夢想、成功率は何%だったでしょう?

質問二
「北朝鮮に拉致された中大生」こと蓮池薫さん、今はどこの国にいますか?

質問三
 この三人の夢想と、「今の日本を二年以内に救うぞ」という夢想、どちらの可能性が高いですか?

質問四
 あなたは何人の仲間が集まれば決起しますか?
 それとも誰かが何とかしてくれるのを待ちますか?

質問五
 あなたは自分に何が出来るか、自分が何をなすべきかわかっていますか?