青野照市九段の話

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 11月17日は将棋の日です。
 毎年、徳川将軍の御前で対局を披露していた故事にちなんでいるそうです。

 先日、上野先生のご紹介で青野照市先生にお引き合わせいただいていました。
 で、あまりにもおもしろいお話を聞けましたので、即日ご報告しても良かったのですが、
 まあ色々各方面に差し障りのある内容もございまして。笑

 私が将棋を覚えた時は、青野先生考案の「鷺宮定跡」という戦法が棋界を席巻していました。
 なぜ「鷺宮」かと言うと、青野先生やこの戦法を使って活躍されていた米長邦雄先生(現・将棋連盟会長)が、中野区の鷺宮にお住まいだったからということです。
 将棋には、「森下システム」「藤井システム」「中座流」「新山崎流」のように、発案した棋士の名が冠された戦法もありまして、古くは「石田流」とか「升田式石田流」とか「鈴木式升田式石田流」とか(もういい?)、江戸時代に遡る名称もあります。
「青野流」の名が残らず、残念。。。は、ともかく、私と同じ頃に将棋を覚えた方は、皆、青野先生の本で勉強して覚えたという方が大量にいると思うので、感慨深いです。

 青野先生と言えば、将棋界で一、二を争うクラッシック音楽通で知られています。
 噂によれば、演奏が一箇所違うと指摘できるほどとか。
 御本人は「そこまでは」とご謙遜されておりましたが。
 で、面白いのは、クラッシックを趣味にした経緯でした。

 最高位の九段までのぼられた青野先生と言えば、若い頃から同期の出世頭です。
 その先生の好敵手が、性格がまったく対照的な真部一男先生というお亡くなりになられた方でした。
 青野先生と言えば、誰もが認める謹厳実直な人格者です。典型的な、学究肌の方です。
 真部先生と言えば、数々のエピソードをお持ちの方で。。典型的な、天才肌の方です。

 ハチワンダイバーという『少年ヤングジャンプ』連載の格闘将棋漫画に登場する澄野さんのモデルは、どう考えても真部先生では?と思われています。
 外見も、行動!も。

伝説1
 修行時代はよく着流しで危ない場所を歩いていたとか。
 で、時代劇に出てくるようなヤサ男だったので、よく危ない人に絡まれたとか。
(田村正和版・眠狂四郎、とかを想像してください)
 ある日、「どこの組の者だ?」と絡まれて、「奨励会の者だ」と腕組みしたまま返答。
 その筋の人たちの「親分は誰だ?」に、平然と「塚田正夫!」と。
 腕っ節は本当に強かったとか。

 ちなみに奨励会というのは棋士の修行機関で、塚田正夫名人とは当時の将棋連盟会長です。

伝説2
 囲碁でもプロ級。
 あまりにハマりすぎて、将棋の方に差し支えたとか。

伝説3
 テレビ将棋でも、煙草を手放さないほど、不摂生。
 軽く一日二箱。

伝説4
 奥さんは、ミス東京の草柳文恵さん(評論家で有名な大蔵さんの娘さん)。

伝説5
 美形で知られ、時代劇に何度も出演。
 左手で華麗に指す姿が人気。

くらいは知っていたのですが、青野先生から衝撃の事実が。。。

「真部は左利きじゃなかったんだよ」

 上野先生まで私といっしょになって「えー?」と飛び上がる始末。

 青野先生曰く、
「脳の刺激によいからと、単に左手で指していただけ」だとか。

 さらに続けて
「あいつが将棋の駒を持っているのを見たことがないけど、でも才能だけで上がってくるんだよな」と。
 私「いや、昇級では青野先生の方が常に先だったでは。。。」

「それでも追いついてくるんだよ。なぜか。で、ああいう風に人間の幅を広げるためには趣味の一つでも持たねばと、クラッシックをはじめたんだよ」
だそうです。

 確かに、気持ちはわかるなあ。
 皆さんも学校に一人はいませんでした?
 全然、勉強しないで遊んでばかりなのに、成績が良かった同級生って?
 これが社会に出て仕事だったら、
「仕事で負けたら、あいつに勝てるものは何が残るの?」
みたいな話になると思うので。
 考えられるあらゆる努力をやってみよう、という気になりません?

 ここに書けない話も多々あり楽しかったのですが、真面目な話もおうかがいできましたよ。
 現代の日本人は自分のことばかり考えて、相手がどう考えているかを考えようとしない。例えば日朝交渉、とか。

 あ、忘れないように。 サイン本、ありがとうございました。

 9級から初段までの基本詰将棋160題(成美堂出版)

 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/441530687X.html

 でも、とても初段の問題ではない難問も。帰りに、酔った頭で解いてみたら、五手詰みを間違えてしまいました。。。泣