以下の話を聞いて、「琉球やアイヌは独自の民族だ」「民族(ナロード)自決権があるのだ」と言いたがる人、どれくらいいるのだろうか。
ユーゴスラビアは、セルビア・モンテネグロ・クロアチア・スロベニア・マケドニア・ボスニア=ヘルツェゴビナの六つの共和国から成り立つ連邦であった。それぞれ、セルビア人・モンテネグロ人・クロアチア人・スロベニア人・マケドニア人を多数民族(ナロード)と認定していたが、後に少数民族(ナロードノスト)であったボスニア=ヘルツェゴビナの多数を占める「ムスリム人」をナロードに格上げした。
カリスマ的独裁者であるチトーが死去し、結束のための共通の脅威であるソ連が消滅し、冷戦期にソ連の構成国や衛星国であった国々が次々と独立していくと、ユーゴでも独立運動が頻発、十年に及ぶ果てしない殺し合いの末、それぞれの民族が独立して、最終的にユーゴは消滅し、七つの国になった。
あれ?それぞれの国が独立しても六つの国では?
実は、さらにその後、コソボというセルビア内の自治区までもが独立したのである。彼らの言い分は「コソボではムスリム人こそが多数でありナロードとしての権利を主張する。だからセルビアの支配に服さず独立するのだ。」と、本当に独立してしまった。
それで平和かと言うと、今度は「北コソボではセルビア人が多数であり、ナロードとしての権利を主張する!」と独立運動をしている。これ、どこまで続くのだろうか。心配で夜も寝られない。バルカン半島に火がつくと世界大戦になる、とは歴史の法則なので。
例えば、NATOがコソボ空爆をはじめた瞬間に、どこぞの不審国が不審船を寄越したように、欧米がここに釘付けになると、日本や台湾や韓国や東南アジア諸国は危険になるのである。ただでさえ、米軍がイラクとアフガンで泥沼化しているから中国・ロシア・北朝鮮が東アジアで恐いものなしの状態になっているのに、これでバルカンでまで火がついたら・・・。
さて、琉球人やアイヌ人も今は日本国の「国民」である。同じ国民の間で差別があってはならない、これは当たり前である。法の前の平等である。しかし、それと彼らを「ナロード」として認めよ、という話は別である。
よくいるのだが、彼ら独自の文化を強調して、「だから彼らは日本民族とは違うのだ」と主張する人が多い。これ、いくら「違う民族だ」と言っても、ナロードノスト(ethnic)の証明にすぎないのである。そんなに彼らを不平等の地位に貶めたいのか。
ナロード(nation)とするには主権国家を有する意思と能力を証明しなければならないのだが、力で証明するとは分離独立運動である。そんなに日本を暴力の渦に巻き込みたいのか。
今でもいろんな国、例えば米国などでは「米国国民」としての意識を徹底している。これは小中高の初等教育を通じて、これでもかとやる。高校が高等教育ではなく、初等教育なのは米国とその制度を押し付けられた日本くらいである。米国では「〜人」であろうが、それ以上に「米国国民」である、との建前を守らなければ、国そのものが一瞬で崩壊してしまうのである。現実には「〜人」であるかの差別がすさまじいが、それだけになお。日本で「我々は日本国民です」との意識を共有しようと言うのは、危険思想でも少数民族差別でもなんでもないのである。
琉球もアイヌも等しく日本国民である。日本のナロードノストかもしれないが、ナロードではない。よって、日本は単一民族(ナロード・nation)による国家である。もちろん、統合された国民国家である。これが一番穏健な思想だと思うのだが。