小沢一郎が竹下派を追い出された理由と、細川・羽田連立政権が崩壊した理由は同じである。
平成四年八月、自民党を倒す、その為ならば何をしても許される、と第五党を首班とする細川内閣が成立した。この内閣を牛耳っていたのは、小沢一郎新生党代表幹事(と市川雄一公明党書記長。もう忘れられた存在?)であり、二重権力と批判された。
二重権力とは、連立与党の党首全員が閣僚になっている一方で、小沢らが構成する幹事長級の与党代表者会議とで意思決定機関が二元化した状態をさす。と、ここまではよく言われ、しばしば小沢の暴走が連立瓦解の原因であると指摘される。
ただ、三重権力になっていたのをお忘れではないか。
社会党からは山花委員長(右派)が政治改革担当相として入閣した。しかし、総選挙で議席を半減させた責任により委員長を村山富市(左派)に譲っている。つまり、社会党だけは党首が入閣せず、連立内閣の意思決定に参加しない状態を作ったのである。これを小沢が「体質の違う社会党を排除しようとした」と評されるが、仮に小沢の主観でそうだったとしても、客観的には社会党の拒否権集団化である。しかも社会党は責任を負わない。現に、政治改革法案は社会党左派の造反で参議院で一度否決されているのである。
さて、細川内閣はなぜ潰れたのか。三人の人物を見ればわかる。
一人は、この時点で小沢の宿敵と化していた梶山静六である。竹下派七奉行と呼ばれる政治家の中でも筆頭の実力者である。田中角栄は早くから「竹下は裏切る」と見越して警戒し、「竹下が裏切っても梶山が守ってくれる」と信頼していた親衛隊長である。その梶山が竹下を担いで造反したので絶望したとも言われる。
誰もが認めるタカ派政治家の梶山が国対仲間の社会党左派の村山に接近し、早くから社会党の切り崩しをしていた。このように自民党保守系政治家が尖兵となって社会党左派に接近した事例は枚挙にいとまがない。保守系政治家の黒歴史である。
二人目は、野中広務である。小沢を竹下派から追い出す時も細川首相の政治献金問題を追及する時も急先鋒である。青年団以来の竹下側近である。つまりは所謂竹下派七奉行よりも格上なのである。梶山が表の親衛隊長ならば、野中は裏の親衛隊長か。その野中が、竹下派分裂・自民党野党転落という危機に表に出て来た。
三人目は、青木幹雄である。小沢は衆議院竹下派の多数を制圧したから竹下に対して勝算があると踏んだ。参議院など衆議院についてくると勘違いしたのである。確かに衆議院議員の数では辛勝したものの、参議院竹下派の多数は竹下に抑えられた。この時に竹下の意向を忠実に伝えたのが青木幹雄である。現在の憲法構造と選挙制度では、参議院を制するものが日本を支配するのである(この話は別に。)。青木こそ、竹下の真の側近であった。
要するに、小沢は竹下に負けたのである。まず参議院を切り崩され、首相を退陣に追い込まれ、衆議院を切り崩され。結果、竹下派を追い出され、連立政権を壊され。「参議院を抑えなければ勝てない、参議院さえ抑えれば盛り返せる」という法則である。現在の小沢さん、反省しすぎたのか、参議院の旧社会党左派をこれでもかと大事にしている。
さて、細川内閣の後の羽田内閣では、組閣当日に社会党をはずして統一会派を作るという暴挙に出て、村山委員長に連立離脱の大義名分を与えてしまう。この頃の小沢、世間では横暴と言われていたが、私には何かに脅えていたようにしか見えない。普通は自民党を切り崩してから、社会党を切り捨てるだろう。手順前後のせいで自民切りくずしが難航するのである。
この頃の東アジア情勢で重要なのは北朝鮮問題である。アメリカは核開発を阻止するために本気で戦争を考えていたが韓国も日本も乗り気ではなかった。それは、日本はこの有様なので。
一説には、小沢は米国の要望にこたえる為に、親北朝鮮派の切り捨てに奔走していたとも言われるが、それにしても中途半端ではある。既に政界中枢では拉致問題が知られていたのに、なぜかこれを訴えていないのである。別に直接「参戦しましょう」などと言う必要はない。「国際貢献を」などと言うから、「あれはできるがこれはできない」などという日本国憲法に縛られた話しかできなくなるのである。「同胞を救う!その為に団結を!」と言った方がよほど大義名分として明確なのだが。国際情勢よりも竹下登との権力闘争を優先させた、が真相としか思えないのである。最優先課題の政策と政争は、優先順位をつけるものではなく、実は同じものなのだが。
結果、社会党と自民党が結託することによって、小沢は苦節十五年の野党生活に追い込まれる。北朝鮮問題は有耶無耶に終結し、今に至っている。
うーん。中曽根裁定など二行で済ませようと思っていたのに、あんなに書いてしまったのでバランスが崩れてしまった。まだまだ竹下編、続きます。不愉快だからさっさと終わらせたいのだが。
さて、問題。社会党に自衛隊・日米安保合憲以下、五十年の歴史全否定を飲ませたのは誰でしょうか。諸説ありますけど。
教訓一。参議院が大事!(政争)
教訓二。有事に日和るな!(政策・国際政治)