政府と与党の一体化

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 与党第一党の総裁(代表)が総理大臣の地位にあることは「憲政の常道」と称される。「憲政の常道」とは、日本人が米国人になど教わらなくとも、独自の民主制を確立できたと言う証拠である。

「アメリカ人を中心とした占領軍によってはじめて民主主義を教わった。それまで日本人は遅れた民族だった。マッカーサーに日本人は十二歳などと揶揄されてもしかたのない存在だった」などと歴史事実の誤認によりまったく無根拠に劣等感を抱いている人が多い。

 では帝国憲法下における「憲政の常道」とはなんだったのか。欧米諸国に比べ、国民の意思により自国の最高権力者を選ぶ制度に驚くべき速度でたどりついた、しかも自国の歴史を踏まえつつ外国からも賞賛される運用をなしえた、という事実をなぜ否定したり過小評価する必要があるのだろうか。もちろん、薔薇色の歴史であったなどとどこの国でもありえない妄想を抱く必要はないし、事実として問題があったのも確かである。だからといって、不当に劣等感を背負い込む必要もなければ、問題点を過剰に強調する必要もなかろう。

 さて、戦後の「憲政の常道」の用法は色々と気になる点がある。最近では、政府と与党の一体化の為に「憲政の常道」すなわち総理と総裁が同一人物である必要があるという議論がなされていた。一見正しいようで間違った議論である。少なくとも本質論ではない。

 確認しておこう。なぜ与党第一党の総裁が総理と同一人物であるべきか。衆議院の総選挙によって、国民が最高権力者である総理大臣を選ぶという機会を保障するためである。これには、

 一度の総選挙により、次の総選挙までの、強力な政権の構築が可能となる。

 政治家の陰謀による政変から国益を守る。(陰謀による政変は政治を弱体化させるので。)

 国民の意思が国政に反映され、民主制にかなう。

という効用がある。だから「憲政の常道」が必要なのである。

 

 横道にそれるが、「ではアメリカやフランスのように大統領制にすれば?」という質問が出ると思います。結論だけ言うとこの両国の制度は欠陥制度です。大統領制のドイツやイタリアが英国やベルギーの真似をし、日本と同様の議院内閣制の国であるのがその証拠です、とだけ申し上げておきます。

 

 さて、政府と与党の一体化については、日本の場合だと総理総裁の個人的威厳に大いに依存しているように思われる。

 戦前でも、原敬・加藤高明・濱口雄幸に逆らえた幹事長などいないが、若槻禮次郎や犬養毅は苦労した。政府と与党の一体化は「憲政の常道」の結果としてもたらされるべきであるが、それだけが目的ではない。

 戦後でも、人によりけりである。あまりにも特殊な組織形態であるが、あまりにも政権担当期間が長いので自民党で例を挙げるが、佐藤栄作首相など幹事長の福田赳夫や田中角栄に選挙実務などほとんど好きにやらせて成果を出させているのにあくまで総裁として功を論じ賞を行う立場であった。幹事長が強力な指導力を発揮しても、それ以上に総裁総理の威厳があれば、必ずしも政府と与党の一体化は阻害しないと言う事例もある。

 逆に、海部内閣綿貫幹事長に対する梶山国対委員長(の背後の竹下登)とか橋本内閣加藤幹事長に対する野中幹事長代理(の背後の竹下登)とかになると、総理も幹事長も弱いというもはや何重権力だかわからない状態もありうるのである。

 さて、今回の鳩山総理と小沢幹事長の関係である。二重権力を強調する報道は多い。そして「小沢氏に近い輿石参議院会長」という指摘も増えてきた。

 類似の歴史で言えば、福田赳夫内閣における大平正芳幹事長と盟友の田中角栄の関係を想起する。大平は党務のすべてを委ねられ、あまつさえ福田が解散総選挙に打って出ようとしたのを阻止さえしている。大平の行動には常に田中の支援があった。この頃は「角影内閣」などという表現で、大平と一体化した田中の影響力や二重権力状態を指摘する報道は多かった。

 今の状態、輿石=田中という単純な図式では語れない。個人的力量にあまりにも差があるからである。しかし権力構造という点では、「鳩山総理・小沢幹事長&最大組織の代表である輿石」という構造と「福田総理・大平幹事長&最大派閥(組織)の領袖である田中」の関係はかなり似ている。そういう視点で新聞報道を観ている。

 今の政府と与党の状態が二重権力なのか三重権力なのかは、何を物差しとするかであろう。私は三重権力状態だと思うが、小沢輿石関係を不離一体とみなせば二重権力と言う表現で良いと思う。ただし、大平田中関係において大平を田中の上位においた報道はさすがになかったしそれが正確だったと思う。現在の報道にも期待したい。取材上の制約が圧倒的に少ないはずの学者はなおのことである。

 と、ここまで書いていて本題は政治の話ではなく、「憲政の常道」である。与党の幹事長に威厳を示せない総理総裁の存在など英国憲政論では想定していない。日本近代史においても、原・加藤・濱口においては自明であった。田中義一も無理をしてでも威厳を示そうとしており、かなり成功している。

 これはまさに私の研究の中心なのだが、帝国憲法において衆議院第一党から選出された総理大臣の権力はほぼ無敵である。原敬も濱口雄幸も犬養毅も遭難によらねば倒されることはなかった。少数与党の加藤高明も本人の病気による退陣である。第一次若槻禮次郎や田中義一も最終的に本人が辞めると言ったから辞めたのである。逆に高橋是清や第二次若槻禮次郎のように党内を統制できない総理は弱かった(いずれも前任者の遭難による昇格である)。

 英国でも与党労働党に見放されたマクドナルド首相は閣僚だけを引き連れて離党して解散総選挙に望み、かつての与党以外を基盤とする挙国一致内閣を成立させた。その後、衆議院多数党の保守党に政権を渡し、「憲政の常道」を守っている。世界恐慌に伴う金融危機と言う大英帝国が世界の覇権国家として大国として生存できるかという戦争同様の極限状態に対処する為である。

 戦後はあまりにも恣意的に使われている「憲政の常道」だが、その本質は国家を守り国民の福利を増進するためにあるのである。それを忘れた形式論には違和感を覚える。

 国益(国民益)の為に民主制があるのであって、形式論としての「憲政の常道」は法律論としても無価値である。もちろん、政治論としても。

 小泉訪朝七周年に思う。拉致問題を解決できるような政権交代であって欲しい。