「ドキュメントNNN」で裁判所内における官僚主義の話をしていた。長沼ナイキ事件で「自衛隊違憲判決」を出した福島裁判官がその後不遇であったとか、裁判官は憲法判断をしたがらないとか、最高裁の評価を気にして保身と良心の呵責で苦しんでいるとか。
つまり、今の東大憲法学に支えられた憲法体制が、いわゆる左翼護憲派にとっても、単なる官僚主義で護持する価値がない、という内容である。これでなぜ護憲派は政府攻撃をするだけで、日本国憲法にしがみつくのかさっぱりわからないのだが。最高裁事務総局の官僚主義だって、今の憲法体制からは必然だろうに。(なお、この理由は説明しないとさっぱりわからないので、大学の授業でもしています。)
普通の人は最高裁事務総局と言っても知らないだろうから解説。一言で言えば、裁判官の人事その他、裁判所に関する事務を統括する機関です。で、大事なことは全員が司法試験に合格した裁判官であり、ここで出世することが、将来の長官への近道である。
さらにもう一つだけ解説すると、司法試験に合格した裁判官が最高裁事務総局で事務仕事をしているということは、その人たちは裁判をしていないのである。つまり裁判をしない裁判官である。これで裁判は激務だ、裁判の数は多いのに判事(裁判をする裁判官)の数は足りない、下級裁判所の裁判官はとにかく裁判の数をこなすことを求められるので質を考えるヒマがない、などと言っているのだから、何とも。
まあ、戦前の裁判所は最高裁にあたる大審院も含めて司法省(今の法務省)に人事・予算その他すべての事務を握られていて、云々という由来があるので今のような制度になっているのだが。
戦前の司法制度に関しては「帝国憲法講義」において、いずれ。
戦前戦後と関係なく文明国の通義として大事なのは、裁判官の職権行使の独立である。つまり、裁判の内容に関して裁判官が外部からの圧力を受けないことである。それが、「最高裁事務総局に睨まれたらイヤだな」などと思いながら裁判をしているのでは、無意味である。
裁判員裁判が控訴されるような事例が出た時にこの問題が国民的議論になることを望む。
ところで、このテーマでなぜ井上薫さんに話を聞きにいかないのか?井上さんが左翼ではないから?民放の日テレにしては公平を欠いていると思う。