日本近代史の先駆者にして巨人である、伊藤隆先生の訃報が飛び込んできた。業績が大きすぎ且つ多すぎて、どれから触れたらよいかわからない方。私などお会いしても直立不動の方。外見はへらへらしていたけれども、お会いすると常に緊張していた。
91歳の大往生だった。昨年お会いした時も「人生の店じまいを」と仰っていたので、「先生は人生の集大成の作品を書かれてからお元気になられますから」などと軽口で返していたのが最後。
私は「昭和5年から8年を専門にしている」と宣言しているけれども、私も昭和5年の研究を伊藤先生の『昭和初期政治史研究』を読むところから始めたし、昭和史研究者が最初に読む本。
伊藤先生の本領は「ひとり憲政資料室」のような史料収集。伊藤博文から始まって、まだ存命中だった木戸幸一、などなど明治から昭和戦前期の政治家官僚軍人の史料を片っ端から翻刻され刊行されている。日本近代史研究者は、そのすべてを事典として重宝している。『小川平吉文書』とか異常な厚さだし。
研究としては、デビュー作はこれ以上ないほど手堅い『昭和初期政治史研究』で、「なぜロンドン会議を取り上げたのですか」と聞くと、「陸軍も含めあらゆる勢力が絡むのがおもしろくて」とおっしゃられていた。
その次が『十五年戦争』という概説書。題名と真逆で、「十五年戦争史観」を叩きのめす本。歴史学界で大論争となり、「ファシズム論争」につながる。そして完全勝利。「歴史学とは理論を、しかもマルクスの屁理屈をこねくり回すのではなく、史料に基づいて事実を検証する学問である」との当たり前の方法論を学界に定着させてくれた方。伊藤先生がいらっしゃったから、歴史学で日本近代史を真面目に勉強できる。学恩を受けていない者はいない。
私の師匠の鳥海靖先生の若いころなんか、「君の論文には階級的なモノの見方が無いね」とか言われてた世代。
伊藤先生は鳥海先生の兄弟子だけど、師匠を呼び捨てにする人を見たの、人生で唯一。
「革新」の概念を打ち出し、右翼にも観念右翼と革新右翼があり、似て非なる存在であるとの研究を進め、近衛文麿をめぐる政治情勢を『昭和期の政治』のシリーズにまとめられた。近衛文麿はいまだに謎が多い人物だけど、伊藤先生の研究が基礎。戦前日本をめぐる陰謀に関し色んな人が色んなことを言うけど、先行研究として伊藤先生の関係書をすべて読み踏まえることが必須。議論の基礎。
存命者に対する「オーラルヒストリー」も多く手掛けられた。
と言っても、若い頃から木戸幸一の聞き書きをしておられたので、その延長ではあるのだけれども。
「つくる会」や「国基研」など保守系団体にも関係してくれた。保守系の雑誌では、下の世代(今の大御所)の中で卑怯な振る舞いをする学者を「学匪」「御用」等々舌鋒鋭く批判されていた。
『日本の近代』『歴史と私』は極めて洒脱で専門家以外にもわかりやすい文体で、前者は近代史観の集大成、後者は伊藤先生の学者としての歩みの記録。
昭和12年学会では第2回大会で快くご講演をお引き受けいただいた。その頃、定期的にお食事会をしていたのだけど、そういう時に限って聞けることが頭から抜けるもの。それでも色々とお聞きできた。まだまだオーラルヒストリーを現役でやっておられた。
年に一回くらいはお会いしましょうと皆で話していたところだったので、今年は無いのかと残念至極。
偉大な方でした。
ご冥福をお祈りします。
戦前の日本近代史の裏側の謎は、そのことが暴かれる
ことを都合の悪いとする連中による証拠隠しにより
ベールで被われたままだ。敗戦によりその都合の
悪い連中により膨大な手紙類や資料が燃やされた。
私は、雲を掴むような「グローバリスト」という
言葉を肯定も否定もしない。戦前のことを暴かれる
ことを嫌い、息を殺すように戦後を何食わぬ顔で
善良を装って生きた連中がいたからだ。
できることなら、その燃やされた手紙・資料を
伊藤先生に見せてあげたかった。
学者の研究とは、最後は、「断定」で締め括る
ものだが、伊藤先生の本は、古い資料や手紙類から
当時のその人の言論や行動や取り巻く環境など
推論して、読者に謎や問いを投げかけるような
書き方をするものが多かった。
伊藤先生と同じ謎を追う者にとっては、それでも
ピンとくるものがあった。「断定」で書けない
苦しさを垣間見る思いだった。
赤松克麿率いる労農三派と石本欣五郎と大川周明が
左右統一戦線のようにお神酒徳利に行動していた
ことを教えてくれたのも伊藤先生であった。
伊藤先生は、「だからこうだ」とは、書かないが
読む者にとっては、探求に向かう興味に沿そられた。
河合栄治郎先生が亡くなり、林健太郎先生が亡くなり、
続いて伊藤隆先生が亡くなるという東大の良心消失に
残念な思いだ。
合掌
前の書き込みの訂正
「グローバリスト」 → 「ディープステート」