備忘
立憲政友会は、常に衆議院第一党で、国家予算を分捕って支持基盤である田舎の地主にバラ撒くことで権力を維持してきた。
選挙に勝つ→官僚とつるんで権力を握る→バラ撒く→支持者が満足する→選挙に勝つ
こうした構造だと、都市のインテリの意見は通らず搾取されるだけなので、第二党は批判勢力として存在してきた。これが桂新党の後継政党である立憲民政党。桂新党(立憲同志会)~憲政会~立憲民政党は、健全財政を旨としたが、政友会のバラマキをやめさせようとする悲壮なまでの危機感があったから。
そして悲劇的なことに、井上準之助という日本憲政史において稀有な指導力を発揮した政治家がやってしまった、これでもかと間違った経済政策が破綻してしまい、一時的な高橋財政による景気回復はともかく、その後は歪なバラマキが復活してしまった。馬場鍈一以後の戦時体制然り、戦後では田中角栄以後の高度経済成長の遺産食いつぶしも然り。
1955年の体制においては、政友会の後継政党が自民党でまったく同じことをやっているけれども、民政党の批判政党が保守ではなく革新(リベラル)なので、都市の健全な日本人は政治に対する選択肢が無くなっている。
もう30年も不況で、経済政策の重要性は、桂新党結党の時とは比較にならないほど重要性が増している。
コロナ騒動の和牛券であからさまになったけれども、自民党において優秀な議員とは「限られた予算の中から自分の支持者に利権を持ってくること」となっている。これを善悪で批判しても仕方なく、それ以前に事実として受け止めた方がいい。批判したところで何十年もそういう文化で育ってきた人たちに「直せ!」と言っても無理だし、政策で強制しようとしても反発されるだけなので。
では、バラマキの本質とは何かと言うと、
“限られた予算の中から”
“特定の支持層に”
富を配分すること。
ならば一義的には、国富を増やせば「限られた予算」という前提は失われる。
では、その二つを満たす政策とは何かというと、減税。特に消費減税になるのではないか。
そして、「農協だけ」「ゼネコンだけ」という補助金行政ではなく、国民全体にバラ撒く政策を行えばよいのではないか。たとえばベーシックインカムのような政策も検討の余地があると思う。
ちなみにBIを行おうとするときに抵抗するのは、「福祉」「土木」「農村補助金」などが削られるから。
2度の消費増税で金融緩和の効果が破壊されている以上、さらにコロナ禍で即効性のある経済政策が求められる以上、財政の役割は大きい。ただし、財政出動は特定の国民にバラ撒くだけでなく、国民全体にバラ撒くべきではないか。それでも農協やゼネコンだけにバラ撒けというなら、為にする言論だと疑われても仕方あるまい。
今までのそういった政治に終止符を打つためにも首相公選制が必要ではないでしょうか?
議員が首相を選ぶ議院内閣制だから、変な談合が行われたりするのです。首相を直接選ぶ形にすれば、それだけで国民目線の政治になります!
あと塾長は、「田舎か都市か」という軸で今も捉えていらっしゃいますが、それはその通りなのですが、今後はこの対立軸を減税、規制廃止、小さな政府を旨とする政府VSブレア政権のような前者を一定程度受け入れつつ、福祉国家も志向する現実的リベラルに如何に収斂させていくか、ではないでしょうか?
政策による対立軸に脱皮させることが二大政党制の要です!
また、謎の首相公選制論者登場ですかぁ。(溜息)
「偉い人を直接選ぶ形にすれば、それだけで国民目線の政治になります!」との事ですが、以前にもココで書いたんですが、大東亜戦争後の知事等の首長は、公選制を採用しているという事実は、当然ながらご存知ですよね?
ということは、現行の地方自治については、国民目線の政治になっている、という理解で良いのでしょうか。(国民目線の政治を実現しているはずの愛知県知事は、リコール請求を受けていますが・・・)
そして文末には、「政策による対立軸に脱皮させることが二大政党制の要です!」とありますが、首相公選制なのに、政策による対立軸の二大政党制???
もしかすると、行政機構としての内閣と、立法府としての議会を完全に分離させる、台湾の政治機構のようなイメージなのかな、とも思いますが、言葉が足りなさすぎて意味不明です。(思い付きを熟慮もせずに書き散らかしているだけという印象しか残らない)
衆・参・内閣でねじれると
民主党の特例国債のような
ねじれによる問題が起きやすくなる可能性が高まるので害しかない。
hisa様、匿名の方
コメントありがとうございます。
まとめてお答えさせて頂きますが、まず私がモデルとすべきと考えているのは、アメリカの大統領制のような首相公選制です。それでアメリカが共和党と民主党の二大政党制であるように、我が国も減税と規制緩和、自主憲法制定を旨とする党とブレア政権のような小さな政府をある程度容認しつつ福祉国家も志向して、国防もしっかりやる現実的リベラル路線を志向する党による二大政党制を目指すべきだろう、ということです。
問題は首相公選制にすることで、首相と議会とねじれるのではないか、ということですが、それは下記によって反論できます。
・大統領令に準ずるものや、拒否権を取り入れることで、推進力を持たせられます。トランプ政権は現に、大統領令を積極的に行使することで様々な公約を実現してきました。
・党議拘束を廃止してクロスボーティングを認めることで、議員一人ひとりが自らの信念に基づいて立法したり、投票したりが可能になります。これは議会が政権から独立している首相公選制(大統領制)だからこそ馴染みます。(議院内閣制ですと、政権と議会が融合しており、議会多数党が与党として政府に従う前提のシステムなため、クロスボーティングは馴染みづらく、結果、一部の議員が正論を主張しても通らない、といったことが起こってしまいます。今次コロナ国会における与野党減税派のような。)
・上記クロスボーティングに関連して、渡瀬裕哉先生も主張されているように、議員の公認に予備選挙を導入すべきです。今は議院内閣制の政党政治で、党幹部が公認を決めるため、議員は党幹部に従わねばなりませんが、公認権を党員に移すことで有権者が議員の投票行動によって候補者を選ぶことができます。
・政治というのは「何を決めるか」と同じくらい、「何を決めないか」も重要ではないでしょうか?従って、有害なことが決まるくらいならレームダックになった方がマシだと思います。例えばコロナ増税など決めてもらって困る筆頭でしょう。
・「ねじれ現象」を民主主義の欠陥のように主張する向きが強いと思いますが、
政権がねじれた、ということは有権者が時の政権にNOを突き付けた、ということであり、民主主義的には些かも欠陥は御座いません。有権者が「決めるな!」という声を政権に突き付けたということなのだから、決めれなくて何ら問題ありません。むしろ政権に緊張感を齎します。
・政権と議会のねじれで、良い政治が生まれた例もあります。それが米クリントン政権の「第三の道」です。あれは、レーガン政権の改革の恩恵が継続したこともありますが、1994年中間選挙で、キングリッチ下院議長主導の保守革命が起こり、上下院で共和党が占める大勝を収めました。その結果、政府閉鎖が起こったりもしたのですが、与野党攻防の末、生まれたのが第三の道によるクリントノミクスで、レーガン改革の恩恵を継続しつつ、民主党特有の福祉政策を効率的に取り入れる、と。このように経済政策でバランスが絶妙に取れたことでアメリカ経済は絶好調になりました。
また、オバマ政権も、共和党議会の影響で経済政策にバランスが取れて経済成長が続きましたし、最高裁判事に欠員が出た時、共和党上院がオバマによる後任指名を拒否したためにトランプによる保守派判事の指名が成功しました。これぞまさに、民主主義の真髄と言えるのではないでしょうか?
アメリカはイギリス植民地から独立を果たしたジョージ・ワシントンの頃から議会制民主主義の叡智を積み重ねて来ました。リンカーンのゲティスバーグ演説などは今も、アメリカンデモクラシーの象徴であり、世界中の民主主義にとって見本となるような言葉です。
我が国もそんなアメリカからの民主主義を大胆に輸入して、アメリカ人以上に使い果たしたらいいのではないでしょうか?
故中曽根康弘大勲位も言ってましたが、やはり恋人と同様、首相も国民が直接選べなきゃダメだと思います。
最後に、hisa様が大村知事について仰っていたと思いますので、それについて。
確かに現在は支持されているとは言えないので、来る選挙で愛知県民が判断するのではないでしょうか?
それにこの知事選においても予備選挙を導入することで県民目線の政治が実現するのではないでしょうか?
コロナで政治のあまりの劣化ぶりが明らかとなりました。
最早、本当に議院内閣制を続けても良いのか、疑問を呈す段階ではないでしょうか?
倉山塾でも本当に議院内閣制が良いのか、議論して首相公選制と比較検討すべきです。
長駄文失礼しました。宜しくお願いいたします。
お願いされるべき事でもないので、アレですが・・・。
個人的には、国柄(≒その国の歴史)を前提としない制度設計は、百害あって一利あるかないか程度だと思っています。(私は日本人ですから、ゲティスバーグ演説なぞよりも民の竈の話の方が、民主主義のあるべき姿として心に響きます)
大村知事について言及したのは、「偉い人を直接選ぶ形にすれば、それだけで国民目線の政治になります!」と断言されていたので、「偉い人を直接選ぶ形にしても、それだけじゃ国民目線の政治にならないじゃん?」と分かり易く例示したまでです。
大村知事レベルの酷い話なんて、地方に行けば山のようにゴロゴロしてます。それこそ上念さんの仰る「墓標」とか。(笑)
そもそも、公選制にすれば全て解決する!はずが、予備選挙を導入することで県民目線の政治が実現するのではないか・・・とトーンダウン ≒ 既に論理破綻しているようにしか見えません。
少なくとも、部外者が他人様の塾に「比較検討すべきです」等と上から目線で仰るのであれば、私如き塾生でもない門前のハナタレ小僧に、論理破綻しているのでは?と突っ込まれない程度に、「ぼくの かんがえた りそうの しゅしょうこうせんせい」を考えて考えて考え抜いた上で、赤の他人を端的に説得できる術も磨かねばいけないでしょう。(その時に依拠するのが、米国では~、渡瀬先生が~では、余りに酷過ぎ&弱過ぎ)
あ、ねじれに利点がある事については、同意できます。
10万円給付についても、与党内がねじれた結果、実現できたようなもんですからね。
因みに、「アメリカからの民主主義を大胆に輸入して、アメリカ人以上に使い果たして」いる結果が、今の「憲法9条を守れー!」状態だと思うのですが、その辺りについては、どうお考えなんでしょうか?(笑)
>倉山塾でも本当に議院内閣制が良いのか、
>議論して首相公選制と比較検討すべきです。
塾生さんですか?
だったら塾の掲示板で発議して下さい。
部外者なら、塾の方向性に口を出さないで。
失礼ですよ。
あずまさま
では匿名でなく掲示板に書いてみては如何でしょう。
皆様
コメントありがとうございます。
私は倉山先生の著書や砦の愛読者として本投稿に対して思うことを述べさせて頂きました。それに対して「部外者は黙ってろ」は如何なものかと思います。それこそ砦の読者で感想を持っている人に対して失礼かと思います。
私は純粋に今次コロナ禍での政治の劣化を目の当たりにして、どうすべきかを意見しただけで、他意はありません。
hisa様の投稿に対してですが、
地方自治で問題があったとしても、要は県民市民が直接選挙で審判を下すなりできる、ということです。ただ現状では問題があるので、党内予備選を導入したらどうかと申し上げました。
最後の投稿について、私はアメリカの保守派による減税運動や議員や知事、首相などの党員による党内予備選(首相は党首選で一部実現済ですが)、そしてそれで選ばれた議員たちによる連邦議会。彼らは超党派で自らの信念に基づいて立法、投票し、喧々諤々と議論しております。この自由闊達な議会。そういった徹底した自由主義を輸入すべしと申し上げております。hisa様も仰る通り、我が国にも「民のかまど」がありますから、減税に関しては決して無縁ではありません。
しかし今の政治、安倍、麻生、二階、甘利といった老害や、そして佞臣の今井直哉秘書官によって振り回されております。最初の4人は世襲多選で殆ど負けることのないイカサマのような選挙で信任を得たことになっているし、今井秘書官に至っては誰も選んだ覚えがないのですが。
これでいいのか?ということです。
なので、GHQが押し付けた日本国憲法体制をこれからも使いこなし続けろ、と言っているのではありません。
あずま様
>私は倉山先生の著書や砦の愛読者として本投稿に対して思うことを述べさせて頂きました。それに対して「部外者は黙ってろ」は如何なものかと思います。それこそ砦の読者で感想を持っている人に対して失礼かと思います。
私の返信をもう一度、書き出しますね。
>>倉山塾でも本当に議院内閣制が良いのか、
>>議論して首相公選制と比較検討すべきです。
>
>塾生さんですか?
>だったら塾の掲示板で発議して下さい。
>
>部外者なら、塾の方向性に口を出さないで。
>失礼ですよ。
私は、「倉山塾での議題に」、
「部外者が口を出すな」と申し上げたのです。
砦は砦、倉山塾は倉山塾。
読者=塾生ではない。
砦に感想を書くなとは申し上げておりません。
砦で、塾長でもない貴方が、塾生に指図をするな、と書いたのです。
首相公選制の前に、フルオープンのブログと、
会員制のSNSを区別できるようになって下さい。
単なる感想と提案、指図、お願い等々・・・これらの区別がついておられないように見受けられるので、厳しい反応が帰って来るのだと思います。
(一例ですが、私も部外者として、色々な拙い感想を投稿させて貰っていますが、あずまさんに対するような指摘を受けた事はありません)
あずまさんが、純粋に今次コロナ禍での政治の劣化を目の当たりにして、どうすべきかを意見したくて仕方ないのは分かっていますが、では、なぜその場所が、公選制の議論など全く起こる気配すらない、砦の掲示板なのか?
今の御時世、無料で多くの人に閲覧して貰えるブログを簡単に開設する事も出来るのに。そういう場所であれば、自由に自分の意見を書きたいだけ書けるのに。
そもそも、純粋に本気でどうにかしたいなら、ご自身の選挙区の政治家事務所を訪ね歩いたら如何でしょうか。(大抵のまともな事務所であれば、政治に関心のある人間は、ウェルカムで迎えて下さいます。選挙民の声を聞く事が地元事務所の大切な仕事ですから)
その上で、あずまさんの「ぼくの かんがえた りそうの しゅしょうこうせんせい」が真に傾聴に値するものと判断されれば、議員秘書が確実に議員へと話を繋いでくれます。請願者の有名無名は関係なく、繋いで下さいます。(繋いでくれない場合は、提案内容がその程度でしかない、と捉えた方が良いくらいに、マトモな事務所は請願を大切にしてくれます)
毎度ながら、最後に。(笑)
「安倍、麻生、二階、甘利といった老害や、そして佞臣の今井直哉秘書官」とありますが、あずまさんがそのように言い切っている根拠は何なのでしょうか。
これまでのように渡瀬先生が~、倉山先生が~、というのが出典であるなら、少しばかり学び方から考え直された方が良いと思います。(ふわふわ(曾祖母はアイヌ)さんや、匿名さんが仰るように、月謝を払ってでも、倉山塾内の掲示板で問題提起して、ボコボコに揉まれるのが最善解と思いますが)
倉山先生曰く、「倉山満を疑え!」なのですから。
「憲法9条さえ書き換えれば日本の未来はバラ色」
と似たニオイがしますね。