無宗教には二つの意味がある。一つは、特定の宗教団体に所属していない、という意味である。日本人の大多数はこの意味での無宗教であろう。だからといって、穏健な信仰者を軽蔑している訳ではあるまい。むしろ行事や儀式だけなら多宗教であるとすら言える。
もう一つは、あらゆる宗教を「アヤシイ存在」と意味もなく見下す立場である。世の中の宗教にはまじめな信仰者もいれば、邪教も存在する。それらをひっくるめて、何の知識もなく「アヤシイもの」と見下す立場である。かといって、価値中立な訳ではなく、単に見下しているだけである。民主党の言う、無宗教とはこの意味だから困るのである。
同じ言葉でも二つのまったく異なる意味がある場合がある。この場合の無宗教がこれだから困るのである。単に「靖国神社が嫌い」を主張したいがために「われこそは無宗教なり。価値中立、穏健公正、客観的なり」と主張されるから困るのである。
そもそも、政教分離とは何ですか?
基礎的な質問ですみません。
本来は宗教が政治に介入しないように防ぐことを「政教分離」というはずです。
長くヨーロッパではカソリックの勢力が強くて、色んな形で政治に介入していたですし
現在でもバチカンは、結婚は教会つまりは神が認めるもので、社会婚は認めないと主張しております。
日本でも奈良時代から仏教勢力が政治に介入することがたびたびありました。
日本は、江戸幕府が、寺院と神社を統制しひとつのヒエラルキーを作って、そこに檀家制度を導入し
寺院や神社の信者獲得競争をなくしたので、
宗教勢力が自然と穏健になり、現在の「無宗教的つまみ食い的」日本人が生まれたわけです。
(徳川家康が一向宗に苦しめられたので、そういう苦い経験が素地にあるのでしょう)
さて、今の世の政教分離ですが、つまり宗教団体が政治に介入することを防がねばならないのですが
現憲法の条文では、第20条1項がそれに当たるわけです。
では、政治家は宗教的行為をしてはいけないのでしょうか?
国民新党の党首は確か、神主さんですし、クリスチャンもいるでしょう。
彼らも日本国民ですから、信教の自由はありますよね。
選挙に当選したいと、神社に行って、5円玉を賽銭箱に入れたら、政教分離に違反するのでしょうか?
これは違反しないでしょう。
ですから、国会議員が個人的に、ある個人の人物を崇拝するのは自由ではありますね。
ではある政党が、特定の宗教団体の資金を使用して、政治活動をしたらどうでしょう。
こう書けば、言わんとするところがご理解いただけるでしょう。
さて議員が8月15日に神社に行ってお参りすることは、どちらに当たるでしょうか?
実は私、無宗教です。
もちろん民主党の言う「無宗教の国立墓地」の無宗教とは違うし
あんな愚策は、反対も反対ですけれども。
無宗教が公平だなんて全然思わないですし、
ただただ私はニヒルなだけでなんというか、平たく言えば、
私を魅了する宗教がいまだに見つからんのですよ。
誰かいい宗教あったら教えて欲しい。
神道は、根本が自然宗教だというところがいいし、
(主神が太陽神で、その子孫が皇室になっているという神話も
ごくごく自然でいいものであるけど、
ほかの神々の作り方がちょっとめちゃくちゃだけど)
やっぱり国に身を捧げた人々が、神社の神様になるというのも
日本人にぴったりの考え方だと思いますね。
最近、私を魅了しつつあるのが、
真言宗の高野山というか弘法大師・空海です。
彼は平安時代のテリー伊藤ですね。
あのプロデュース能力と節操のなさが素敵です。
四国の町起こしイベントとしての札所めぐりとか、よく考え付きますよね。
そういえば、先生とおんなじ香川の出身ですね。
でもやっぱり、私の思想は、二ーチェとミルクを混ぜるだけ、なわけです。
キリスト教が世界のダントツの悪で、
排他主義のユダヤ教がそれにつづき
元々は純粋君だったのに妙に偏っちゃったイスラム教とか、
ここら辺がなかったらもうちっと今の世界がましだったのかも、と思わざるを得ないわけです。
儒教は本来は宗教でなく、思想だと思いますが、
あれも世の中をぐだぐだにするだけですね。
一方、共産主義は思想というより、いまや宗教、
個人崇拝とか経典を重んじるとか、どう見てもあれは宗教、
狂信的な人もいますしね。
あれもお題目は立派だけど、中身ぐだぐだでしょ。
そういえば、幸福の科学って、創価学会がモデルだそうですね。
大川こと中川隆くんは元会員だとか噂もあるみたいで、あれはいいモデルだということで真似した(ぱくった)そうです。
ご本尊は釈迦如来なんだそうです。最近まで知りませんでした。
でも靖国神社の代わりなんて作る必要なんて、全くない。
第一、あれは第2次世界大戦の際の英霊だけでなくて、
明治維新の戊辰戦争の時から、日清・日露・第1次大戦も含めてみーんな入っているわけでしょう。
それはどう思っているのでしょうかね。
西郷隆盛が反逆者として入ってなかったり、
東郷平八郎も戦没者でないから入ってなかったり
こういう意外なことは案外知られてないのでしょうねえ。
そういう意味で、野田聖子大臣は立派だった。
本当にこの人は古賀誠議員の側近でさえなければ、応援できる政治家なんだけどねえ。
加えて、なんで遺族会の会長が古賀議員?お父さんが戦没者だからだろうけれども。
この国立慰霊施設の件では、さすがに譲らなかったのは偉いというか、
まあ当然なのですけれどもねえ。
だらだら書いてすみません。
<二ーチェとミルクを混ぜるだけ
デカルトみるみる。
サルトル佐助。
ルソー?、カントー?、カワイイー?
最後のカワイイーが河合栄治郎だってわかりました?