昭和20年代の社会党が保守二大政党制を壊した

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表題の通り。
昭和20年代の社会党が保守二大政党制を壊した。

・昭和21年総選挙(幣原内閣)
日本社会党が第二党に。第一党の自由党も可半数を取れず、幣原は退陣。しかもGHQの介入で鳩山一郎が追放、総理大臣不在の空白が発生。

・昭和22年総選挙(第一次吉田内閣)
日本社会党が第一党に。吉田は下野し、政権担当の準備をしないまま連立内閣。相変らず大混乱。つまりマッカーサーが無能なのだが、社会党は存在自体で政治を混乱させ始めている。

・昭和24年総選挙(第二次吉田内閣)
第一党の民自党が264議席、第二党も保守党の民主党で、選挙後の切り崩しで69議席にすぎず。社会党を第三党に叩き落とす。この内閣は安定。

・昭和27年総選挙(第三次吉田内閣)
いわゆる「抜き打ち解散」。昭和12年の「喰い逃げ解散」と共に史上最も大義が無い解散(明治は同じくらい意味不明なのがあったような気がするが)。
第二党は改進党だが、社会党が仲間割れで二つに割れているから。こいつら、保守を苛める時だけ結束する(それを持ちかけるのが二大保守の一方だったりする)。
再び、「社会党と手を組んだ方が二大保守の争いで勝つ」時代の到来。

・昭和28年総選挙(第四次吉田内閣)
いわゆるバカヤロー解散。与党自由党が割れ、その他の保守結集で日本民主党が結成。社会党と組んで吉田を退陣に追い込む。

・昭和30年総選挙(第一次鳩山内閣)
鳩山は社会党の協力で首相になるが、その社会党が議長選挙では自由党と組む。つまり保守分裂で、社会党に好き勝手された格好。総選挙後も、その状況は変わらず。そこで日本民主党と自由党が保守合同し、自民党が誕生。

実は保守合同はその場しのぎの弥縫策だったが、今に至っている。無理が来ない訳がない。