10分で振り返る日本憲政史

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★日本の二大政党の源流。

自由党=板垣退助ら明治六年の政変で追い出された人たちが結成。田舎の地主が支持基盤。→伊藤博文の立憲政友会の母体に。

改進党=大隈重信ら明治十四年の政変で追い出された人たちが結成。都市のインテリやブルジョアが支持基盤。→桂太郎の同志会の母体に。他政党を糾合し、立憲民政党に。

⇒保守二大政党。

 

★昭和12年「食い逃げ解散」
この時の総選挙で、第三党の社会大衆党が36議席の大躍進。
この直後の支那事変で戦時体制に。昭和15年には全政党が解散。

 

★占領期(昭和20年~30年)

政友会の系譜の自由党と民政党の系譜の改進党(民主党)の保守二大政党の対立で、社会党を味方につけた方が勝つという時代。

 

★55年体制(昭和30年~51年)

自由党と日本民主党が保守合同。対等合併だが、構造的には政友会(田舎)が民政党(都市)を吸収。

何が何でも政権(衆議院の51%の議席)が欲しい自民党と、政権なんて責任が伴うものなど欲しくないが、憲法改正だけは阻止する議席(衆参どちらでもいいから34%)が欲しい社会党の思惑が一致。保革1.5大政党制に。←社会党があまりにもグダグダなので二代政党制ではない。

 

★無党派層の発生(昭和51年~現在)

代わる政党が無いことで、自民党の腐敗と無能が無限大に進む。社会党が居座ることで、他のマトモな政党が伸びてこれず、自民党政治は安泰。その社会党を支えていたのが自民党の裏金なのは今や周知の事実(その腐敗の頂点が田辺誠)。都市に無党派層が広がる。・・・田舎は相変わらず自民党の地盤。

 

★政権交代と新党ブーム(平成5年~現在)

日本新党が都市を中心に大ブーム。一時的に自民党を下野させる。以後、次々と新党が浮かんでは消える。そのすべてが都市を基盤。しつこく言うが、田舎は自民党の地盤。

社会党に代わり、民主党が野党第一党に台頭。保革二大政党制に。民主党は社会党と違い、政権を獲得する意思だけはあった。

民主党は、「1区現象」など、基本的に都市の政党。民主党も一時的に自民党を下野させる。

 

★民主党政権の余波(平成21年~現在)

民主党が惨敗。自民党の「一強」状態に。民主党の後身の民進党は、希望の党に。

希望の党の獲得議席で、「一強」の継続か80年ぶりの保守二大政党制への復帰かが決まる。

もっとも希望の党が今回だけでなく、次の選挙まで保守政党として存続出来るかが大前提だが。