後に政権与党となった政党の一回目の総選挙での議席

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こっちと合わせて読んでほしい。

55年体制との決別を

さて、表題の件。

まずは日本国憲法体制。

民主党(鳩山由紀夫と菅直人が共同で代表):1996年、500分の52→13年後に第一党に。

ちなみに同じ選挙で新進党は156議席で、分裂。小池新党も「合言葉は新進党」だったからこうなる? あるいは、分裂したくないから左を切り捨てた? 吉と出るか凶と出るか。

日本新党(細川護煕党首):1993年、511分の35議席→憲政の常道にこれでもかと反して直後に政権。新進党へ。

自民党(岸信介総裁):1958年、466分の287議席。→結党時に与党なので参考にならず。

日本民主党(鳩山一郎総裁):1955年、466分の185議席(39.6%)。直前の結党時は121議席。→不信任案可決で与党に。総選挙での候補者は286議席なので当選率は64.6%。

以下、帝国憲法下。

日本自由党(鳩山一郎総裁):1946年、466分の141議席→直後に吉田茂を総裁に政権。

立憲民政党:1928年、466分の217議席。与党政友会と1議席差。→政友会に切り崩されるが、翌29年に政権。

立憲同志会:1914年、381分の153議席。与党として総選挙に。→与党を滑り落ちてから苦節10年、1924年に憲政会として政権に。その後、政友本党と合併し、民政党に。

立憲政友会:1902年、376分の191議席。与党だが、拒否権集団でもある。→6年後、政権授受(半分、強奪)。

憲政党:1898年、300分の244議席。衆議院の議席8割を占める史上最大の政党。→総選挙の最中に伊藤首相が戦意喪失。

板垣自由党と大隈改進党は超然主義時代で事情が違いすぎるので省略。

さて、歴史を振り返ると小池新党の行方、見えませんか?

以下、考える鍵。

・自民党が政権転落した時は、二回とも参議院で過半数割れしていた。

・一回目の総選挙の議席より、その後の結束の方が大事。

・しかし、議席が多い方が結束は保ちやすい傾向はある。