日本国憲法六十七条の欠陥(2)

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藤沢さんのご質問にお答えして。
前回の文章は、かなり高度な内容を詰め込んでいるので、特殊な知識がない方には厳しかったかもしれません。できるだけわかりやすい解説と補足を心がけます。ご指摘ありがとうございます。

一、憲法の運用の問題
 条文の問題ではない、とのわたくしの意図はよく酌んでいただいていると感じます。
 もちろん、「条文が曖昧」だから「条文に全部を書き込め」と言っている訳ではないのはお察しの通りです。それをやると、ドイツや今の日本のように、「条文で禁止されていないことは何をやっても良いのだ」となりかねないからです。「慣習がない」はまさに我が意を得たりの質問です。その通りです。正確には慣例(practice)が適当でしょうが。英国でも戦前日本でも、慣例を積み重ねて習律(convention)を形成していきました。習律とは法体系に組み込まれた慣例です。
 英国憲法が発明した習律の概念は、「条文を厳しく運用し、守らせる行為規範。違反者は国法体系との対決を覚悟させられる」のような
意味で使用されます。例えば、成文の議会法では「議会は三年に一度開くことになっていますが、毎年開かなければ単年度ごとの予算は通らず、国政全般に被害を及ぼす、だから毎年開かねばならないとの習律が存在している」と解説されます。
 帝国憲法第十条の条文を字句通りに解釈すれば、総理大臣の任命権は天皇にあり、誰を任命しても構いません。天皇の信任さえあれば総理大臣の地位に留まれます。しかし、衆議院に不信任されたり予算を否決された内閣は何もできません。だから「不信任された総理は、衆議院の解散か総辞職をしなければならない」との習律が確立しました。これは敗戦まで生きている憲法習律です。

 「自民党の問題では」とのご質問ですが、その通りです。つまりそれこそが英国憲法が指す憲法、すなわち帝国憲法でも同様に考えられた憲法体制の問題です。なぜならば、民意を反映する政治が国家経営には不可欠であるとの合意が文明国の統治です。それには最低でも二つ以上の国家本位の政党がなければならない訳です。英国では陛下の与党なのは当然として、陛下の野党であることを求めます。自由民主党は日本国の野党第一党です。自民党が健全な野党であるかどうかこそが日本人が民主制を運用できるかどうかの試金石です。これを私は自民党という政党だけの問題ではなくて、憲法(体制)の問題であると捉えます。憲法典の条文だけが憲法であると普通の日本人は考えますので、違和感があるかもしれませんが。
 ちなみに、各地の倫理法人会さんからの講演依頼で「そもそも憲法とは何か」という演題で講演依頼をいただいているのですが、いつも最初に「日本国憲法の条文は憲法の一部に過ぎない」という話からはじめさせていただいています。

二、英国の場合
 総選挙以外の政変もあります。連立政権や少数与党や分派行動もあります。英国は世界で最初に民主制を確立した国と言われますが、その分だけ時間がかかり失敗も多いのです。近年は小選挙区制に基づく政権交代で、常に多数が形成されていたという事情が大きいでしょう。たまたま三十年くらいそれが続いているだけとの言い方も出来ますが。
ただ、二大政党制の動揺を国民の大多数が嫌う保守性は三百年ほど続いています。第一次大戦後に三党鼎立状態になった時も選挙民は「はやく二大政党制に戻してくれ」と言わんばかりに、自由党に変わり労働党を二大政党の一翼に選びました。

 憲法六十七条は国会議員以外、例えば選挙で選ばれていない官僚や軍人に内閣を組織させないという意味では議院内閣制を保障するとの意味は見出せます。ただし二つ問題があります。
 一つは、東久邇宮稔彦内閣のような危機対処はできません。敗戦時、国民が結束する象徴として、皇族内閣が組織されました。今のイラクなどとは全く違い、秩序だった統治が行われました。その為にマッカーサーらがポツダム宣言から逸脱する増長した行動をとった点の評価はさておき、占領軍とのあるいは日本人どうしの殺し合いというような、普通の敗戦国では当たり前のように起きる事態が一切ありませんでした。あの時は皇族内閣以外であれば日本人の血が流れる混乱を誰が回避できたでしょうか。
 二つは、議会の多数の意思さえあれば何でもできてしまう危険性です。芦田、石橋、福田赳夫、鈴木、竹下、宇野、羽田、小渕、安倍、福田康夫の各内閣は総選挙で選ばれてもいなければ、解散により国民に信を問うた訳ではありません。病気で早期辞任の石橋は除くとしても、鈴木、竹下、羽田、小渕、福田康夫に至っては参議院選挙もその任期中にありませんでした。
 条文を規定したから守る場合もあれば、文字で書かれていることさえ守れば後は何をしても良い、との考えも生じてしまうのである。私は政治家に良識など求めません。憲法習律の確立によって縛るべきだと考える次第です。それが難しいのですけど。

三、細川内閣
 あらゆる意味において論外です。革命というと英国憲政論では悪い意味ですが日本人は良い意味だと思っている人も多いので、秩序紊乱と呼びましょう。厳密には英国憲法論で言う「革命に近い状況」なのですが。事情としては宮沢がやる気がなくて、小沢にとって「憲政の常道」などどうでも良かったのは明らかですね。

 以下、当時大学生だった私の主張をそのまま掲載します。粗雑な主張をそのままいじらずに載せます。

 本来ならば与党第一党の自民党が総理を出すべきである。しかし、それまでの三十八年間は単独過半数を獲得していたが、脱党者の議席を埋め合わせる信任を得られなかった。だからあえて国民の意思を尊重して下野する。

 自民党が下野するならば第二党となった社会党が総理を出すべきである。しかし、百四十議席から半減させている。社会党への不信任は明らかである。だからあえて国民の意思を尊重して総理の座は遠慮する。

 社会党が遠慮するならば第三党となった新生党が総理を出すべきである。しかし、新生党は直前まで自民党に居た政治家が多数である。だから国民に遠慮して総理の座は引き受けない。

 新生党が遠慮するならば第四党となった公明党が総理を出すべきである。しかし公明党は宗教政党である。だから国民に遠慮して総理の座は引き受けないのか?

 公明党が遠慮するならば第五党となった日本新党が総理を出すべきなのか。五百十二人中の三十五議席しか占めていない。憲政の常道に従うならば、公明党党首の石田幸四郎を首相にするべきではないのか。何の説明もないが、宗教政党だから総理になれないのなら、その宗教政党よりも議席数が少ない政党の党首が総理の地位にあるのはおかしいではないか。

 実は、これが原体験となって「憲政の常道」とは何かを知りたくなり、戦前から洗いなおそうとしていたら、この道に居たということなのです。思い出深い質問、ありがとうございます。

 平成四年の政権交代、色々な対応があったでしょうけど、せめて細川内閣の与党が早期に新進党を結成していれば与党第一党総裁が総理になるという「憲政の常道」に戻りましたね。それができないから現実の細川内閣は退陣に追い込まれたのですし。

 

「憲政の常道」に関して二つ以上の解釈が発生する状態、それを憲政危機と呼ぶ。大学三年生でこれに関してから十年かけてたどりついた結論です。