「大学では教えられない歴史講義」カテゴリーアーカイブ

憲法九条信奉者=核武装論者

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 8月は日本人にとって不愉快な季節である。

6日、広島への原爆投下。=国際法違反

8日、ソ連の裏切り参戦。=国際法違反

9日、長崎への原爆投下。=国際法違反

15日、敗戦。=実は有条件降伏だが、米国を中心とした連合軍は守らず国際法違反

 

 さて、私の大学の学生は、憲法九条の平和主義を信奉している度合いが高いほど、いきなり核武装論になる。なぜか?

 この世から犯罪が無くならないように、他者に対して暴力を振るいたい者も無くならないのである。それが国家の場合、最近の用語では「ならず者国家」と呼ばれる。「ならず者国家」の筆頭がもちろん、北朝鮮である。「東京を火の海にしてやる」と公言している北朝鮮に善意を期待できようはずがない。北のミサイルは日本に向いているのである。

 そこで、九条を信奉する学生に問う。「あなたは北朝鮮の脅威の下で憲法九条を頼って生きていきますか」と。

 そうすると、いきなり「日本も核ミサイルを持って、やられないようにしよう」と言うのである。空母も、F22も、陸上自衛隊の増強も全部飛ばして、核武装論になるのである。憲法九条を信じ、戦争について何も考えたことがないと、軍事とは核ミサイルがすべてだと思っているからである。現代戦では、核保有国が存在するからこそ、通常戦力も大事なのだが。

 要するに、自分を暴力から守りたいから、平和主義者になるのであって、警察と同じ役割を核ミサイルに求めてしまうのである。

 その昔、内村鑑三という、対外強硬論者から絶対平和主義者に転向した人がいた。転向というのは正しくないかもしれない。日本は豊かであり続けたい、戦争で悲惨な目にあうのはいやだ、という点は一貫していたので。日清戦争は勝てるから対外強硬論、日論戦争は勝てそうもないから絶対平和主義で、実は同じことなのである。

 「憲法九条信奉=核武装論」という図式、同じですね。