人のせいにする若者

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 高校時代の愛読書、『田中角栄の3分間スピーチ』に、確かこういうネタがあった。

 最近の若者は、何でもすぐに人のセィにする!

 何かと言うと、社会のセィ、世間のセィ、田中のセィだ!

 明らかに責任があるでしょうに。でも、まだ笑える。

 

 翻って、こういう記事。

 小沢氏、自身への批判に参った? 「人のせいにするな」と訓示 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000621-san-pol

 全然、笑えない。

 さらに潜ります。今書いている本の原稿、一気に完成品まで持っていくつもりです。

「人のせいにする若者」への0件のフィードバック

  1. この記事、もう一度読み返してみたのですが、大学生の社会人体験の一環なんですね。だとしたら、政治家の就業体験など何の意味があるんでしょうかね。

    政界ぐらいにしか居場所のない、言い換えれば一般社会では生きていけない社会不適格者の群れの中で「社会人体験」なんて、やる意味あるんでしょうかねぇ。まぁ「マトモに社会人になりたければ、政治には関わるな」ということを教える趣旨ならば、意味あるんでしょうけど。
    少なくともこんな「社会人」体験で、有為な若者に政治家志望などしてもらいたくないもんです。

  2. お久しぶりです。
    ちょっとよくわからないのですが、
    26日に成立したと報道されている子ども手当法。
    内閣法制局のページによると、
    29日現在、成立していないように表示されています。
    これって議員立法でしたっけ?

    http://www.clb.go.jp/contents/diet_174/law_174.html
    (魚拓)http://megalodon.jp/2010-0331-0618-00/www.clb.go.jp/contents/diet_174/law_174.html

  3. 自己レスですが、内閣提出の法案でしたね。
    もしかすると、内閣法制局が止めてる?
    今日午後の党首討論でどうなるか、見ものかも…

  4. dodoさん

    お、お、お久しぶりでございます。藤沢です。
    またお会いできてすごく嬉しいです。

    上記の件、何なのでしょうね。ちょっと意味不明ですよね。
    単に更新していないだけか、それとも他の意図が・・・?。

    まあ、それはともかく。何か今日は本当にめでたい日のような気がしてきました。いま3/20のレスでみんなで盛り上がってますので、良かったら何かコメントをお願いできればと思います。久しぶりにdodoさんの鋭さとパンチの効いた話が聞きたくなってきました。

    お忙しいとは思われますが、またこれからも顔を出してくださればと思います。またよろしくお願いします。有難うございました。

  5. >dodo様
    おひさしぶりでございます。なんだかZATの朝日奈隊長状態になってしまってるようですが、今後とも盛んにご登場お願いします。(^−^)/

    内閣提出法案だとすると、違憲審査に持ち込める可能性は低いでしょうね。私は子ども手当て法案は「憲法の福祉主義の意味が全く分かってないという意味で憲法違反」との立場ですが、東大憲法学の牙城ともいうべき法制局が何の恥ずかしげもなくこんな法案よくも提出してきたよなぁ、と呆れています。もしかしたら、法制局にも小沢のスパイが潜んでいるのかも知れませんね。

    それにしても、麻生内閣の定額給付金もアレでしたが、こんなんで票集めにつながると勘違いしてる時点でおめでたいと思いますが…

  6. お二方、お久しぶりです。

    子ども手当法案は結局、31日夜の官報特別号外で交付されました。
    30日の閣議案件となっていましたから、
    朝の官報で公布されていてもおかしくなかったのですが、
    それが夜までかかった。
    もしかすると小さな一悶着があったのかもしれないし、
    なかったのかもしれない。
    一悶着あったとすると、内閣法制局? それとも厚労省?
    それにしても抵抗する気で抵抗したのか、言い訳づくりにすぎなかったのか。
    よくわかりません。

    3/20のほうは、パスしておきますw
    また面白そうな議論があったら参加しますよ。

  7. >dodo様
    ソースはこれですね。↓
    http://kanpou.npb.go.jp/20100331/20100331t00009/20100331t000090022f.html
    >31日夜の官報特別号外で交付
    今日、中ノ島図書館で聞いてきたのですが、3月31日の特別号外は例年かなりブ厚いものになるんだそうです。おそらく年度末ということで、駆け込みで成立させる法令が多いためでしょう。
    ですので、「悶着」というほどのことはないのかも知れません。

    ただ、政権公約でも重要視してきた法案を年度末まで引きずるのもどうかとは思います。

  8. 3月20日のレスにおいて行われた教育の議論、新しい提起も含めましてこの項にて整理すると共に、私見も付け加える形でスレ立てしたいと思います。

    タイトル『教育における「役に立つ」とは何か?』

    これまでの整理:
    1.倉山さんより
    教育・・・改革の主眼。
      初等教育で、読み書き算盤、礼儀作法、古典の素読、書道、武道の徹底。
      高等教育は模範校で行う。「外交大学校」の創設。
    ⇒国民の平均値を戻す。同時に真の指導者(エリート)教育

    2.仙台さんより
    1)高等教育は戦前の方がまだましだったとか、躾としての茶道とかいくつかあるんですが、一つ一つ議論していきましょう。

    2)教育格差といえば、小学校の理数教育が今の教師には負担が大きいという話をきいたことがあります。理数系の専門教師を配するのも底上げの方策だと思うのですが。

    ・・・正直、このままでは収拾がつかないのと、私自身の言いたい事も含めて、お二人の点と何とか上記タイトルとも関連付けて話したいと思っています。
    藤沢秀行の主張:『「飛び級」をもっと一般的に認めよ!』

    タイトルの、役に立つを分解するとこうなると思っています。
    1.学んだその人自身にとって「役に立つ」
    2.国家側から見た政治行政、経済、場合によっては軍事的側面から見て「役に立つ」
    義務教育と高等教育の分かれ目も、このあたりを基準にするのが分かりやすいのではと思っています。

    話を進めます。各ステップにおける指導要領、入試問題は、建前上教科書の範囲を逸脱してはいけないため、逆に出来る子どもにとっては時間の無駄になる恐れがあると思います。裏返せば、国家レベルで見ても損失と言えるでしょう。
    大切なのは、まず基礎知識、次に物事への興味、そして自分なりに分析していく力、だと考えます。基本的な考えとして、当然ながら芽をつんでしまうのではなくそれを伸ばす、という事だと思います。

    という事を倉山さんと仙台さんの話と合わせて考えた時に、いまのやり方では不十分なのではと思う方が普通だと思います。
    飛び級についての運用方法は色々あるでしょう(別に文系の飛び級があっても良いと思っています)。やっていくうちに問題点も出てくることもあるでしょう。
    しかし、やる価値は十分にあると思っています!

    「ひきょうぐみ(日教組)の方々へ」
    それほどまでに学校、学級単位の秩序が大切なのですか?
    飛び級について、真剣に検討して頂く事を希望します。

    それではまた。

    参考文献:
    なだいなだ「教育問答」(中公新書)
    岡部恒治「マンガ幾何入門」(講談社ブルーバックス)
    (※マンガだけど読み応え十分です)
    小室直樹「日本の敗因」(講談社α文庫)
    横浜サイエンスフロンティア高等学校HP
    http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/sidou2/koukou/sfh/gaiyo/

  9. 藤沢様
    で、続きです。
    専門教師の配置は理数系に留め、国語や生活科は今までどおりで良いと思います。それは学科を超えた総合的な教育、という観点からです。

    飛び級は、戦前には二回可能でしたが、実際には飛び級をやると「あいつは秀才だ」とされて軽んじられましたし(丸山真男の例)、一方で家庭の収入の面から飛び級で尋常小学校を早く卒業し、上級学校に進学することもあったようです。
    ちなみに高等學校では、中等學校五年の課程を一学期で教え込んでいたといいますから、大学一年時に補修科目を設定すれば課程上の問題は発生しないと思います。

    教科書の有料化ははっきりいって疑問です。現在有料である給食費ですら、金があるにもかかわらず支払おうとしない愚鈍がいる以上、有料化したところで果たしてどれほどの効果があるか。もっともそういう愚鈍の子もおよそ程度がしれるわけですけれども。
    それよりは、学区制の緩和・廃止を行い、学校ごとに採用している教科書を公開して選択権を与えることの方が、手法としては効果があるかと思います。どの教科書で学ばせるか、どこの教科書が「流行っているか」が明らかになりますから。

    SC様の指摘されていた教育格差ですが、戦前の実業學校を含めた中等學校の進学者数と戦後の高等学校の進学者数を比較すると、それほど教育格差があるとは思えないのです。しかも戦後は義務教育期間が一年間延びていますし。
    ではどこに問題があるかというと、戦前は官立が殆どであった高等學校、あるいは尋常小学校から師範學校に入ってしまえば学費の問題は殆ど解決できたこと、それに対し戦後は私学の比率が多くなり、同時に否応なく金がかかるようになったことにあると思います。つまり、資本の差がそのまま学歴資本につながっていることでしょうか。加えて学閥を有する私学と、国立駅弁大学では、卒業後の差もでてくるでしょう。

    東大の入試問題、これは面白い出題ですね。円周率は22/7または355/113で教えていいと思います。

  10. 仙台さん

    こんにちは。藤沢です。ご協力有難うございました。
    飛び級につきましては、ご指摘の通り本人の人間関係の点は課題だと思います。実際の運用には本人の希望、保護者と学校側の連携がポイントだと思います(※本人が望まなければ別にそれはそれで良いとも思います。出来る子どもにとって、分かりきった授業につき合わされ、入試のためだけに学習塾で勉強するのは無駄が大きいのではというのが本線です)。

    教科書の有料化につきましては、ご指摘の通り効果の程度はやって見ないと私も分かりません。お金を払ったものについては人は真剣になりやすいという一般論で申しましたので。

    別な例えでしかも一昔前の話ですみませんが、会社における事務の電話対応の女性社員のチームの電話を、10円玉を入れるタイプのものにして、自分で10円玉を入れながら電話対応をさせる会社の話を聞いたことがありました。(もちろん元は会社支給の10円玉です)。
    理屈としては同じ事のはずなのですが、結果、長電話が減り業務の効率化と経費削減につながったとの話でした。もちろん、程度は不明ですが自分で払ったものについて考えるという点で、そこそこの意味は期待出来るのではと思っています。(この例え話は少し軽めに聞いてくださいね。何か急にこの話がしたくなってしまったもので)。

    学区制の緩和・廃止は賛成です。しかし、教科書の公開と選択権については、反対ではないですが効果は疑問です。それを行っても、使用する教科書を理由に行く学校を決める人がどれだけいるかは、決して多くないのではと思います。それならば何れ検定の必要な教科書ならば、その基準とそれに基づいた記載内容についての議論を意識の向上と共に普段から行う方が良いのではと思います。(教科書の有料化がそれに少しでもつながればと思っています)。

    長くなってしまいましたので、教育格差の点につきましては、一回休みにさせてください。この話が落ち着きましたら是非また後程。
    東大入試問題の件、気に入って頂けて良かったです。大切なのは公式と答えよりもむしろ問題設定と解決法なのではという話でした。

    またよろしくお願いします。それではまた。

  11. 仙台さん 倉山さん
    いつもお世話になります。藤沢です。
    先に書く余裕がありそうですので、教育格差の件について感じている事について記載させて下さい。

    個人的には、仙台さんに近い感じを持っています。経済格差の問題は確かにそうなのですが、それを原因とした教育格差の固定化というのは、何となくピンと来ていません。
    倉山さんご自身が言われている通り、詳細をまだ伺っていない時点ですので、それを踏まえた言及にはなってしまいますが。

    大きく捉えて分ければ以下の点だと思っています。
    1.教育格差は元々あったわけで、ここ5〜10年位の経済格差の発生による影響がどの程度なのか非常にわかりにくい。関連性は案外薄いのではと思っています。
    2.少子化に伴う定員割れに苦しむ大学もあり、大学進学を希望する学生は選びさえしなければ大学進学はそれほど困難ではない。
    (この経済状況下でも大学への進学率は上昇し続け、50%に達しています)。
    3.そこまで言う教育格差とは何を指すのでしょうか?経済的理由で高校・大学に行けない人達が今後大量に発生するという事なのでしょうか?

    結局は学校と教員のあり方、究極的には本人のやる気に帰結すると思っています。先に挙げさせて頂いた飛び級の話との関連性もあると思われますが、一方で著しく不公平な入試制度だとも思えませんので、基本的には本人の問題だと思っています。

    倉山さんの話、もちろんイメージとしては理解できますし、景気は良い方がいいに決まっていますので、その点での経済金融政策には特に異論がありません。しかし、経済格差を原因とした教育格差、それもここ10年くらいのそれが原因で取り返しがつかない?というのは関連性があやしい部分もあるのではと思っています。

    ご好意に甘えさせて頂いて(wwwww)、ご解説をリクエスト致します。
    どうぞ宜しくお願いします。それではまた。

  12. 藤沢様
    経済格差と教育格差のつながり(「固定化する」であって、起源ではありません)⇒「フリーターの子はニートになれない」の計算式でどうでしょう?数字を入れるのは馬鹿馬鹿しいのでしませんが。

    ここ10年は不況とゆとりが見事に合致しましたね。別にゆとり教育をやめても止まりませんが、止めないともっと悲惨でしたが。
    問題は大学が大学たりえていないことです。この数こそ統計をとりたいのですが、「一年生に日本語を教えている大学」とか、何なのでしょう。
    ちなみに某大学では「ベネッセ日本語講座」が教科書です。これで国民が白痴化してなければ奇跡ですね。
    「大学生の生活中心アンケート」とかだと「勉強とバイト」がほとんどです。その「勉強」の中身が曲者で、大学の授業と資格試験がほとんどで、学問はしていません。それは「大学生の読書時間」の皆無ぶりとかを見れば明らかですね。ちょっと良質なデータをとる時間はないのですが、どの数字を見ても以上の二つのデータをみれば、教員の体感をほぼ表しています。

    で、大学にいってもこのザマ。行かなければ?どこかの新聞に「年収300万円以下のフリーター夫婦は高校生の子供にバイトを勧める」などという記事がありましたけど、まあフリーター夫婦が「塾に通わせ&六年制私立に入れる」はしないしできないでしょうね。「大学に行っても駄目な階級」対「そもそもいく気がない階級」の深刻さ。普通の国のように、エリート教育が確立していて、庶民は手に職をつけておけばよいというならば別ですけど、日本は国民教育の平均値で持っていた国ですから。
    「年数別、親が子供に望むこと」とかも統計をとりたいですね。

    まともにしだすと一冊の本になるので、どうしても不明な点以外は以上で勘弁してください。

  13. 倉山さん

    おはようございます。藤沢です。
    お忙しい所、有難うございました。

    時代も少しずつ変わっているのでしょうね。実際の現場からのご発言、社交辞令ではなく、重みを感じます。確かに、進学率だけでは測れないものもあると思われます。
    ひと呼吸置きまして、他の方の話も伺いながら、続きは日を改めてお願い出来ればと思います。でも倉山さんの言われる格差は階層が二つではなく、さらに多そうですね。

    学習塾の位置づけも興味のある話です。基本的には入試のための塾という話はおかしいと思っています。しかし一方では、学校がしょうもないからそれを補っているという側面も否定できないという点もあり、判断の難しい所だと思っています。
    個人的には、入試のためだけの塾ならば、それが無い方向を目指すべきだと思っています。そのためにも授業の充実と飛び級を改めて思う次第です。

    論点は尽きないのですが、キリが無いので終わりにさせて下さい。倉山さんが指導にあたられる学生に対しては、根気良く学問の楽しさと意味を伝え続けて欲しいと思います。

    またよろしくお願いします。それではまた。

  14. 藤沢様
    ちょっと整理すると、
    1大学全入の時代になっている
    2にもかかわらず大学に行かせられないことは即ち学歴に差がついてしまう
    3学歴で差がついてしまうと、個人の技能以外に収入差を覆すのは厳しい
    という構図でしょうか。

    大学の格差は、この全入状態がおそらくすべてで、昔なら高校すら入れなかったおつむの人でさえも入れてしまうという事情があるはずです。
    少々乱暴な表現をすれば「大学の託児所化」だと思います。

    ご指摘の通り、論点が多いので、いったん整理してまた論じますが、10円玉の話は、久々に聞いた話で、妙に懐かしく思いました。

  15. 仙台さん

    こんばんは。藤沢です。
    今日はまたいつも以上に調子良さそうですね。

    整理頂いた件、その通りです。そしてこの事が過去現在未来でどのような動きと意味を持つのかだと思っています。さらに分析すると、
    1.経済的理由で大学自体に行けない人がどの位いるのか?
    2.その事は進学率上昇の事実と矛盾する事は無いのか?
    3.倉山さんの話も含めると、大学間の格差が拡大しているという事実が認められるのか?
    のあたりかなと思っております。

    大学入学のハードルが下がっている以上、「行きたいけど門が狭いから入れない」という事は無く、実際進学率が上がっている以上、少なくとも現状は経済的問題も何とかクリアーされていると見ます。
    「そもそも行く気が無い階級」をどう捉えるかにもよるとは思いますが、それこそ私が申した正に本人の問題だと思います。この人達の存在をもって格差問題を論じるのは多少無理を感じます。行けない訳ではないのだから。

    3.は今日的なテーマだと思いますし、倉山さんのご提言そのものズバリだと思います。裏返せば、「元々質の高い学生が、整った大学に入る事により、そうでない大学の学生との格差が拡大する」という状態の有無がポイントになると思われます。この点につきましては私はなんとも不明ですので、事情に詳しい方がいらっしゃいましたら教えてくだされば助かります。

    一言でまとめてしまえば対策は一つで、入学の要件が緩和されているのであれば、卒業の要件を厳格化するという事だと思います。義務教育であれ高校であれ大学であれ、「ここを卒業するという事はこういう事で、最低限ここまでは出来ていなくてはいけないのです」という事を、教える側が真剣に根拠立てて伝える必要があるという事だと思います。

    倉山さんの話と組み合わせて考えるに、格差の話と平均点の話は二つの意味があって、
    1.格差の発生により全体の平均点が下がるという話と、
    2.全体そのものの地盤沈下とでも呼ぶべき平均点の低下、
    が同時に起きているのではないか、というようにも思われるのです。

    やはりここはもう一度、個人の勉強する動機(利益)と国益との関連性を再構築する作業が必要と思われます。

    「経済大国で何が悪い!」私はその位に思ってますけどね。

    またよろしくお願いします。

  16. 藤沢様
    簡単に出せる数字ではないのですが、首都圏私大から地元国公立大へシフトした人数が、「経済状況に不安を抱いている」人たちであるといえるでしょう。
    また、この不景気の中で「就職先としての進学」を選択した人もいるでしょう。保証はないけれども4年間大学に行くことであるいは変化が期待できるかもしれないという判断ですね。
    大学格差は、一つはっきり言えるのは漢文です。入試で漢文を要求しない大学では、入学後一定期間、漢文講座を開くはめになっています。白文を読める学生と、全く読めない学生との差は無視できないでしょうね。
    高等教育は旧制の方がましだったかもしれないというのは以前にも書きましたが、旧制回帰に近い方法として、大学予科の設置はあり得ると思います。予科を修了し、かつ統一試験をクリアできなければ、進学権を認めないとすればそれなりに勉強はするのではないでしょうか。

  17. 仙台さん

    こんばんは。藤沢です。
    何だか最近はAO入試なるものが結構幅を利かせているみたいですね。
    個性を否定する訳ではないですが、学問とか勉強という点では、当然ながら幅の広さも大事ですよね。(お世辞ではなく、この点では倉山さんは正に模範だと思います!)

    統一試験(のクリア)というのは、良さそうですね。やはり入り口が広くなっている以上、途中を厳しくする意味は大切だと思います。

    漢文講座ならまだ良い方なのでは?倉山さんの話では日本語講座ですからwwwwwwww。

    だいぶ話も出揃った感じがしていますが、今後どうしましょう。仙台さんからは何かございますでしょうか?あればそれにしましょう。無いようでしたら私からは専門高校(工業・商業とかの)、専門学校、短大、大学、大学院の役割分担と位置づけなど良いのではと思っていますが・・・どうでしょうか?

    有難うございました。またよろしくお願いします。

  18. 藤沢様
    「名ばかり大学生」という本が最近出ていますが、この本によればAO入試というのは、実際にはかなりお粗末なものだとされ(ただこの本自体が議論が今ひとつ整理されていないのですが)、数少ない成功例として東北大の例があげられています。

    大学の役割分担と位置づけですが、院への進学を前提とした研究系大学、資格取得に主をおく技能系大学、単なる託児所大学に分かれるような気がします。
    短大はなくなるか、純粋に予科として残るかだとおもいますが、これではジュニアカレッジ構想そのままですね。

    一つ疑問に思うのが、第二次ベビーブームの時の新設高校で、実業系高校が新設されたという話をあまり聞かないことです。あれはいったい何だったのか。

  19. 仙台さん

    こんばんは。藤沢です。
    「大学の専門学校化」というのは近年、より進んでいるみたいですね。倉山さんの話にも良く出てきますし。(何回か紹介していますが、この砦の記念すべき第1回の6月25日の話、まだ読んだ事の無い方は是非ともどうぞ)。
    資格取得に主をおく技能系大学、は何の資格なのかが重要ですよね。実業系の高校や専門学校と違う意味の形を取りたい所です。

    きれい事かもしれませんが、実業系高校の地位向上も大切なテーマなのではと思っています。新設されなかった理由は案外単純で、はやらない事が予想出来てしまったからだと思います。この点については、偏差値の扱い及び中学校における進路指導も改善の余地があるのではと思っています。
    (※偏差値をなくす必要はないと思いますが、逆説的に偏差値の意味を薄くする方法として、実技系の科目にも偏差値を適用してしまうのも一案だと思っています。受験には直接関係無いかもしれませんが、心理的に救われる子どももいるのではと思います)。

    個人的には、詳しくなくてすみませんが、高等専門学校(高専)の存在というのは結構面白いのではと思っています(知っている人がいたら是非とも話を聞かせてください)。役割分担という点では、既にきちんとその一角を担っているのではという気がしています。

    長くなってしまいましたので、大学院の話は次回にさせて下さい。その時は、倉山さんにも是非と思いますし、意見をお持ちの方も結構いるのではと思いますので、その時はまたみんなで盛り上がりましょう!

    それではまた。

  20. 藤沢様

    ある資格が、大卒でなければ所得できないとするのが果たして適切かどうかはまた別問題ですが、ご指摘の通り何らかの差をつけることはありかと思います。また実業高校、専門学校との連携も必要だろうと思います(素人判断ですが、例えば高校建築科卒と高校普通科卒とでは、建築学科では前者の方が習熟度はあると思います)。高専はもっと再評価されていいでしょう。

    実業系の高校が作られなかった理由の一つには、単純に予算の問題もあったのではないかと見ています。新設高校の中には図面の使い回しがあったという指摘もありますし、自治体としてはあまり金をかけたくなかったのかもしれません。

  21. 仙台さん

    こんばんは。藤沢です。
    いつも有難うございます。
    ひと区切りついた感じが致しましたのと、ここに来て倉山さんの更新頻度が回復した関係もあると思い、4/4に引っ越しました。(4/6か4/7かwww迷いましたが・・)。

    お付き合い頂きまして本当に有難うございました。
    良かったら今後とも引き続きお願い申し上げます。

  22. 最近の若者はなんでも、ひとのせいにする。これが、大の大人のいうことか。
    社会のせい、世間のせい。それで、自分達大人が若者や世の中や政治のせいにするのは、一切スルーか。ほんとに今までろくな人生送ってこなかったからだろうが。若者には、甘えてるだの、3度の食事もやらず金も物も服もやらず家から追い出せだの、努力がたりないだの、逃げてるだの、根性がないだの、我慢がないだの文句ばかり言いおって。真人間の才能がない証さ。

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