赤穂浪士の討ち入りは史上最大の就職活動

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 旧暦の12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日です。

 赤穂浪士の討ち入りとはどういう事件かというと。。。

 江戸時代、徳川綱吉という人がいました。
 征夷大将軍という、今の総理大臣に当たる人です。
 毎年お正月には、天皇陛下の御使いである勅使をお迎えするという儀式があります。
 その接待役が浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)という大名でした。
 今で言えば、従業員二百人くらいの会社の社長兼赤穂市選出国会議員です。

 その時の儀式は、綱吉にとって身分の低かった母親に位を授けてもらおうというこれでもかという下心があったので、それはそれはいつもにもまして大事な儀式でした。

 ところが、接待役の浅野内匠頭が何を血迷ったか、接待役を指導する係の吉良上野介という人に斬りかかりました。
 この吉良という61歳の御老人、不意を突かれたので無抵抗でした。
 原因は本当のところはまったくわかっていません。吉良さん、本当に身に覚えがないそうです。
 よく、吉良さんが意地悪したという噂があるのですが、ありえません。
 考えてみましょう。いつもにもまして重要な儀式です。将軍の機嫌を損ねたら何をされるかわかりません。意地悪などして儀式で粗相があったら、自分の責任になってしまうので、絶対に意地悪をしないどころか、いつにもましてピリピリしていたのが真相です。

 で、この浅野という若者、性格最悪で、癲癇気質の、キレやすい若者だったようです。
 そもそも、武士のくせに刀を「振り回して斬りつける」というのがなっていないというか、それが頭おかしかった証拠では?と言われるくらいで。
 本気で殺すつもりなら、突け!ということです。

 要するに24歳のバカ殿が何かの拍子にキレて起こした殺人未遂事件です。
 で、内匠頭は切腹。(当たり前だ)
 吉良はお咎めなし。(当たり前だ)
 この時「武士を畳の上ではなく、庭先で切腹させるのは屈辱だぁ」とよく言われるのですが、討ち首じゃなくて切腹の名誉を与えられただけでもありがたい訳で。

 もちろん浅野家はお取り潰し。
 200人の従業員、じゃなかった、家臣団は路頭に迷う羽目に。
 で、普通は再就職先を求めて就活を行うのですが、47人くらいあきらめきれない人たちがいたのですね。この人たちを赤穂浪士と言います。「赤穂藩の元正社員で今は無職の人」という意味です。
 というか、マトモな就職活動をするよりも「世間をあっと言わせて、イイ所に再就職しよう」みたいな一発屋根性丸出しの話になったのです。

 で、一年半もネチネチと計画を練りに練って、本当に吉良邸に押し入ってしまいました。
 まさか平和な時代にそんなことをされるとは思っていない吉良家はほぼ無抵抗。
 あわれ、これまた無抵抗の吉良老人は首をはねられてしまいました。
 よく、吉良側が必死の防衛策を用意していたとか言われるのですが、本気でそんなこと考えているなら、愛知県の領地に帰っていればよい訳で。自分を殺しに来る奴がいるとは本気で思っていないから、ノコノコと江戸で隠居生活をしているのです。

 そこで、大石内蔵助以下赤穂浪士一同、主君の墓がある浅草の泉岳寺までデモンストレーションの行進。これで江戸庶民は「この平和ボケの時代に偉いねえ」などとほめそやし、
「この時代に主君の恩義を忘れないとは見上げたものだ。武士の鑑だ」
「そこまで思わせた浅野という殿様は偉い人だったに違いない」
「その浅野さんをキレさせた吉良というのは相当悪い奴に違いない」
と、ドンドン話は変な方向にねじ曲がり、
 結構いいところの諸大名家から「是非、我が藩に来てください!」などとお呼びがかかりました。

 で、最終的な決断は綱吉が下さなければならないのですが、あんまりにも話が広がりすぎてどうしようもなくなります。
 議論は百家争鳴で、
「武士の鑑だ!とりあえずアゲとく」
「本気で仇討をするなら、吉良の首をあげたら、その場で切腹しろよw」

「いや、御公儀(幕府=綱吉のこと)の非を訴えたかったのです。デモで世の中は変るんです。署名もお願いします」
「それDQNじゃん。さすがに将軍のおひざ元で騒ぎを起こしたらまずいだろ」
「吉良じゃなくて、白川とか羽毛田とか、もっと悪い奴ら他にいるだろう」
とか、収拾がつかなくなります。

 で、綱吉は家臣たちに「お前らはどっちだ。参考にするから全員、意見を署名入りでこの箱の中に入れるように」とかやり出します。
 本気で参考にしようと思っていたのは、柳沢吉保ただ一人なのですが、その吉保の意見は「上様の御意のままに!」
 見事に丸投げされ返されました。

 そこで綱吉は、二人の学者に御前ディベートをさせます。
 綱吉自身も学者だったので、
「モメゴトは公開討論で決着をつけよう」というフランスなど文明国共通の方法を持ち出したのですね。日本の学者でこれをやったのは吉野作造と、あと誰だ???ですが。

 御前討論の一人は東大総長兼法学部長の林鳳岡(一生勝ち組)。
 もう一人は、やたらと政界にコネがあった私大講師の荻生徂徠(年収五百万円、後に失業)。

 林さん、思いっきり時流便乗の立論。
「彼らは武士の鑑です。だから、上様が無罪にしてあげることで徳を示すことになるんです」
 綱吉、、、うーん。それは法を曲げることになるし、自分の失敗を認めることだし…。

 それに徂徠先生の反論。
「彼らは武士の鑑である。だから切腹の名誉を与えるべきである!」
 相手の持ちだした根拠を逆用した反論を、「たーんあらうんど」と言います。ディベートの基本技です。毛沢東の得意技でもありました。
 かくして、一件落着。

 三河人の歴史観だとこうなります。愛知県東半分の人たち、忠臣蔵と長篠の戦に関して、日本で最も正しい歴史観を持っていると思うの、私だけ?